先日、比較的雪が多く降った日、私は昼食の買い物に出かけ、帰る途中で過日、折伏しに行った高齢女性で母の同僚、創価学会員のおかあさんに出会った。
私を見るなり、親しく私のそばに寄り、私が手に買い物袋を持っているのを見て、「買い物して来たの?えらいねー!」「今は寒いから風邪ひかないようにね」等々を言ってくれて、私も妙にいい気分になった。
この人は、人を褒めるのが上手で、必ず私を褒め、「えらいねー!」と言う。
創価の人は、昔から愛想は良いように思う。このフレンドリーさに惹かれて、入信する人も恐らくはいるのだろう。日蓮正宗信徒としても、これは見習わなければいけないと思った。
しかし、その教えの内容が、余りに陳腐だ。大聖人様よりも、池田氏をそれはそれは持ち上げ、実態は池田教だ。
元は、創価学会も日蓮正宗も、同じ出発点にいて、ルーツは同じだ。しかし、昭和の頃、あれだけの組織力を誇り、功徳もあった創価も、今となれば宗門から破門された、それだけの悪事を為した集団となってしまった。
あのおかあさんも、表向きは優しげで、愛想が良くは見えるが、その背後には、底知れぬ寂しさ、悲しみ、幸薄げな妙に同情を買うような感じを受ける。
邪宗教の為に、塗炭の苦しみを味わっている悲哀を感ずる。
あのおかあさんの為にも、毎日の祈りは欠かせない。一日一ミリでもいい。少しでも相手が非に気付き、改心して欲しい。今日も又、ひたぶるに勤行・読経唱題に打ち込む私なのである。
以上。よしなに。wainai