Kaettekita 私が思う あのこと このことReturn(Get Back Part2)

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「群山・郡山短歌会」おおつきふれあいセンターにて、11月11日土曜日、に行く

2023年11月11日 15時56分15秒 | 短歌・和歌・作歌、歌会。歌を作る、短歌を味わう。表現する。批評する。俳句鑑賞
 短歌の道を究めるべく、今月も、おおつきふれあいセンター(大槻公民館)にて行われた、短歌の会・学習会に参加した。長文失礼致します。

『短歌鑑賞編』

汗落(あ)ゆる野良着を庭に脱ぎ捨てて採りたて茄子(なす)に朝餉(あさげ)をつくる

 落ゆ、であゆ、と読む。「採りたて茄子に」で爽やかで美味しそうな感じが出ている。
 早朝の野良仕事。汗あゆる、で、汗が流れ落ちたんだけれども、庭に野良着を脱ぎ捨てて、美味しい、おそらく、茄子料理とは、この郡山短歌会では、きっとサッと作れる、味噌汁でも作ったのだろうか、さすがに茄子の漬物では無理だろう、との、そんな会話が広がった。
 それから、先生は、これを作ったのは、いわきの農家の女性であり、何歳くらいの方の歌だと思いますか?と聞き、私がその質問を受けて、七十歳位?と言うと、先生は「八十歳なんですよ」と言う。今の女性は強く元気だと、皆で納得した。

 短歌と言うのは、自分が作ったり、人の作品を鑑賞するのが基本姿勢。とは先生の御言葉。

 同じ人の、次の一首。五首の内の最後の歌。

『初期認知症』夫の診断諾(うべな)ひてゆとりの心に我も生きなむ

 「先生の意見」
 (本当に自身の運命を受けいれてゆくには、弱すぎる。「諾ひて」「我も」等が。もっともっと強く言葉を使わないとダメ)。

 先生の改作例。
 『初期認知症』夫の診断「呑み込みて」ゆとりの心に「共に」生きなむ(「」内が先生の改作部分の言葉)

 認知症を全て受けいれちゃう。心に認めて決意表明、決心をする、気落ちしていない。

 「諾(うべな)ひて」、とは、短歌の世界では、よく使われた、使い古された、手垢にまみれた、常套句。カッコ良さそうな言葉には使っていて見えるが、いかにも、と言うありふれた、誰でも使ってみたいと思いがちな、ありきたりな言葉。この女性の元々の言葉では無くて、選者が勝手に言葉代えしたのではないか?(先生談)

 写実・写生=アララギ派の基本。正岡子規が探求した事。
 アララギの場合、短歌に対して、難しく考えない。カンタン明瞭に考える。

 郡山歌会のSさん(男性)の作品。
 
時刻(とききざ)む夜光の防水父からの就職祝ひのなつかしきかな

 若い頃の話。「時刻む」。もしかしたら、この言葉にも、何か意味があるのかも知れない。宝物の腕時計。
 この最後に置いた、「かな」は、俳句では使われるが、短歌ではあまり使わない。「かな」ではなく「かも」が勧められるが、「かな」も、斎藤茂吉の歌にある事はある、と先生。

 結句・五句の「なつかしきかな」に作者の気持ちが表れる。最後をどうするか。例えば、先生の提案では結句に「父の眼(まなざし)」という表現方法もある、と言う事を提示。
 
 余り、一つ一つにこだわらない。歌は理屈ではない。要はどう感じるか=感動・思い。
 「作者」と「読者」の感動の共有。自分がこの歌に入ってゆく感覚。

 これが答えと、あえて答えを出さない。<正岡子規がそう語っている>

 そうして、私の一首が詠みあげられた。

郡山に住む母にとり この街は早稲田の街と母は信じつ

 私は当初、この歌に、句ごとに、点(、)を入れていたが、先生は、入れない方が良い。空白を入れる人はいるが、との御忠告を受ける。

 真実=目に見える事だけじゃなく、目に見えないものも真実。万人が認められるものかもわからない。=母には母の真実がある。

 あえて、おかあさんの真実だと受け取ってあげる。先ほど出て来た「呑み込んじゃう」。

 そうして、あえて、先生が手直しされた、私の一首は、

郡山に住む母にとり この街は早稲田の街と信じつつ生く

 と変ぜられ、私も「母」が、二つも出て来ていたクドい元の歌よりも、先生が直した歌の方がすっきりしていいと、了解納得支持を致して、この改作の作品が、次回の短歌雑誌「群山」に掲載され載る事になった。

 短歌とは、読者に分かってもらう。短歌は感動を与える印象も深い。

 何をここで言いたいのか?

 無駄な説明を連ねるのは無意味、感動こそが先に立つ。

 具体性、具体的に、短歌は簡単に、よーく観察する事が大切!

 社会詠=シニカル、皮肉ではなく、批判、それも明快に批判。賛成するならば賛成する。中途半端ではダメ。

 現代の戦争の歌。中東ハマスとイスラエル。東欧ウクライナとロシア等。
 そこに至るまでの深く詳しい歴史に知悉し、どこに問題があるのか。深い深い誰よりも掘り下げた透徹した洞察の探求心が必要。
 社会批判は難しい。それを単純化して考えるのが短歌。

 例:シンドラーのリストや、日本人でユダヤ人を何千人も救った外交官杉浦千畝(ちうね)など。=事実だから、それはそれで、良い。短歌としては詠める。

 先生は、自身の作品の歌に、六回も七回も、何回も推敲に推敲を重ねてから、作品が出来上がると言われた。

 勿論、最初から自分の才能を信じて、何も手を加えなくても出来上がる人もいると。

 最後に、先生に短歌雑誌「群山」に私の短歌の一首を載せてもらったので、ご紹介。

 ラジオより震災報道流れ来る未だ終はらぬ原発の処理 wainai

 今日は、天気は雨は今の所降らずに、最高な日和でした。短歌の実力も上がって欲しいですが、又もや、不作続きの、サボっている訳ではありませんが、歌が一首も浮かんでは来ません。
 これは、私が、静岡県富士宮市の日蓮正宗総本山富士大石寺へと参詣した前後にわたる事であり、本来ならば、その感激、感想、感動等を短歌の歌の一首にして、もう少し、読者の方々にも伝えられたらいいのに、との、焦りに似た、気分で一杯です。
 それよりかは、歌を作るよりも、毎日の、些末な日々の生活で忙殺され、一杯一杯である。何とも情けない、現在の現実のこれが私の現状です。
 再び、あゝ、情けなやー。 

以上。よしなに。wainai


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