
どうでもよい個人的なことです。
トラックの車内から荷締めロープやベルトをレジ袋に入れて空っぽにした。
自賠責保険は代理店の兄から更新手続きしたので残りの諸費用を現金で用意して
自動車税の納付証明書は車検証入れに入ってた。
荷台に自転車を積んでGSで燃料を満タンにしてから修理工場へトラックを持ち込んだ。
自転車は帰りの足です。
前回は年間走行距離が3,000kmだったが今回はたったの1,800km。
14年も乗ってオドメーターは68,000kmです。
トラック・重機の買い取り会社の名刺がいつも挟んであるしね(-_-;)
修理工場がヒマな時期にでも荷台の床板をすべて張り替えてもらうつもりです。
二重張りしても荷台に乗ると床が抜けそうなほどに傷んでいるし
アオリを固定してる根太も傷んでいてヤバくなってるし。
同業者のトラックも買い替えができないからと荷台を張り替えたら材料費だけでも20万円は掛かったそうです。
父が亡くなってから長尺合板を上から張り、これが腐る前に新車に買い替えるなんて思ってたのに
とてもそんな余裕がなくなっている。
ガソリンエンジンなのでこの先20年でも30年でも乗ってやろうとの覚悟を決めた(笑)
6年前はこのトラックで被災地へ2度走っている。南三陸町は往復1,000km。
1度目は避難所の引っ越しでした。(高速道路は¥1000で乗り放題)
2週間後には福島にプレゼントしたセレナでボランティアへ通ってます。
被災地は雨の為、屋外でのボランティアが中止となり犠牲者の遺品となった写真の整理を手伝う。
その翌朝に父が脳梗塞で救急搬送してやがて亡くなる。
納骨を済ませてから気持ちを切り替えるために再び被災地を目指した。
OSB合板一山を支援するため荷台に積載して町会長から託された支援物資も積み込み
仮設の南三陸町役場から高速料金無料の書類をFaxしてもらい地元の区役所で申請した。
正規の高速代は片道¥8,000程だったかな?民主党政権のダメなところです。
子ども手当なんてバラマキをやめて被災地へ向かう高速代を無料にするべきだったのです。
フォトチャンネルブログの右上にもあります。
そんな思い出が詰まったトラックを大事に乗りたいと思います。