福島県郡山市は大槻町の、ふれあいセンター、で開かれた、歌会、短歌の会に出席した。
私の詠んだ歌を、先生はじっくり読み、選んだのが、次の一首であった。
「あぢさゐの花をめでつつ思ふのは 母の笑顔のことのみなりき」
この歌に、様々な意見、品評が為され、母に、「優しき」と付けたら、とか、思ふのは、を「偲ばれる」にしたら、等、皆さんの意見があったが、
先生は、実際に母に「優しき」と説明的に入れるのは、その歌会の所属する、アララギ派の、写生・写実主義に反するので、余り好ましくない、といい、偲ばれるでも良いが、ここは作者の意に沿いましょう、と言い、どこも、付け足したり、減らす所も無い、見事な歌だ、と仰られ、かなり先生にこの歌を気に入れられ、褒められた。私は母を思い、実際、涙が出そうになった。
あとは、凡作だが、書いたのが、
「時は過ぎ 令和の御代と 移りしは 少しも変わらぬ昭和の我なり」という短歌をも、事前に書いて来た。
先生は、身近な例を沢山挙げて、鑑賞のよすがとした。
とにかく、東北を中心として、短歌結社の雑誌「群山」という、東北大学の教授も務められていた、扇畑氏という方が、アララギ派を、東北で受け継ぎ、展開して、それが、全国にも広がっている。
とにかく、アララギ派の場合、手法は、一首の歌に、答えは出さない。あえて。という、作風で、あとは、読者、読む人に解釈を任せる。だから、説明的で、くどいのは、好まれない、感じ、感覚なのだ。
それも、元をたどれば、最終的に、俳句・短歌の巨人、「正岡子規」に行き着く、という話である。
この日は、私の歌から、先生の歌や先生の家族の歌、その場に居合わせた以前から来ている生徒さんの一首も品評された。
俄然、やる気にもなろうというもの。その際、文語体で行くのか、口語体で行くのか、どちらもありなのか(どっちも両方も有りというのは、先生は認めたかどうかは忘れたが)、を決めた方が良い、との先生の、ご意見も承った。私ならば、どっちかと言えば、文語体派かなあ。
毎月一回、第二日曜日に開かれる。段々、楽しみが増えて来て、人生が面白い、と感ずる今日この頃である。
なぜなら、俳句で学んでいることとそっくりなんですね。
短歌の先生は、正岡子規、土屋文明、島木赤彦、伊藤佐千夫、等々の、有名な歌人、を本当に短歌が好きなんだろうな、とこちらが思う程、真剣に、語られて居りました。勉強、一生、勉強なんだと思いました。