一神教、多神教を問わず、特に一神教は、目の前に神と言う概念を立て、そこから一切が始まったと説く。では、それ以前に、その神はどこで何をしていたのか聞いても、それが全ての根源だからそれは問うなと説く。一種のまやかしだ。
全て、神を自分の前に立てた時点で、矛盾が出てくる。神様信仰の限界だ。
この世を神の存在で説明しようとして、色々ボロが出てくる。だから、日蓮正宗信徒は、キリスト教等々の宗教は全く侮蔑の思いで見ている。哀れとしか言いようがない。
正月に神社等に行った人もいるだろうが、日蓮正宗では、「神天上の法門」と言って、鎌倉時代の日蓮大聖人の時代から、神々は、謗法にまみれたこの日本国の地上からは消え去り、天へ帰ってしまわれた、だから、この国にある、神社のやしろには神は宿っておられない。むしろ、悪鬼魔神の棲家(すみか)となっている。だから、神社参詣などは虚しい、罰当たりの行為だから止めなさい、という教えだ。
神社に行くと、おみくじなどと言う、ゲームまがいの金せびりや、効きもしないお守り・お札の類いが多く並んでいる。私は、あれは謗法の宝庫だなあ、と悪く感心する。
うちの母が、うちの母はその当時創価学会員だったが、他宗教も信じる傾向にあり、いつだったか、福島県の会津の伊佐須美神社に寄り、車に付けるプラスチック製のお守りを買い、自分の車の後ろに張り付けた。
その車が、その年の春に、白河を通って郡山へ帰る途中、大型トラックに真後ろを追突され、母と私はむち打ち症、車は大破、となってしまった。
その時、母に、あのお札は全く効き目なかったね、と言うと、母は、思い出したくもないわ、と言い、それ以来、ピタリとお守りお札の類いは買わなくなった。
お守りなど何の役にも立たない、と身に染みて分ったのであろう。母は、後年、あの神社の方角が悪かったのかなあ、など、方角のせいにもしたが、私が、お守りで守ってもらおうなんてムシが良すぎる、神社全般がいい加減な教えなんでしょ、とその頃、キリスト教に関心があった私は吐き捨てるように答えた。
キリスト教を本格的に学んでも、守られていると言う実感はなく、当時新桜通りの前の道路で街中の郡山カトリック教会へ向かい、自転車で走行中、車で撥ねられるなど、むしろ、罰に当たるかのような不運が続いた。教会堂での祈りはちっとも楽しくなく、陰隠滅滅とした感慨しか受けず、思えばあの頃の私は、二重人格、偽善者の仮面を被った暗い青年の一人に過ぎなかった。
日蓮正宗になって、お祈りは朝三十分、夕二十分と長くなった。しかし、これ位ないと、祈りとしては完結しないと判っている。創価の様な五分勤行、キリスト教の異邦人のようにくどくど長く祈るな、等々を聞いても、実際私のキリスト教時代の祈りは家では余りしなかった。何か、キリスト教の祈りはキザで、祈りたい祈りじゃなく、敬遠したかった。イエスの、くどくど祈るな、というのが、まるっきりキリスト教にその話の全てをお返ししたい位の代物だった。
到底、大乗仏教国の日本には、キリスト教は広まる訳がない、大聖人様も、この国が、大乗の国か小乗の国か、程度の高い宗教を必要とする国かその逆の国かを考えなさい、と仰られたのも感慨深い。
神様信仰、百害あって一利なし。神様に御利益などなく、ただ、謗法与同を畏れるのみ。