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普通の生活の中での、思いついたこと、考えたこと。何かを表現したい、書いておきたいと思った時に、ココで発散しています。

記憶の園

2009-06-01 16:43:15 | ひとりごと。
小雨のそぼ降る日曜日、高校の同窓会へ。5年ぶりのクラス会です。
場所は池袋サンシャインシティ58階のレストラン、お料理も美味しく、楽しいひととき。

担任の先生が還暦ということで一同オドロキつつも、真っ赤なポロシャツをプレゼントしました。照れつつも受け取ってくださる先生♪お似合いです(^_^)v
当時は確か30歳の「青年」でいらした先生、担当は数学、ムズカシカッタ^^;
今でも現役で教壇に立っていらっしゃる。恩師の年をはるかに^^;越えてしまった私達です…
女子高だったので、1クラス52名全員女の子。今回は25名の参加、麗しく年齢を重ねた美女が集まり、華々しさでいっぱい。


クラスメートたちと話していると、次々にいろいろなシーンが思い浮かんでくる。

…あんなことあったね、あの時ああだったね!違うわよあの時はね、~だったのよ、
えっ知らなかった!だから~で~だったじゃない?ああそうだった、覚えてる!


あとからあとから話すたびに記憶が呼び戻される。いったいどこにしまってあったのだろう、この記憶の束は!


…「記憶」について、少し考えてみた。


…「その人らしさ」を支えるのが「記憶」だと思う。

何もしないで手に入れられるものでもなく、自らの中にもともとあるものでもない。
全てを覚えていることはできないために、記憶とは本質的に不完全なもの、
でも不完全ながらも自分の中にとどまって、現在の自分の土壌となっているものが記憶の正体、ではないか。

思い出=記憶していること、は過去のものではない。それは既に過ぎ去ったもののことではなく、むしろ過ぎ去らなかったもののこと、
胸のうちにとどまり、今を生きる自分と常に並走している。


心の中の庭にしっかり植え込まれ、はぐくまれたいつまでも枯れない花、
記憶の園に咲く花。それは様々な色、様々な形を持ち「思い出」と呼ばれる。


過去に蒔いた記憶の種子は、年月というあたたかい土の毛布の中にしっかりと留まり、
今日、咲いていることを省みられた。

そしてまたしまわれる、花園の扉を閉じる。でも、いつでも開けられる。





次回は、私と、仲良しのカオルちゃん、カナちゃんの3人組で幹事をやることになりました。


カナちゃんが現役の国際線スチュワーデスさんなので「つきは香港あたりで」などという剛毅な発言も出たり(^_^)v
または「伊香保温泉」あたりもいいかも、などと、すでに心は次回へ向かっています。



次回3年後、ふたたび記憶の扉を開ける日まで

先生、みなさん、どうか元気で!みんなみんな、大好きだよ!



(^^)/~~~






コメント
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