しゃちくんは野良猫ブログ

30年以上前になりますが自分探しのためにバイクで日本一周。
そして今、会社を畳んで田舎暮らしの準備中です。

自分で出来る事

2017-03-31 17:47:30 | 仕事のはなし
2週間前に車検を受けたばかりのトラックのエンジンが掛からなくなった。

仕事がヒマだと駐車場に停めたままで乗らなくなってしまうから。

新築の仕事が動き始めたのに動かないトラックが目の前に置いてあり

配達のたびに駐車場から軽トラを引っ張り出す始末です(-_-;)

元々始動性のよくないガソリンエンジンのセルを回してアクセルペダルを踏んでも

アタリが来ないのです。

自分で出来る事はバッテリーの充電とプラグの掃除くらいですので



フル充電してみたがエンジンは掛からなかった。

座席の下にあるエンジンを点検しようとチルトキャブ機構を操作するが開けられない?

もう限界だと感じて整備士の方に来てもらいました。

応援用の大きなバッテリーからブースターケーブルで繋いで

セルを回しながらアクセル踏み込む。

ブスブスとアタリが出て白煙を吐きながらエンジンが始動した。

整備士の方からも「とにかく乗ってください。でないと調子を落とします」

分かっちゃいるけど仕事がヒマなんだもん!


昼前に問屋から荷物が届いた。

トラックの後ろにフォークリフトがあるのでトラックを移動しないとリフトが使えなかったのです。

欠品してから1か月ぶりに針葉樹合板が入荷した。



日本一の建材問屋でも集荷できない時代です。

国内で生産する針葉樹合板は住宅メーカーやパワービルダーが青田買いしているのかな?

生産過剰は値崩れの原因だから工場と年間の売買契約をしないとならないのか???

物余りなのに変な現象です。


午後からは集金して銀行へ行き(小回りの利く軽トラを使用)

トラックに乗り換えてから浦安の市場へ仕入れに行った。

月末と年度末が重なり、忙しい一週間でした。


コメント (4)
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福島の復興が大きく前進するよ!

2017-03-31 08:17:50 | 拡散希望
福島の危険を煽る奴なんて糞くらえ!

今日明日でこれまでで最大規模の住民の帰還が始まります

避難住民の多くの自宅が無事なので復興は早い筈です。

東京23区の合計面積621㎢に対して浪江町223㎢、飯舘村230㎢と大きな町や村です。

浪江町、飯舘村、川俣町、富岡町 4つの町村の一部を除き

対象となる住民の数は3万2千人とこれまでの最大規模。

原発事故から6年が過ぎてやっとここまで辿り着けましたね。

運転を停止した原発や人口減で仕事を失い戻って来れない住民もいるだろうけど

少しずつ以前の町の賑わいを取り戻してほしいものです。


私は先の見えない材木屋の仕事と福島を重ね合わせております。

諦めずに頑張れば何かしらの答えが見えるはず。

近いうちにキャットフードを届けて来ようと考え中。

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活動家では復興は無理だよ!

2017-03-31 00:10:20 | 主張
原発事故の影響で人が住めなくなった地域で牧場をされていたYさんの事は何度も書いてきた。

家畜たちの移動は禁止された。

警戒区域の中にいる家畜たちは死ぬのを待つしかないのですよ…なぁ、菅直人!

そんな状況の中で牛を救い続けたのが「希望の牧場」代表のYさんでした。

風評被害で商品価値のない家畜は殺処分すれば東電から補償金がもらえる。

その保証金で新たな土地での酪農を再開する方も居た。

将来に悲観して自殺した牧場主も居た。(マスコミはこればかり強調してるけど)


「牛飼い」のプライドが許さないと「決死救命」をスローガンに牛を救い続けたYさんに感動した。

ブックマークしてブログの更新を楽しみにしてた。

「にゃんこはうす」へ通うようになり距離的にも近い希望の牧場に行きたかった。

こういう大きなブログには沢山のコメントが寄せられる。

「うちのとらまる」さんのブログもそうだった。

「応援してます!」と言いながら理由を付けて現地には行けませんけど…という手合いばかり。


「希望の牧場」は人が住めない浪江町にあった。

震災から2年が過ぎた頃、すべての警戒解除によって警察の検問から警備会社による検問に移行した。

住民が自由に自宅に帰る事が出来るのだから今後は住民主体で復興が進むだろうし

圏内の猫の問題も住民が何とかするだろうと考え私も福島通いを終わりにしようと考えた時期だった。

「にゃんこはうす」を拠点に活動するボランティアさんも2手に分かれたのでね。

郡山から連れてきた子猫が持ち込んだパルボウィルスに怒った「おやじさん」にも会いたかったし

福島通いの最後に圏内を見ておきたかったのです。


南相馬市から浪江町に通じる県道にはやはりゲートで通行止めになっていたけど

すぐ横に砂利敷きの脇道がありそこが「希望の牧場」の入り口になってた。

牧場の敷地は立ち入り禁止の警戒区域内にあるけどこんなからくりがあったのです。

被ばくした牛を実際に見てみますと普通の牛でした。

「にゃんこはうす」にやって来る被ばく猫も同じですからねぇ~

東京から来てたマスコミの方が呼び出して代表のYさんが取材に応じてたのを側で聴いていた私。

youtubeでは観てたのですが直接お話を聞いたのは初めてです。

福島は東京の犠牲になった! ごもっともです。

俺たち酪農家は原発マネーの恩恵は受けていないぞ! ごもっともです。

原発に反対する人の訴えは一方的ですね(-_-;)


その後は国道6号線の検問で受付を済ませてから浪江町にあるおやじさんの自宅を目指した。

国道沿いにある築浅の大きな家、自宅の横は帰還困難区域の為に国道上にゲートがあり先には進めない。

ゲートの先にある津島地区にDASH村があるのです。

すぐに見つける事が出来ました。

勿論、避難生活中で現在も居住が始まってませんので不在でしたがやがて敷地内に犬舎を造り

犬猫の保護ボランティアさんの拠点となりました。

にゃんこはうすでお会いしてたくぅさん、ぽんぽんさん、まおさんもこちらに通ってるらしい。

おやじさんはたった一人で置き去りになっている犬を救い続けてました。

現在も復興推進メンバーとして活躍中ですね。

浪江町帰還準備区域内の野良猫は役場の許可を得た給餌箱を設置してTNR活動をしてます。

いずれ町に住民が戻ってくる前提での活動に力強さを感じます。

原発事故で避難してる方達が失った復興へかける情熱です。

三陸の津波被害で町が壊滅した住民の0から始める復興に比べたら

町中の建物すべてが無事だった福島は放射線量が下がればすぐに元の生活に戻れるのです。

ただし多くの住民がすべてを否定する原発反対を叫ぶから前に進めないでいるとの印象です。

おやじさんとはにゃんこはうすで一時的に犬を保護してた時期に何度も会話をしてた。

左側のブックマークにある「3,11レスキュー日誌」で活動内容を読んで下ると嬉しいです。


おやじさんの家を後にして福島第一原発が見える場所にも行った。

先程希望の牧場を取材してたマスコミの方も同じように行動するから何度も見かけた。

原発のある双葉町にはバリケードがあって入れないのです。(現在は国道6号線で通過できる)

被ばくしてない牛を見て、人が住めない町を自分で見て空気を吸い、福島の安全を実感しても

そのままの真実を書いた雑誌では売れないだろうから悲観的な文章でまとめられたはずです。

私がマスコミを嫌う理由はここです。


ブログを読んでいると希望の牧場の代表者Yさんが原発反対を強く叫ぶようになっていった。

食肉用に出荷する牛を育てる期間はせいぜい2年くらいかな?

被ばくの影響で長生きできない筈の牛たちにこれといった被ばくの症状が表れない。

牛の寿命が20年としたら商品にならない300頭の牛をこれから飼育していかなければならない。


東京の霞が関まで出掛けて関係省庁の前で原発反対を叫ぶ活動が始まった。

あるとき、震災後に生まれた被爆2世となる子牛を搬送用の4tトラックに乗せて

福島から東京へ高速を飛ばして霞が関に連れてきた。

原発の犠牲になった生き証人(牛だけど)としての子牛をトラックから降ろそうとしたが

激しく抵抗するし様子がおかしい。

同行した獣医師の先生から子牛の状態が危険だとドクターストップが掛けられた。

私には動物虐待だと感じた!

「牛飼いの意地だ!」って言葉が薄っぺらに聞こえる。

命を繋いだ牛たちは何のために生かされているのか?

関係者たちも答えを見失っていると思う。

もしもYさんがいずれ亡くなったら引き継ぐ人はいるのだろうか?


ドキュメンタリー番組で取材して検証してもらいたい。


半分、体験を交えた福島の記事を書き上げるのには数日を要します。

文章力の無さでうまく伝える事ができませんが私には福島の真実を伝えなければならない責任を感じる。


いつも長い文章を最後まで読んでいただき感謝しております☆

福島に明るい未来を!









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