先程の記事の続き。
2023年12月3日日曜日午前中の、おおつきふれあいセンター・大槻公民館、での、短歌の会・歌会の模様。
私の一首が読まれた。私は、作歌活動が停止状態であり、その事を先生に分かってもらえたとは思うが、その分、言い訳はしなかった感じ?、否、言い訳は大いにしたが、その事を、先生は分かって居られて、それで、私は、ストックしてあった、私の愛用のルーズリーフのノートブックから取りいだし、これ又、皆の前で開陳、言上、先生の用意したメモ用紙に書き上げ、申し上げた一首がこれである。
心にも無き事言ひて別れたるそれが二人の最後となるかは
これを披露した。
先生は、この歌を、事実のみ歌い、説明がないので、良い歌。
説明がないから、皆が考えちゃう作者の考えが入っている。
想像力を掻き立てる。二人が別れたのは、恋人同士なのか、友人同士なのか、いずれか、または、どういう関係か、と。
wainaiさん(私)は、いつも、前々回、もっと前も、お母さんの事を歌った、あぢさいの歌とか、早稲田の街と郡山の街の歌とか、考えさせられる歌、上手い歌を作っている、と先生からも生徒さんからも好評で褒められたが、私としては、今回も、今回こそはと特に、全然、歌が出来上がらなかったので、それが悔しくて、自身、厳しく受け止めていた。
けれども、正直、そのお褒めの御言葉には感謝の想いも非常に有難く、勿論あった。
注意するとすれば、「たる」と「それが」と「なるかは」の「かは」の点。
必要かどうか。「短歌」というものは、いかに端折るか、いかに簡略化するか。
キャッチコピーはありかなしか。
わかっちゃったら詰まらない。自分なりの言葉を当てはめる。一年前に読んだらこう思った。一年後の自分が読んだらこう思う。気持ちのままに、素直さを出して下さい、と。
短歌は、「真実」と「同苦・同感」。読者は同じ作者の気持ちに寄り添いそれらの気分を味わう。
私の短歌は、御自分でも手直しして、次回まで訂正しても良いですよ、と言われつつ、先生に手直ししてもらった。
心にも無き事言ひて別れたり二人の最後となりし電話に
となった。
この、「電話に」が、先生との間で、「の」とも迷ったが、「に」と、詠嘆の気持ちを暗に述べた方が良いとして、こう決めた。
「それが」は、私が良く買いに行っている、「ローソン」(たしか)では、「これが唐揚げ弁当」「これが焼肉弁当」という商品名の、「キャッチコピー」にかなり毒されて、思わず、こんな表現となった。
それから、「なるかは」の「かは」は、先生から、最後を決める言葉としては弱い、どうして、「かは」なんか使ったの?と問われて、
自分は、古今和歌集などを独自で読んでいた時期があり、何となく、それも、自然と、貴族たちが詠んでいた、和歌などから、「かは」などと、使いたくなってしまったのだろう、おそらく、と私は申して言った。
とにかく、先生は、『短歌』は「出だしが大事!!」今あるものが大事。根本(こんぽん)に何があるのか?!根本(こんぽん)=感動。確かに事実のみ書き歌うのでも、根本は感動!!
とにかく、私の歌は、主観を入れないで、自分で作って行っている、これで良し、と言われて、なんとか、おさまる所に納まった。
同じ生徒さんは、こう注意された。
主観が入っている。要らないものは削る。
あれもこれもは欲張り。
思い切って捨てるモノは捨てる。
何を重視するのか。
モチーフが二つも三つも歌に盛り込んである時は、
それを、歌として独立させて、二つや三つの歌にしなさい。
『結句』でもって短歌は最後に決まる!
文語体は助詞で迷っちゃうからご注意を。
けれども、アララギ派は文語体で作歌する者が極めて多い。別段、口語体でも一向構わないが、連綿と歴史があり続いて来た、文語体の重厚さ、古風な伝統文化の持ち味、香り、こだわりを大事にしたい。
扇畑先生=東北大学の教授。
それよりかは、斎藤茂吉に範を執る。先生は、斎藤茂吉を最大限に称賛し、称揚した。茂吉から、学ぶ点は多々、多くあると。それ程すごい方が、斎藤茂吉先生。二足の草鞋(わらじ)を履く、精神科医でもある。息子の斎藤茂太、北杜夫、両氏も同じく精神科医で作家だ。
「学ぶ」は「真似ぶ」から来ている。
真似ていく事から始まる。何事でも模倣が大事、人は誰しも、最初も模倣で始まる。
時間がだいぶ周り、次の教室利用者の人が使う時間の、十五分前の、昼十二時四十五分になんなんとして壁時計は指していて、私達短歌学習者、短歌の会・歌会の人々は、椅子、机等を急いで片付けて、掃除は先生が中心になって行い、我ら先生生徒共々は、意気揚々と、風を切るが如くに、表へと晴れがましく出でて、公民館を後にしたのであった。
以上。よしなに。wainai