生まれ育ちについての例として、こんな話を聞いた。
あまりに挨拶をしない学生がいるので、なぜ挨拶をしないのかとただしたところ、
「今までしたこともないし、されたこともないから。」
こんにちは、さようなら 程度のことはこちらから言えば返すのみ。
自分からすることはない。「挨拶はお互いに、自分から声をかけるようにしよう」と言ったところ
きょとん、としている。「なんでですか。」と質問された。本当にわからないようだった。
結果からいうと、育った環境が複雑で、普通に挨拶をするということが身についていなかった。
食事の時の「いただきます」「ご馳走様」、
外出するときの「行ってきます、「ただいま」それに対しての「いってらっしゃい」「おかえりなさい」
など、今まで言ったこともないし、誰かに言ってもらったこともなかった。
誰かに、というのは家族のことだけど、「挨拶をしない」家族だったらしい。
それだけでなく、「ありがとう」に対しての「どういたしまして」、「ごめんね」に対して「気にしないで」、
寝る時の「おやすみなさい」、朝起きた時の「おはよう」など。
その時々のあいさつ言葉を言ったことがない。
さらに、とんでもない非常識なことを平気でやっていて、それでいいと思っていた。
例えば、消しゴムが無い場合は隣の子の消しゴムを「使う。」そして返さない。
理由は「そこにあったから。」「自分が使いたいから。」
じゃあ、あなたが使ったら、その子は使えなくなるよね?それはいいの?と聞くと
「さあ。」と、知らん顔をしている。「貸して」ってどうして言わないの、というと
だめって言われたらいやだから。なんだその理屈・・・
人の前(本当に直前)をさーっと通って行く。「失礼します」などは一切ない。
プリントなどを渡すときも、片手でかっぱらうように持って行く。
ある日その子が筆記用具を忘れていたので先生が手持ちのボールペンを貸した。
授業後、さすがに先生のペンはとったらまずいと思ったのか、返しにきた。
先生が「そこ(教卓)に、置いておいてください。」と言ったら、
お礼もなにもなしに、教卓の上にぽん!と投げ置いてすたすた行ってしまった。
投げる、って・・・・人の物を。しかも、借りたものを。ましてや、お礼を言わない・・・
こんなふうに、例をあげるとキリがないのです。
原因は、今までの養育環境、すなわち「教えてくれる大人が周りにいなかった。」これにつきる。
特に幼少期のしつけ、家庭環境によって、こんなことになってしまうんだ。
そして、もう二十歳にもなってしまえば、本人が自分で気づいて変わろうとしない限り
そのまま「大人」になってしまう、ということ。
さらに言うと 余程の事がない限り、自分で気づくということはほぼ無いに等しい。
学校で、いくら「挨拶は大切です」「明るく挨拶しましょう」などと繰り返しても、
小さい頃から繰り返していなければ、必要性を理解できない。理解できなければ、
単なる押し付けに感じてしまい、押し付けられたことは結局「その場だけ」になり
習慣として身に着くなどということは絶対にない。学校で躾はできない、というのはそういうこと。
その子たちがいつか親になれば、自分が「知らない」ことは、教えられない。
そうして「挨拶をしない、知らない層」が定着していく。
挨拶をするかしないかで、家庭環境がわかるし、もっと言えば学力がわかる。
きちんと挨拶する子、字がしっかりしている子はおしなべて学力が高い。
日本も格差が広がっている、格差社会だなんだと言われて久しいが、
経済的格差より、このような教育の格差の方が怖いことだと思う。
しかし 経済的格差と教育の格差は連動してもいる。
体感としては、前述のような子って以前はごくまれにいた、程度でしたが
ここ2~3年で 結構な割合で「増えている。」
なぜだろう、なんでだろう・・・・
ただ、一縷の望みがあるとするならば☆
学校で、学校と言うのは小中学校、高校、その他塾でもどこでも
「先生」が「こうですよ」「こうするんですよ」と根気よく教えると
それをしっかり覚えて、すぐやってくれる子も増えている。
なんというか「素直。」ただ単に「知らなかった」から、「知ることができて嬉しい」という感じ。
借りたものを返すときは、相手の方に向けて「ありがとうございました」と両手で渡すこと。
そういうと、「あっ、そうなんですね。」と言ってそうやってくれる。
そして受け取って、「はい、よくできました」と言うと、嬉しそうにしている。
10人に一人でもいい、20人に一人でもいいです。
こうやって、今まで知らなかった=だからできなかったことでも、きちんと覚えてくれれば。
教育というのは、種を蒔くことに等しい。そして、種を蒔くことしかできない。
芽吹いて、花を咲かせ、身を付ける所までは見ることができない。
だけどいつかそうなることを信じて、種を蒔き、水を与えて陽当たりを良くし、自分の力で殻を破って芽を出すことを祈るのみ。
誰にでもその力はある、必ずあると思ってる。
生まれ育ちだとか、経済格差だとか、そんなことに負けるな、若者よ!
(@^^)/~~~
あまりに挨拶をしない学生がいるので、なぜ挨拶をしないのかとただしたところ、
「今までしたこともないし、されたこともないから。」
こんにちは、さようなら 程度のことはこちらから言えば返すのみ。
自分からすることはない。「挨拶はお互いに、自分から声をかけるようにしよう」と言ったところ
きょとん、としている。「なんでですか。」と質問された。本当にわからないようだった。
結果からいうと、育った環境が複雑で、普通に挨拶をするということが身についていなかった。
食事の時の「いただきます」「ご馳走様」、
外出するときの「行ってきます、「ただいま」それに対しての「いってらっしゃい」「おかえりなさい」
など、今まで言ったこともないし、誰かに言ってもらったこともなかった。
誰かに、というのは家族のことだけど、「挨拶をしない」家族だったらしい。
それだけでなく、「ありがとう」に対しての「どういたしまして」、「ごめんね」に対して「気にしないで」、
寝る時の「おやすみなさい」、朝起きた時の「おはよう」など。
その時々のあいさつ言葉を言ったことがない。
さらに、とんでもない非常識なことを平気でやっていて、それでいいと思っていた。
例えば、消しゴムが無い場合は隣の子の消しゴムを「使う。」そして返さない。
理由は「そこにあったから。」「自分が使いたいから。」
じゃあ、あなたが使ったら、その子は使えなくなるよね?それはいいの?と聞くと
「さあ。」と、知らん顔をしている。「貸して」ってどうして言わないの、というと
だめって言われたらいやだから。なんだその理屈・・・
人の前(本当に直前)をさーっと通って行く。「失礼します」などは一切ない。
プリントなどを渡すときも、片手でかっぱらうように持って行く。
ある日その子が筆記用具を忘れていたので先生が手持ちのボールペンを貸した。
授業後、さすがに先生のペンはとったらまずいと思ったのか、返しにきた。
先生が「そこ(教卓)に、置いておいてください。」と言ったら、
お礼もなにもなしに、教卓の上にぽん!と投げ置いてすたすた行ってしまった。
投げる、って・・・・人の物を。しかも、借りたものを。ましてや、お礼を言わない・・・
こんなふうに、例をあげるとキリがないのです。
原因は、今までの養育環境、すなわち「教えてくれる大人が周りにいなかった。」これにつきる。
特に幼少期のしつけ、家庭環境によって、こんなことになってしまうんだ。
そして、もう二十歳にもなってしまえば、本人が自分で気づいて変わろうとしない限り
そのまま「大人」になってしまう、ということ。
さらに言うと 余程の事がない限り、自分で気づくということはほぼ無いに等しい。
学校で、いくら「挨拶は大切です」「明るく挨拶しましょう」などと繰り返しても、
小さい頃から繰り返していなければ、必要性を理解できない。理解できなければ、
単なる押し付けに感じてしまい、押し付けられたことは結局「その場だけ」になり
習慣として身に着くなどということは絶対にない。学校で躾はできない、というのはそういうこと。
その子たちがいつか親になれば、自分が「知らない」ことは、教えられない。
そうして「挨拶をしない、知らない層」が定着していく。
挨拶をするかしないかで、家庭環境がわかるし、もっと言えば学力がわかる。
きちんと挨拶する子、字がしっかりしている子はおしなべて学力が高い。
日本も格差が広がっている、格差社会だなんだと言われて久しいが、
経済的格差より、このような教育の格差の方が怖いことだと思う。
しかし 経済的格差と教育の格差は連動してもいる。
体感としては、前述のような子って以前はごくまれにいた、程度でしたが
ここ2~3年で 結構な割合で「増えている。」
なぜだろう、なんでだろう・・・・
ただ、一縷の望みがあるとするならば☆
学校で、学校と言うのは小中学校、高校、その他塾でもどこでも
「先生」が「こうですよ」「こうするんですよ」と根気よく教えると
それをしっかり覚えて、すぐやってくれる子も増えている。
なんというか「素直。」ただ単に「知らなかった」から、「知ることができて嬉しい」という感じ。
借りたものを返すときは、相手の方に向けて「ありがとうございました」と両手で渡すこと。
そういうと、「あっ、そうなんですね。」と言ってそうやってくれる。
そして受け取って、「はい、よくできました」と言うと、嬉しそうにしている。
10人に一人でもいい、20人に一人でもいいです。
こうやって、今まで知らなかった=だからできなかったことでも、きちんと覚えてくれれば。
教育というのは、種を蒔くことに等しい。そして、種を蒔くことしかできない。
芽吹いて、花を咲かせ、身を付ける所までは見ることができない。
だけどいつかそうなることを信じて、種を蒔き、水を与えて陽当たりを良くし、自分の力で殻を破って芽を出すことを祈るのみ。
誰にでもその力はある、必ずあると思ってる。
生まれ育ちだとか、経済格差だとか、そんなことに負けるな、若者よ!
(@^^)/~~~