Kaettekita 私が思う あのこと このことReturn(Get Back Part2)

進取究明。日々の雑感を気ままに綴る私なりに思い考え行い実践する不定期の記録。日蓮正宗とは一切関係なく私個人の見解です。

神社神道謗法論。

2022年11月08日 23時00分05秒 | 邪宗教キリスト教一神教・邪教占い・統一教会・神社神道・新興宗教・神様系・等々邪教
ここで申し上げたいのは、
我々、日蓮正宗信徒も、
「諸天善神」と申す神々、
それは、即ち、日蓮大聖人様も、釈尊、御釈迦様も説いて居られる、
「法華経」を守る守護する神々、良い神様は、全くと言っていい程、否定はしては居りません。逆に、御本尊様の前に於いて、題目三唱した後、初座は、最初にする御祈りは、太陽が昇る方角、東、東方に向かって我ら正宗信徒は毎朝、法華経を唱え、御題目も唱え、祈りを捧げて居ります。
大梵天様だとか、帝釈天様だとか、
その他、大日天王(太陽の神様)、
大月天王(月の神様)、
大明星天王(明けの明星、詰まり、金星の神様)、
他、
大御本尊様、我々が日々拝む、我が家の仏壇に
掛け下がって居る、御本尊様にも、
「天照大神」「八幡大菩薩」等々の、その他、神々が、他にも一杯、御本尊様に居られます。インドの神様だか王様だか、天台大師智顗、妙楽大師、伝教大師最澄等々の、偉い御僧侶方、大師号を頂いた中国・日本の天台宗の方々(この天台宗は元々は、法華経を重んじた宗派であり、大聖人様も、実に実際は、天台宗総本山比叡山延暦寺にて、宗教宗派を学ばれた、他、真言、禅、念仏、律、神道他、他宗他教も良ーく大聖人様は兼学、勉学為されて居る。シッカリ宗教を判った上で、破折、折伏為さって居る。神々を認めた上で、しかし、神社参拝は、決して為されなかった。それが今に繋がる、日蓮正宗宗門の伝統、歴史である。)にも勿論である。


丁度、我らも、朝の勤行(おつとめ)の、
五座の第一番目の「初座」におきまして、
その座では、「諸天善神への祈り」と言う御祈りが、
日蓮正宗独自の御祈りが、ちゃーんと御座いましてね、
それら、そうした、神々、一応、日蓮正宗でも、神への尊崇は、御座います。
けれども、一切、謗法の、神社仏閣へは、わたくし共はお参りはしない、賽銭も上げない、決して出来ない決まり、規則と言いますか、これは、原理主義とか言われたらそれまでですが、そうした決まりごとが我らには有る。大聖人様の御言葉にも「神天上の法門」というのがあり、鎌倉時代以降、天変地異が打ち続き、この地から、神々は完全に、天上界に上がられ去られた、この地上の、社等には、今では悪鬼魔神の棲家となって居り、絶対に拝むな、これは宗是であり、絶対信仰です、我ら正宗の。でも御本尊様の、紙幅にしろ常住板御本尊様にしろ、そこには、神々がお認め(おしたため)になって居り、そこには、常住に、神々が居られると、我ら日蓮正宗信徒は信じて居ります。邪宗日蓮宗は知りませんけども。
固く、宗祖日蓮大聖人様、第二祖開山日興上人様、第三祖日目上人様がた、御歴代の御正師方、御法主上人猊下様とのお約束、我ら信徒はそれらを固く護り誓い、守護護持せねばならぬ、務め義理、信義があるものですから、それに従うのみです。
これは、信じ抜いた者でしか分からないでしょう。これが真理と覚れるまで、私ですら、凡そ、邪教、創価、キリスト、今言った神社神道等をやった私ですら、やった甲斐は有ったのかないのか、できればやらない方が良いと大聖人様は申す。
とにかく、正宗にて悟るのに、二十年、三十年と言う日月日数年数の、長い、長過ぎる、膨大な、一日千秋の如くの、大謗法に気付くには、私なりの、時間日数が必要でした。
今は、大安心の境涯です。大真理の構造、メカニズムに気付けたわけですから。日々が安泰、安全、安寧に事が運びます。これは、実感として実際によく判ります。体感体得できると人に自慢もしますが、余り聞いてくれる人も居らず、自己満足で終わる感じです。
でもいいです。自己満足でも。自分が満足してるんだから、それ以上の幸せはないと、自身、納得尽くの、幸せ気分に、毎日がご機嫌な程幸せであり、今は、その幸せに浸り、浸かっています。
以上。よしなに。wainai
(まかろんさん、には、今度、このページを改めて見に来て頂き、御自身の、宗教宗派を見てゆく判断力を絶対的に養い、そんな、神社神道などの邪教から、一日も早く立ち去る勇気をお持ちになって頂ければ、その一心から、この長文を書いてみました。長文失礼致しました。今、私は、私のアカウントのある、Twitterにて、短文を練習・訓練中です。私も出来るだけ、短文の名手に成ります。以上、申し述べました。私は、ただじゃあ、転び、起きませんぞ!)

私の福島県立安積高校受験時代についての想い出

2022年11月08日 19時26分05秒 | 学校・教育への提言特集、注文・恩師への感謝・学生生徒時代の想い出
(これも、或る方へのメール送信記事だが、自身の希望に満ち満ちた?!中高生、高校受験時代の事が載ってる記事なので、想い出として、のっける事にした。のっける意味は、在ると思う。以下、その文章が続く。)

今日は私の中学校から高校受験のお話をしたい。
確かに、私は中学校時代、英語と数学が大の苦手科目でした。
では、そこからどうやって脱却したか?私ら母子の本当の戦いが始まります。
まず、私は基本中学では劣等生でした。
今言ったように、英語と数学はからきしダメでした。
しかし、他の教科、国語と社会と理科は大得意で、オール5でした。
私は基本、暗記物に強かったのです。
しかし、当時の中2の担任の先生は、私に岩農、岩瀬農業高校の進学を薦めました。私の学力の低さと、私の家の家業がペット屋だった為でした。
私と母はその時、岩瀬農業とはどこにある高校かと担任の先生に聞きました。
すると、福島県は鏡石町と聞いて唖然呆然としました。
そんなにうちの息子は馬鹿だったのかと。
ここから母と子の二人三脚の塾探しが始まります。
まず近所である事。不得意な英語と数学を教える教室である事。
そして、とうとう、母子ともに念願の塾を見つけ、通いだします。
それからです。私の成績がうなぎ登り、学校でもごぼう抜きの快進撃を見せたのは。
まず、県立郡山高校が眼中に狙える程の成績を修めました。
これでも足りず、尚も私は上を目指します。福島県立安積高等学校でした。
私は、その、郡山市立大槻中学校を大変優秀な成績で卒業致します。うちの校長先生も常に私の頑張りを褒め、我が校始まって以来の、劣等生から優等生に押し上がった生徒だと、びっくり為されて居りました。
三月に安積高等学校の受験試験を受けました。余り手応えがなく、私は落ちたものだとばかり思い、受験後、考えて居りました。
合格発表の日、私は敢えて、安高の発表には行きませんでした。とても受かる自信など無かったからでした。
その頃は、ラジオで、合格者速報という番組が、丁度昼11時か12時頃から、ラジオ福島で全県放送されて居りました。
私はかじりついて、イヤホンでその放送を聞いていました。
郡山地区は、最初に安積が真っ先に放送です。俄然、ラジオのボリュームも大きくなります。
段々男子の名前が読まれてゆき、私の中学校の生徒名までに達して行きます。
私は他人事のように、あの人も受かったんだ、当たり前だよな、あんなに勉強してたんだもんなあ、とこの時はあくまで他人事でした。
いよいよ、私の受験番号に差し掛かりました。
アナウンサーが、受験番号○○番、氏名○○、と言って私の名前が呼ばれた時に、その時ふて寝して布団に寝ていたものですから、驚いて飛び起きた訳です。やったー、と。
うちのお母さんも、最初のうちは、発表見に行かないと駄目よとは言って注意して叱ってはいたのですが、息子の自信のなさに、こりゃダメだと諦めていました。
突然大喜びしている私に父も母も、早く安高行っておいで、と、これも又、大喜びでした。
でも、一番に喜んでいたのは、犬なりに、何も分からないんだけども、ワンワンと吠えて、私にじゃれて来て構ってくれた、あの犬、シェルティー犬のメス犬、ラッキーだったんじゃないか、ご主人様のご機嫌な様子に、犬まで機嫌が良かった。
あの犬は正に、人が喜ぶとそれを二倍にし、人が悲しむと半分にする。
あの犬は、うちでは大変賢く、主人孝行だったので、きっと亡くなった今は、人間界に生まれて来ているんじゃないかと個人的には日々、思い続けて何十年も経つ。
以上。よしなに。wainai.