基督教聖書を朗読。深夜の読書。滔々と、淡々と読み進めています。
聖書も、世界文学、歴史書、としては、認めますが、これを宗教として、崇拝し、「祈る」という行為は、私には認められず、そういう「行動」、実際に拝んで信じる、という行為には、遠く、拒絶します。でも、私は、無神論者ではなく、多神教側の、仏法者としても、「諸天善神」に向かって祈り、願う者の一人として、どうしても、キリスト教は認められません。神は一人ではなく、数々の、諸天に、神々がましまします。空想話が、「キリスト教」の本質。
以上。よしなに。wainai
by camera of Canon G9X Mark2