(こちらの文章は、K前副講頭さんと、私との、玄侑宗久さんをめぐるメールでの対談、相談である。邪宗破折に役立つと思われるので、ここに転載致します)
(私のメール質問)2022年8月6日(土) 7:13
それから、僧侶で作家の玄侑宗久さんの事です。
私の地方の福島県では、
テレビ、ラジオ等々で、
玄侑宗久さんが大活躍です。
二、三日置きに、結構出演されている気がします。
私は彼が大好きで、いつも彼が出てくる時は、
耳をダンボにして、凄い集中力で聴きます。
玄侑宗久さんの本も、以前、エッセイ集か何か読み、
その仏教的、文学的な素晴らしさにこちらも打たれ、
感心しました。
今、図書館に行ったならば、多分、玄侑宗久さんの本を、
書架からチョイスして、借りてくると思います。
と言う事で、
その玄侑宗久さんの立ち位置というか、日蓮正宗信徒としては、
どう捉えたら良いのか、と言う質問です。
これは、天台宗僧侶の寂聴さんにも言えるんですが、(うちには寂聴さんの本があり、創価時代、買って読みました)、
玄侑宗久さんは、禅宗の、臨済宗の僧侶です。
言わば邪宗です。
この辺、どうなのか。
彼は、よーく仏教的に考えられた言葉をマスコミで発しています。
この前も、日本に住むイスラム教徒は、火葬義務の日本にはいたくない、本当は日本にも、もっと柔軟に、葬儀の在り方を、土葬も認める等、して欲しいと
提言されていました。
それをH田さんに言うと、とんでもない、と言う言葉が返って来て、
キリスト教やイスラム教は、遺体をミイラと同じに考え、
天国に彼らが行く時、遺体が残っていないといけない思想に依るものだ、仰り、
玄侑宗久さんを呼び付けで(笑い)、批判していました。
B場さんなども、玄侑宗久さんをお寺で批判しているのを聞いた事があります。
けれども、私は、玄侑宗久さんの、あの変わった、違った角度から、
皆が思っても見ない発想で話される、あの話術に引き込まれ、
もっと彼を知りたい、話を聞きたい、同じような発想、話し方が出来れば、
と言う憧れのような、彼は慶応義塾大学出身ですし、
そんなに悪い人じゃないんじゃないか、
私は、うちの御住職様も本当に、非常に大変ご尊敬申し上げており、
その何十分の一位の尊敬の念を、玄侑宗久さんに抱いているのであり、
けれど、それは謗法に当たるのか、と言う
問題に突き当たるのです。(この場合、二師に付く事はできない、御書)
玄侑宗久さんは福島県三春町出身の臨済宗福聚寺住職、芥川賞作家であり、
福島県では本当に福島の有名人です。今言ったように、露出、発信力は絶大です。
私も、新聞、ラジオ、テレビ、本、…等でお目にかかる機会が大です。
この難問に、Kさん、答えてくれませんか?
結論としては、私は玄侑さんが好きなので、彼に耳目を集め、彼の言う事に従う姿勢は、
私の趣味、思考からして変わらない、変えたくないです。
以上。よしなに。wainaiより。
(Kさんの返信)
危ないな。
玄侑さんについては以下のように整理してみます。
すなわち、魅力と破折です。
魅力は二つに分けて考えます。一つは「己心の魔」、一つは「学べるところ」です。
玄侑さんは邪宗の僧侶ですから、それに魅力を感じたならばまず「魔」と見破るか、少なくとも警戒しなければなりません。
玄侑さんについては以下のように整理してみます。
すなわち、魅力と破折です。
魅力は二つに分けて考えます。一つは「己心の魔」、一つは「学べるところ」です。
玄侑さんは邪宗の僧侶ですから、それに魅力を感じたならばまず「魔」と見破るか、少なくとも警戒しなければなりません。
彼の立ち居振る舞いですか?声・話し方ですか?
私も昔(入会当初)、若きりりしき池田大作の声やスピーチに魅力を感じたことがありました。
しかし、幸い徐々に彼の二枚舌や品性のない話がそうした魔力を解いてくれました。
一方、玄侑さんは大作さんなんかとは違い教養も品性もありますからなかなか「魔」と見破るのは大変かもしれませんね。
教養や品性だけを取り入れて、それに包まれたものは魔物であることに気づくべきでしょう。
一方、玄侑さんは大作さんなんかとは違い教養も品性もありますからなかなか「魔」と見破るのは大変かもしれませんね。
教養や品性だけを取り入れて、それに包まれたものは魔物であることに気づくべきでしょう。
もちろん、最も賢明な方法は近づかないことです。君子危うきに近寄らず。
そして、魔と見破るためにも、本来の正宗信徒としても、やはり邪宗破折が重要です。
彼の語る内容が「良いこと言ってるな」と思ったら、なぜそう思うのか分析すべきです。
そして、魔と見破るためにも、本来の正宗信徒としても、やはり邪宗破折が重要です。
彼の語る内容が「良いこと言ってるな」と思ったら、なぜそう思うのか分析すべきです。
それが、正宗で説いていることと同じ仏教の教え(法門)であるなら問題ないかもしれませんが、もし違っていればはっきりさせる必要があります。
自分で調べるなり御住職に質問するなりして明らかにしておくべきです。そして、禅宗の人をいつでも折伏できるようにならなければいけません。
禅宗に限らず(仏教に限らず)世の中に良いことを言う人は数多くいます。
禅宗に限らず(仏教に限らず)世の中に良いことを言う人は数多くいます。
しかし、残念ながらその「良いこと」を実践する方途が間違っているために、言うだけで終わるか地獄行きの修行に導くかになってしまうのです。