世の中の人で、神社仏閣を沢山巡り、「御朱印」なるものを集める奇特な人がいる。
これはハッキリ言って、日蓮正宗では謗法という罪を犯した事になるので、日蓮正宗信徒の私は決してやらない、やる理由がない。やる必要性を感じない。
御朱印を有難がり、ネットオークション等で御朱印帳が高値で取引されるのを見て、世も末だな、と思う。
幾つもいくつも、関連の無い、雑多な宗教宗派の印をもらいに長い列を並び、本人は有難い位に思っているんだろうが、それが魔、謗法。ちっとも有難くなんかない。
邪師邪義邪宗邪教邪説邪道邪法の害毒を一身に受け、その罰の怖さに考えが及ばない。余りに愚か。
日蓮大聖人は、鎌倉時代の腐った狂った世の中で、一人、南無妙法蓮華経の大法正法を説き切った。この世の悪、不幸の根源は間違った宗教にあり、と喝破し、為に、何度も大難、命に及ぶ程の難に遭われた。それでも退かず、自身の信念を貫き通した。この世の人々を大聖人様ほど深く憐れみ、慈悲の思いに立たれた方はいない。
世の、御朱印ブーム、一過性なのか、息が長いのか、まだ判別はつかないが、世の中には、宗教もブームになるのか、とそのえげつなさ、知恵の回りかねた浅知恵に深く憂慮を覚えるものである。