BC信濃、新監督に柳沢氏就任へ 松本出身
プロ野球独立リーグ、BCリーグの信濃グランセローズの新監督に、今季まで楽天の2軍バッテリーコーチを務めた柳沢裕一氏(47)が就任することが2日、分かった。
柳沢氏は松本市出身で、県内出身者が監督を務めるのは初めて。球団は近く正式発表する。
柳沢氏は同日、取材に「地元出身で初めて監督を任され、意気に感じている。優勝できるチームをつくっていく」と意気込みを語った。
柳沢氏は松商学園高校(松本市)、明治大で捕手として活躍し、1994年にドラフト2位で巨人に入団。99年にオリックス、2001年に中日に移籍し、06年に退団した。
通算204試合に出場し、67安打、1本塁打、17打点。16年から楽天の2軍バッテリーコーチを務めた。
信濃は今季、リーグ2連覇を目指して臨んだが、前後期とも優勝を逃した。
本西厚博監督(56)の退団決定後、球団は西地区3位の4・75と低迷した防御率の改善を託せる人材を探し、県内出身でNPBでの指導経験もある柳沢氏に就任を打診した。
信濃の竹内羊一球団社長は「今季の課題だったバッテリー陣の強化において適任の指導者」と強調。
「県内出身者として、球団が地域に根差す活動の先頭にも立ってほしい」と話している。
信濃毎日新聞 2018年11月3日付より
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/5e/d1/d09003696f4cc9b6bd00812d7c34b68d.jpg)
待ってました!ですよ。
柳沢裕一選手、大好きだったもんなぁ。
松商学園から明治大学に進んで、東京六大学リーグ優勝はもちろん、全日本のメンバーにも選ばれた逸材です。
強肩・強打が買われて、1993年のドラフト2位で読売ジャイアンツに入団。
その後、オリックス-中日と渡り歩きました。
柳沢選手が一躍注目を浴びたのは、中日時代です。
谷繁捕手の2番手捕手として、大活躍。
「スーパーサブ」 の称号が与えられましたよね。
2004年、対巨人戦でタイムリーを放ち、ヒーローインタビューで「僕はジャイアンツを出された人間ですから…何とか今日まで活躍できたことが…すごい嬉しかったです」と涙を浮かべながら語ったことが忘れられません。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/19/28/389e184e11fcd91a43a94e468f7e7e7b.jpg)
近年は、楽天で2軍コーチを務めておりました。
しかし、来年のコーチングスタッフの中に、柳沢氏の名前はありませんでした。
今後どうするんだろう?
と思っていた矢先、信濃GSの監督就任発表です。
これは、取締役会長 飯島泰臣氏の影響大ですね。
飯島会長は、松商学園-明治大学と柳沢監督とまったく同じ経歴。
かつて、明大野球部の主将まで務めた重鎮です。
この人に頼まれたら、断れませんよね。
今年は、イマイチ、信濃の応援に力が入りませんでしたが、来年は楽しみですよ。
初の長野県出身監督に期待しましょう!
プロ野球独立リーグ、BCリーグの信濃グランセローズの新監督に、今季まで楽天の2軍バッテリーコーチを務めた柳沢裕一氏(47)が就任することが2日、分かった。
柳沢氏は松本市出身で、県内出身者が監督を務めるのは初めて。球団は近く正式発表する。
柳沢氏は同日、取材に「地元出身で初めて監督を任され、意気に感じている。優勝できるチームをつくっていく」と意気込みを語った。
柳沢氏は松商学園高校(松本市)、明治大で捕手として活躍し、1994年にドラフト2位で巨人に入団。99年にオリックス、2001年に中日に移籍し、06年に退団した。
通算204試合に出場し、67安打、1本塁打、17打点。16年から楽天の2軍バッテリーコーチを務めた。
信濃は今季、リーグ2連覇を目指して臨んだが、前後期とも優勝を逃した。
本西厚博監督(56)の退団決定後、球団は西地区3位の4・75と低迷した防御率の改善を託せる人材を探し、県内出身でNPBでの指導経験もある柳沢氏に就任を打診した。
信濃の竹内羊一球団社長は「今季の課題だったバッテリー陣の強化において適任の指導者」と強調。
「県内出身者として、球団が地域に根差す活動の先頭にも立ってほしい」と話している。
信濃毎日新聞 2018年11月3日付より
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/5e/d1/d09003696f4cc9b6bd00812d7c34b68d.jpg)
待ってました!ですよ。
柳沢裕一選手、大好きだったもんなぁ。
松商学園から明治大学に進んで、東京六大学リーグ優勝はもちろん、全日本のメンバーにも選ばれた逸材です。
強肩・強打が買われて、1993年のドラフト2位で読売ジャイアンツに入団。
その後、オリックス-中日と渡り歩きました。
柳沢選手が一躍注目を浴びたのは、中日時代です。
谷繁捕手の2番手捕手として、大活躍。
「スーパーサブ」 の称号が与えられましたよね。
2004年、対巨人戦でタイムリーを放ち、ヒーローインタビューで「僕はジャイアンツを出された人間ですから…何とか今日まで活躍できたことが…すごい嬉しかったです」と涙を浮かべながら語ったことが忘れられません。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/19/28/389e184e11fcd91a43a94e468f7e7e7b.jpg)
近年は、楽天で2軍コーチを務めておりました。
しかし、来年のコーチングスタッフの中に、柳沢氏の名前はありませんでした。
今後どうするんだろう?
と思っていた矢先、信濃GSの監督就任発表です。
これは、取締役会長 飯島泰臣氏の影響大ですね。
飯島会長は、松商学園-明治大学と柳沢監督とまったく同じ経歴。
かつて、明大野球部の主将まで務めた重鎮です。
この人に頼まれたら、断れませんよね。
今年は、イマイチ、信濃の応援に力が入りませんでしたが、来年は楽しみですよ。
初の長野県出身監督に期待しましょう!