新興宗教の多くが、その宗教を開いた教祖が神がかりとなり、多くの人達を惑わし、信者を獲得していった。
天理教や大本、金光教、霊友会、立正佼成会、最近では幸福の科学なども、教祖が神がかりとなり、神秘のベール、化けの皮を被り、スタートした。
それら教祖らは一種の精神障害の妄想の症状の一種に侵されて、精神異常の状態でそうなったと、現代の医学的観点からは診断される。まともな状態ではないのだ。
正に、天才と物狂いは紙一重であり、宗教とはそんな狂った一面が見られる。
しかし、伝統宗教の中の仏教は、釈尊も日蓮大聖人も、極めて冷静に理知的に真理を悟り、妄想とはかけ離れた、現実的な考えに基づく教えである。
日蓮正宗の出発点もそこにあり、後世の昭和時代の初めの創価教育学会(のちの創価学会)の初代牧口会長も、決して神がかりとはならなかった。
それは二代戸田城聖会長も同じであった。ここまでは良い。
三代の池田大作になると、途端にオカルトじみて来る。
沖縄の少女に池田が会いに行く。事前に少女の事を下調べした池田は、初めて会った少女に知っている限りの事を自ら話す。驚く周りの信者達。「先生は何でも知ってるんだよ」と言う池田。そして、その時少女が一番欲しがっていたプレゼントを臆面もなく差し出し、池田は悦に入る。欺瞞と傲慢と嘘と虚飾に満ちたオカルト的演出。
池田が入場する前の会場前の桜。時期が早く、まだ開花までには時間がかかりそう。そんな時、学会幹部達が桜に集まり、何やらうごめいている。見ると、ドライヤー片手に、梯子に乗り、桜を強制的に咲かせようとしていた。
後日、池田が会場に現れる。そこには、昨日ドライヤーを当てた桜の花がちらほら咲いている。誰が言うともなく「池田先生は凄い。先生が入場しただけで、桜が満開になった」とアピール。
池田はピアノを奏でるエセ演奏家としても名高い。ある時、会場の真ん中に、不自然な程に場所を占領しているグランドピアノが。池田はスピーチの後、おもむろにピアノに近づき、ピアノ席に座り、一曲、壮麗なピアノ曲を披露する。その場にいた女子部男子部、婦人部などはうっとりと聞き惚れ、ピアノを弾き終わった池田に大拍手。
実は、これも裏のトリックがあり、実はピアノは自動演奏の代物で、そのピアノの調べに合わせて池田が如何にも自分で弾いているように見せかけた嘘のピアノだった。
とまあ、こういうオカルトチックな、新興宗教の要素を取り入れ、人を騙して嘘を教えるのが池田創価学会の真骨頂なのだ。