本日朝十時、日蓮正宗無量山寿海寺にて、日蓮大聖人様の亡くなった日に近く、滅不滅をお祝いする、御会式に参詣して来ました。
とても厳かで、古くからの伝統の格式を実感致しました。方便品・寿量品長行と続き、自我偈に入る前の而説偈言、に至ると、そこから日蓮大聖人様や上代御法主上人の御申状と大聖人様の立正安国論の謹読になる。それらが終わると、又、寿量品自我偈に戻り、唱題へと目まぐるしく日蓮正宗の伝統法義が目の前に広がる。ただ、圧倒されてしまう。
妙法寺の梅津正栄御尊師の基調講演があり、皆、経典にも「相」とあるが、誰もイライラ怒っている人の側には来ない。にこやかな人相の人には人垣が出来る程人が沢山集まる、と仰り、御題目を唱え抜いた人には顔色に出てくると。お寺に例え無信心の人を連れて来るのも深い縁があり、お寺の前を通るのも縁、一人でお寺にくるのを時には人を一人でも誘ってみる。正味二十分位の短い話の中で、思わず唸りたくなるようなお話であった。
私の御住職様のお話では、因果応報と言うか、それなりに善の因を積んだ人は善の果報が、悪の因を積めば悪の報いが現れ、皆、自分が作り出している。お題目を唱えない、勤行、御登山、御供養、何にもやらないでは、結果はだめである。今日の御会式の一つ一つの言葉が、難しくて分からないかもしれないけれど、深い意味がある事はわかる。今日、参詣した事に意味があり、大聖人様のえにし深い日に巡り合えた事は幸せ、と仰り、今日の御会式に参詣出来た事に感謝の念が伝わって来た。
今日一日で、何か生命力と言うか、元気勇気がコンコンと湧いて来て、帰りには人一倍勇猛精進、不自惜身命を誓う私がいた。私は今日まで生きて来て本当に良かったと心から感謝し、夕べの勤行唱題も力を込めて獅子奮迅の意気で執り行った。
良い一日であった。