根強い御朱印ブーム
これまで御朱印は、年配の方の一部で密かな人気だった。それが最近では、趣向を凝らしたものが多くなり、男女老若の別なく御朱印集めのブームが続いている。
中でも、「世界で一つだけの宝物をいただく感覚」「日本の伝統や行事に詳しくなる」「旅の楽しみが倍増する」といったところに魅力があるようだ。
そんな御朱印だが、平成から令和へと時代が移る際には、渋谷区の明治神宮では最大十時間待ちとなった。三重県の伊勢神宮でも、参道周辺だけでも終日、神職が御朱印帳に筆を走らせる人気ぶりだったようである。
火付け役は誰?
こうした御朱印ブームの裏には、当然ながら寺社側の働きかけがある。
例えば長野市の善光寺では「切り絵御朱印」がもらえ、福岡市の紅葉八幡宮では、御朱印にスマホのカメラをかざすと神様が飛び出すアプリ「御朱印AR」まで開発されている。
さらに、御朱印マニアの間で有名な栃木県鹿沼市の古峯神社では、神の使いとする天狗の絵付き御朱印がもらえる。
印刷の物の他、数人いる神職がそれぞれオリジナルを手描きすることから、その数は全部で数十種類あるとのこと。しかも、参拝する日によって神職が異なるので、すべての御朱印を揃える為には何度も足を運ばなければならない、といった具合である。
御朱印を利用して、人々の参詣を促したのは、他でもない寺社側である。
三毒強盛の御朱印
御朱印ブームにより、寺社への参拝者が増えているのだから、さぞかし人々の心は安らいで、お寺や神社側も喜んでいるのかと思いきや、けっしてそうではないようだ。
先の明治神宮のケースでは、平成最後の日と令和初日の日付両日の御朱印が、セットで二十七万円で転売されて大きな話題となった。
また台東区の浅草神社では、数量限定の特別御朱印を巡り、入手できなかった参拝者が、神職や巫女らに暴言を浴びせたと言う。
福岡県北九州市の到津八幡神社では、通常の御朱印は要らないと御朱印帳のページをちぎり、特別御朱印を求める人がいたとのこと。その怒りを露わにし、ネット上でも波紋が広がった。
参拝者を増やしたくて工夫した御朱印で、まさか自分たちも苦しむとは思いもよらなかっただろう。
御朱印を巡るこれらの現象は、まさに貪(とん・貪る心)・瞋(じん・瞋・いかる心)・痴(ち・道理に迷う愚かな心)の三毒が強盛となり、苦しむ人々の姿そのものではないか。
三毒こそ、人々の善の心を最も害する根源の”煩悩”そのものであると見極めて、御朱印集めの寺社巡りなど、早々にやめるべきである。
謗法への親近(しんごん)は恐ろしい
邪宗教の寺院へ参詣してはいけない理由がある。
それは、日蓮大聖人が、『新池御書』に、
「此の国は謗法の土なれば、守護の善神法味にう(飢)へて社(やしろ)をすて天に上り給へば、悪鬼入りかはりて多くの人を導く。仏陀は化(け)をやめて寂光土へ帰り給へば、堂塔寺社は徒(いたずら)に魔縁の栖(すみか)と成りぬ」(御書 一四五八頁)
と仰せられているように、善神は正しい信仰による法味によって人々を救済する力用(りきゆう)を発揮するのであり、正法を誹謗する寺社には住まわない、ということである。
善神の代わりに、魔や鬼が住み着き、災難を招いているのである。
人々がどんなに幸福を願っても、謗法の寺社に詣でる祈りであれば、むしろ必ず災難を招きいれる結果となるのである。一刻も早く謗法の念慮を捨て、日蓮正宗の寺院へ参詣することが肝要である。
宗祖日蓮大聖人の文底下種の妙法を受持信行することによってのみ、貪瞋痴の三毒を転じて、幸福な境界を開き、種々の願いをも成就できることを、私たちは知らしめていかなければならない。
(大白法、令和5年4月16日号発行 第1099号)