Kaettekita 私が思う あのこと このことReturn(Get Back Part2)

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野球を代表とするスポーツは、もう、観ない・ゲームももう、やりたくはない。私にはいずれも合わなかった←何れも誤り間違えた捉え方考え方

2023年05月31日 09時57分33秒 | 野球スポーツ、高校野球、等々、スポーツ談議
 今年の、WBCという、世界の野球大会があったらしい。

 私は完全に蚊帳の外だった。そんな行事があった事すら知らなかった。

 その期間の、ニュースも勿論見ていた筈だったが、その期間の、スポーツニュースなど、一切、関心、関知などしてはいなかった。

 そうしてからに、そのチームは、世界一となり、成し遂げた。

 私は完全に、その話題からは逸れて、門外漢となった。

 でも、私はそれに関して、何ら問題は無い、関係しなくて良かった、とさえ思える。

 その、観戦に際しての間中、その事、事柄への関心の持ち過ぎによる、自身の精神のブレ、関心の寄せ過ぎによる、生活の乱れ、等々が、一切、自身には及ばず、巻き起こらなかったのだから。

 大体が、私には、今現在の、若い野球選手たちの、名前と顔、容姿が完全に一致しない程の、無関係、関心が全くと言って良い程、全く無い。

 勝手にやってろ、状態。私は、去年の、八月の、夏の甲子園での、自己の生活を乱しに乱す程の、野球に熱中した事実、入院の遠因きっかけにもなった事実、原因元凶がある。

 去年の年末ごろの、サッカーの国際試合にも、私は一回も、一分一秒も、サッカー日本に対する、興味関心なども、一切なかった。

 世の、ブログ、ニュース等々で、盛り上がっているのは知ってはいたが、自身で、まさか、応援しよう、などは、思うだけでも損だ、自身の時間の有効活用の大損失だ、その時間が勿体なかった。

 そんな私の、時代に背を向けた姿勢を、何てシニカル、冷笑的皮相的皮肉に受け取るんだ、との批判には、ここで私は答える積りも毛頭ないし、ただ、そんな、国民皆が応援に、一時の、一事のものに、一つのモノに一斉にそんなに国民こぞって、狂奔し、大騒ぎして、やるべき事なのかと、果たして。

 その間にも、最大限の国民的関心事の、政治の問題にほっかむり、一番論じ合わなければならない問題、例えば、この日本国では、憲法改正問題など、解決しなければならない諸問題・諸課題に対して、目くらましをしている、わざと、と言った感想を受けた。

 とにかく、私はあの、去年の八月の、夏の甲子園に熱中し過ぎて、一日食事が一食しか摂らずに、やせ細っていった、不健康な前例があり過ぎ、あの地獄のような日々を思い出すので、絶対に、もう、野球を代表とする、スポーツ観戦などは、御免蒙(こうむ)りたい。二度と、甲子園、野球、サッカー、ラグビー、相撲等など、は、観たくも聴きたくも、絶対に、全く無い程に、大っ嫌いになってしまった。

 しかし自分はそれをそれ程悲しくも不幸とも思わずに、こうやって普通に生活できているし、一般人とはその時その場限りで、話題が合わないだけであり、一切、不都合不条理矛盾等は感じずに済んでいる。

 そんなもの、観るのが国民の義務でもあるまいし、観たくないなら見なくても済んで良し、それで、何ら問題などは、生じはしないのである。いずれにしても、そんなスポーツ番組など、観戦しなくたって、見なくて結構なのだ。誰に無理強いされている訳でもあるまいし。

 私は、これは最近の私の現況だが、ゲーム機器、ゲームのソフトの内容、ゲーム遊びにも、自身の限界、というか、その詰まらなさ、満足感の無さ、集中力の無さを、嫌味さを、感じ始めている。

 ゲームをやるんだったら、その間に、活字を追って、小説なり評論、随筆・エッセイ、新聞・雑誌等々などの、本や書籍を代表する活字に目を通し触れた方が本当に有益であり、音楽をその間にも聴いたり、音楽を単体でそのモノを集中して聴く事だって、自分の人生上の、自由時間には、非常に為になり、大事で快適で優雅で有益有為な時間の過ごし方だ。

 何なら、ラジオやテレビなどの、放送媒体に触れている時こそをも、私にとり、非常に、至福の時、時間である。特に私は、ニュースや天気予報、等々の報道番組が大好きである。

 私の安心して感得納得出来得るものは、本を読んだり、手書きにしろPCによるキーボード打ち込み打鍵にしろ、文字を書いて執筆したり、音楽等を聴いて心を慰めたり、テレビ等の映像作品を見て、鑑賞して、心の印象に残る程の、何よりの、自分なりの、感動を頂く事共、等々である。第一、何より、それらが、気分がいいし、自身、ストレスフリーとなれる。自身の自由が保障され得る。

 何ともこの「ゲーム」という代物の、時間つぶしには、反感こそあれ、これで満足した気持ち、気分になる、などとは、今の今まで自分自身の人生上、一度もひと時も全く感じた事など一切合切、無い。微塵もない。あくまでも。ゲームはストレスの根源である、私にとっては。最悪…。

 非情なる詰まらなさ。気分が悪くなる程の代物、どのゲームも。楽しみなど、どこにもない。あるのは、ただ、目の前で勝手に作り上げ繰り広げた、大人が勝手に作って、子供用にしつらえた、御遊び道具、子供だましの、一切合切の、一作品群共。

 そんなのに興じてたって、時間が勿体ないだけ。人の時間を奪うな、と言いたい。

 最初から、ゲームなど、やる気も無いから、実際やってなんかいないんだから、時間もそもそも、奪われようも無いのだがね。実際やった時も、ちっとも楽しくなく、面白いとも、思わなかったよ、感想はね。ゲームのね。

 最初に申した如くに、ゲームをやる位ならば、その間に、活字を追ってゆきたい。ラジオや音楽やテレビを聴いたり、観たりしたい。そう申し上げたい。今、そう、申し上げている。

 ゲームは、ハッキリ言って、飽きている。否、やる前からそれは判っていた。私はゲームには手の負えない、不向きな人間である事共が事実であるのが、ハッキリと自身で判り、判明していた。

 それをやる、時間が勿体ない。そう申し上げている。ハッキリ言って、ゲームをやるのは、時間のムダ。他にやる事が一杯ある、私はそれだけで、ゲームなどは、不満、不信感の元、不審に感ずる次第。

 それが今日の結論。私がここで最も、言いたい、言いたかった事共。

 ゲームもスポーツも、私の範疇を越えた、私とは異色異質の、世界が、畑が違った世界、業界に他ならない。私にとり、実に詰まらぬ、取るに足らぬ世界。縁が初めから、無かった世界。他人の世界。氷の世界(井上陽水の音楽作品名)。

 私が、この稿で、本日、最も言いたかった事共は、それらの事々だけである。

 正に、誠に、任天堂スウィッチなど、買って損した部類の、代物の、買い物であった。

 買ってみて損したのが初めて判るのが、愚人、凡人。莫迦者。愚者。

 天才、仏の位の、仏界に達した人は、初めから、買う前から、それらが判明、判断が付き、おのずと自然と自明の理が、わかる人。

 私は前者。日蓮正宗で修業を正規に踏んでいる、大方の、方々は、勿論、後者の方々。日蓮正宗内で、境涯が高度に達する人で、御題目を信じ抜いて、死ぬ程唱えた方々、仏界の人、は、後者の人々、方々。

 「後悔先に立たず」が判る人々。初めから、聴く耳を持つ、立派で人物が出来ていて、自身の目標とすべき方。

 私は、仏道修行が、全く足りてはいない人種、人間、人物に過ぎないのは、自明の理。誰もが、そう思う程の、全くもってして、修行が全然足りない。六道輪廻の権化の存在の、現在、今の私。

 これからは、私も、読経唱題の、熱意溢れる人へと、自身、変身、生まれ変われる程の、大変革、大革新的で、大改革出来得る、真っ当な人生、真人間へと、生まれ変わりたいと必ずや、必死になって、決死の覚悟で、望む。望んでいる。

 実際上、その努力を始めようと、日々、目論見、画策中の、努力の人へと生まれ変わろうとして努力中の、正にその最中の、人生の途上者がこの私。偽らざる、私の決然たる、決意、覚悟が要る、必要だ。

 富士山登山者の、登山口に居て、今、正に、富士山頂上の、登頂目指して、登り始めた者の正にその一人。私は、今現在、日蓮正宗のビギナー、初心者に他ならない。

 皆さん、私も、登頂目指して、皆に遅れずに、立派に登ってゆけるように頑張って最後まで登って見せるから、今に、見ていて下さい。日蓮正宗の方々も、皆さん、応援宜しくお願い致します。

 今回も、非常なる長文につき、誠に失礼、申し訳なく、存じ上げます。
 これら文章は、これは、察するに「愚痴」だな。ハッキリ言って。今日は文章の調子が悪すぎる。
 自分の事ばかり、縷々、書き綴りばかりしていて、畏れ入ります。

 いつかは、皆様に、何とかお慶び頂ける、話題性あふれる、そんな文章群を綴り送り届けられるよう、努力・精進致します。

以上。よしなに。wainai


※編集後記
 私は、これら文章を綴って来て、ふと振り返って思った。何も、野球観戦に、ゲームに熱中しているからって、それが果たして、「悪」なのか、との疑問を呈したくなった。
 それら、一切の障壁を抜けて、一途になれる人は、一種の才能、趣味の人、趣味の最たる開花、開眼なのではないのかと。
 一概に、ゲームをやるから、野球を見るから、それが悪だとは、言えない、言ってはいけない筈だ。それは、狭い、利己的な主義主張、判断なのではないのかと。
 実際に、ゲームや野球等々で、そう、何時間も熱中集中出来得る人、それは正に、「才能」「特技」の開花、表れではないのか。逆に、私などは、興味を持って、尊敬してしまう程の、それらは、集中力を身につけた人、と言えないだろうか?ボケ防止等にも、最大限、役に立っているのではないのか?との疑義を、今日のこの文章群の最後に、呈して、終わりとしたい。
 とにかく、「悪」と決めつける本人に、貴方は、そして私は、果たして、「悪」と自分が決めつける如くに、聖人君子然として、振舞っているだけじゃ有りませんか?と。実際の所、それは「二重人格」「偽善者」の衣をまとっているだけの、割と、ゲームや野球以外の所で、酒を飲んだり、タバコに溺れたり、女にだらしがない、他、エトセトラの、沢山の「業」(カルマ)というものを、私自身も、そういうあなたも、抱えていて、人の事を御節介している自分自身の頭の上のハエすら追えないで、居るのと違いますか、そんなに自分が、「聖人君子」だと、お思いなのですか。所詮、おんなじ、人間同士、はたけばホコリもでる、人間じゃないんですかね。立派に振舞っていたとしても。という、疑問が、自分自身の中で、沸々湧いて出て来ている。このどうしようもない感覚は、私の現在の頭を捉えて、離さない。
 ともかく、ゲームや野球一つに目くじら立ててる輩は、その分際を弁えないといけない、これらは、私への戒告でもある。
 そうして、自身に、ゲームを行うに際して、罪障が本当に実際の所に、全然ないのかあるのか、について、詳らかに自己点検するに限る。私も含めて、これは自戒を込めて、物を語っているのだ。この話には勿論、自身、大いに、虚心坦懐に、謙虚・謙遜を、伴って、ヘリ下って、話している事共を、福島県民郡山市民福島市民には特に、良ーく吟味して、考慮して欲しい。
以上。wainai


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