しゃちくんは野良猫ブログ

30年以上前になりますが自分探しのためにバイクで日本一周。
そして今、会社を畳んで田舎暮らしの準備中です。

17歳まで生きたチー

2009-06-02 20:50:00 | 
 昨年の4月に眠るように死んだ 実家のチーは享年17歳だった。

この写真は15歳くらいだろうから、いつまでも若々しい女の子であった。

私が川口市で一人暮らしをしてる時代にチャーボーと言う野良猫が生んだのが、このチーである。だから子供時代などもあまり知らないし、接する時間も無かった。

臆病で気難しい面があり、抱っこが嫌いで随分と練習もしました。

2度の出産を経験して避妊の手術を受け、小さな子猫と一緒に現在の家に引っ越しも経験している。新居では腰が抜けてしまい、子猫は家中を探険してた。

最後の頃は3日おきに点滴をしてもらい、こたつや電気アンカで体温を維持してたけど、みんなが心配で会いに来てくれたら安心して旅立ちました。

江戸川区には広済寺というペットの火葬をしてくれる場所があります。以前は両国の回向院で火葬してもらいましたが、近くて便利になりました。しかも両親が墓地を所有してるので檀家でもあるのです。

姪と甥も骨を拾いました。小さな骨壷に納まり納骨堂に写真と好物のエサをいれて祀られています。合同での法要も行われますよ。

とにかくすごい世界である。私も近所のセレモニーホールに頼んで使用済みの花をたくさんもらっては、「ここまでやるのはうちくらいでは?」と言うほどに段ボール箱の中のチーは花に囲まれている。私のセンスによってきれいに配置された色とりどりの花は、母と義姉と妹によって全て手直しがされて完璧だ!

火葬の予約はびっしり埋まるくらいだから、待合室である畳敷きの大広間にはたえず4組の家族がいる。家族みんな礼服を着てはまるで人間の赤ちゃんでも抱くようにきれいな布に包まれたビーグルは静かにテーブルの上に寝かされた。
うちのチーは花に囲まれてはいるが、有田みかんの段ボール箱にはパソコンで花柄の便せんに名前と住所と電話番号を大きく印字した紙をベタベタと貼り、畳の上に置かれたそれはいかにも死んだ猫が入っている、そんな感じにしか見えない。

救われるのは、よその家族が見に来ては「きれいですね!まるで寝ているみたい」と話し掛けてくれる事だ。どこの家でも家族同然に暮らしていたのだから、飼い主のいでたちや段ボール箱のみすぼらしさは関係ないのである。ここで火葬されては家族に骨を拾ってもらえるペットは幸せなのである。

甥や姪が生まれる前から生きてきたチーの死は、子供達の記憶にもしっかりとインプットされたようである。実家に行くとついついチーを探してしまう習慣はみんな同じ。風呂場の蓋の上にいるかな?こたつの中にいるかな?今日もまたチーを探していたと、みんないつもの癖にクスクスと笑っています。
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ゲドウな野郎

2009-06-02 06:35:39 | 日記
 ゲドウと言っても人の道から外れる事では無くて、いつも高速道路はあまり使わない一般道を走る下道(ゲドウ)の事でした。

 セコイから?一人旅だから?高速に乗れない原付だから?

 まあどれも正解になるのですが、高速道路は目的地に早く到着するためにまわりの景色とかは関係がない走りになるので、ただ距離と途中のインターチェンジをやり過ごすだけの味気ない走りになりがち。遠くに行く時や早く帰りたい時は高速にすぐに乗ってしまうので下道(ゲドウ)なんて言葉を得意になって使う資格は無いのかも知れないが、結構いるんですよね~下道が好きな人!

 近年すごい勢いで増えているのが「道の駅」なんですが、下道愛好家にとっては国道を走る旅が確実に快適になっている。注目され始めてる車中泊なんかにはもってこいの場所だし、ライダー向けにテントサイトなんか設置してくれればさらに有難いのだが、騒音とかで眠れないかな?キャンピングカーは多いですよ。

 近年、お盆休みはトラックにバイクを積んで林道に走りに行ってます。夜の国道4号をひたすら走り、眠くなったら荷台で寝てしまう。近年の夏の暑さは耐えがたいものがあり35度を超える日中は正直バイクで走りたいとは思わない。
 那須町に入っても気温が35度を表示してた2年前の夏は、暑さから避難するように標高の高い場所へと渋滞が続いてたっけ。夏の軽井沢、秩父、国道20号はいつも渋滞しているのでバイクですり抜け走行は地獄である。

 下道で好きなのは夜の国道4号と17号かな?あの首都圏脱出の感覚は道がだんだんと空いてきて、気温も熱帯夜から脱出して少しずつ涼しくなる。このままどこまでも遠くに走って行きたい、そんな衝動に駆られるのだが夜露に濡れてびしょびしょかベトベトになるのは不快である。

 原点は原付のバイクなのです。ヤマハGT-50(ミニトレ)ではとにかく国道を走りまわりましたね。RZ-250に乗り換えても貧乏な高校生ライダーはあまり高速は使おうとしないし有料道路も避けて走る癖が今でも抜けていないみたい。

 下道は街に入り、街を出る感触を肌で感じさせてくれた。今は混雑緩和でバイパスが整備されて全国のどこにでもあるチェーン店の出店でとても味気ない道になり下がってしまってるが、旧道なんか走ればまだまださびれた街を味わうことも出来るし、昔の国境いみたいなものを感じることさえある。
 このノスタルジーこそが下道の味わいであり、地方の再生のカギでもあるのではないだろうか?

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