この文章は、前回、私のコメント欄に乱入して来た、創価共のコメンターに対する反論である。これにその書き逃げして行った張本人が、言う事があれば、いつでも相手にしてやる。
まあ、どうせ、Unknownなどと、自身の名前も名乗れぬ、名無しの所業であるので、こちらもまともには相手にはしてはいない。
しかし、随分と、こちらを馬鹿に出来得るものだな、とは感心した。
こちらが大恩人と、この元となった記事にも、私が書いているにも関わらず。
とにかく、これは、私の、そしてその大恩人、S楽さんにとっても、名誉棄損もいい所であり、私に対する、ケンカを売る行為と同じだ。それに対する、謝罪一つない。自分が正しいと今でも思っているのか?正々堂々と名を名乗って法論、論を戦わせる気概すらない。男として、人としても、恥ずかしくないのか?それでも人間か!
それが、たまたま、名無しのお陰で、私からの直接の反論が無いだけ。
それが手なのかも知れぬ。
とにかく、今後は、名無しは徹底的に削除したい、私も腹が立つ記事、コメントがそれらを読む度に記憶上に思い出し、腹立たしい極みであるからだ。しかも書き逃げ。名も名乗らない者にこれだけの仕打ちをされている私はマゾか?
今は少し冷静になっていますが、この度の、名無しの勝手な振る舞いに腹が立ち、こちらの本記事へと、転載致します。
今後、名無しのこれらの文章は、即、コメント削除致します。削除に踏み切ります。
以下、その、それに対する私の文章群です。長文失礼。その元となったブログ記事もURLで。
頭破作七分、有供養者福過十号の、両肩のご本尊様の但し書きについての現罰・現証 - Kaettekita 私が思う あのこと このことReturn(Get Back Part2) (goo.ne.jp)
今日は甚だ気分を害した、人を許せる気分では今はない!それでも、ここに載せ続けているんだから、有難く思いなさい。以下、その、反論。
(wainai123753)2023-10-13 10:46:22
2023-10-13 10:35:20
『仏壇を捨てさせた癖に、今ではあべこべに父が仏法の守護者の如くに菩提寺の寿海寺に眠っているのは何か腑に落ちない、と以前、広布推進会でいわき市の大華寺に向かう道すがら、車中でS楽さんに言うと、』(私の記事引用終)
Unknown (Unknown)2023-09-29 00:53:39 さん、
『仏壇を捨てさせた癖に、今ではあべこべに父が仏法の守護者の如くに菩提寺の寿海寺に眠っているのは何か腑に落ちない、と以前、広布推進会でいわき市の大華寺に向かう道すがら、車中でS楽さんに言うと、』(私の記事引用終)
Unknown (Unknown)2023-09-29 00:53:39 さん、
此の引用文章を見ても判らないんですか。この御方、S楽さんは立派な日蓮正宗法華講信徒、それも、昭和の五十二年路線を過てる創価が引き起こし、惹起して居った最中、この御方は、颯爽と創価を去り、日蓮正宗へと、新興宗教創価から、日蓮正宗御宗門へと、颯爽と自身が気付き、寝返った、その当の本人なんですよ。
大体、そんな、このお寺の重鎮でもあるべき御方に対して、「邪宗」「邪教」の発想だ、などと、その御方の思想信条まで思いやりを気付けずに、私共の仁義を尽くした先輩後輩同志の友情など露も知らぬ、赤の他人の、貴方にはそのままで済むとお思いなのでしょうか。勝手な物言いだと、思わない、無責任さ。無慈悲の極み。
S楽さんは、第一次創価学会問題が起こった頃からの、いち早く創価の異常性に気付いた、昭和の頃の生き証人でもあります。
その御方を謗る事は(邪宗教だと)、自分にそれらの言葉がそっくり返って来ます。
還着於本人です。
それに、随方毘尼という言葉を貴方は知らないのですか。
それに、御本仏宗祖日蓮大聖人様は、御書、「太田左衛門尉御返事」(一二二二頁)に、
「予が法門は四悉檀を心に懸けて申すなれば、強(あな)がちに成仏の理に違はざれば、且(しばら)く世間普通の義を用ゆべきか。」
現代語訳、『通解』
「私の法門は四悉檀(仏の教説を四種に分けたもの。①世界悉檀②為人悉檀③対治悉檀④第一義悉檀)を心に懸けて申す法門であるから、必ずしも成仏の理に違わなければ、少しは世間一般の義(厄など)も用いてよいのである。
(以上。出典『御聖訓一読集』令和四年度版・奉祝 宗祖日蓮大聖人御生誕八百年)[諸難を乗り越える信行])
とありますように、多少の、時代に合わせ、その時の風俗に合わせ、その場、その時、その場合に合わせても一向に構わない、その場その場での、御教えの改変、改革、等々を認めているのが、本来の踏襲の教義です。
それを認めないならば、今、現今の創価の言う、言うなれば「途中の人師論師は認めない」との言説と、同一ではありませんか。
私は、一見、このような、日蓮正宗信徒を思いやった風の貴方が、最初から、我々日蓮正宗の信徒の一分であると、思って居りましたが、どうやら、私の買いかぶりであったと思い直しました。
あなたは、当宗信仰者ではない。日蓮正宗信徒を名乗る、エセ信者、おそらくは創価の回し者である、と見抜いた。
それは、その後の二度目に登場した、創価信徒丸出しの情けないコメント欄のコメンターと軌を一にする者であり、やはり、時間的にも、正真正銘の同一人物、それが、いわゆる、Unknown (Unknown)を名乗る、一連の名無し氏による、自作自演のパフォーマンスであったと、今は喝破して見抜きました。
人を騙そうったって、そうはゆかない。どんなに日蓮正宗信徒を名乗るが如くの、見せかけの、御立派に見せた所で、その所属性、在所、身分はすぐばれる。どうだ、思い知ったか、此の創価の名無し野郎めが。
とにかく、これからは、名無しは一切、コメント欄に表示されたら、自身を名乗る勇気すら持ち合わせていないとこちらが判断を下す以上、削除に次ぐ削除へと、私を駆り立て発動してゆく事を、ここに於いて宣言させてもらい、これを掉尾として、この文章の幕引きとする。
以上。非常に腹立たしい、胸糞悪い、気分を害した気持ちを抑えつつ、この文を結ぶ。よしなに。wainai123753
大体、そんな、このお寺の重鎮でもあるべき御方に対して、「邪宗」「邪教」の発想だ、などと、その御方の思想信条まで思いやりを気付けずに、私共の仁義を尽くした先輩後輩同志の友情など露も知らぬ、赤の他人の、貴方にはそのままで済むとお思いなのでしょうか。勝手な物言いだと、思わない、無責任さ。無慈悲の極み。
S楽さんは、第一次創価学会問題が起こった頃からの、いち早く創価の異常性に気付いた、昭和の頃の生き証人でもあります。
その御方を謗る事は(邪宗教だと)、自分にそれらの言葉がそっくり返って来ます。
還着於本人です。
それに、随方毘尼という言葉を貴方は知らないのですか。
それに、御本仏宗祖日蓮大聖人様は、御書、「太田左衛門尉御返事」(一二二二頁)に、
「予が法門は四悉檀を心に懸けて申すなれば、強(あな)がちに成仏の理に違はざれば、且(しばら)く世間普通の義を用ゆべきか。」
現代語訳、『通解』
「私の法門は四悉檀(仏の教説を四種に分けたもの。①世界悉檀②為人悉檀③対治悉檀④第一義悉檀)を心に懸けて申す法門であるから、必ずしも成仏の理に違わなければ、少しは世間一般の義(厄など)も用いてよいのである。
(以上。出典『御聖訓一読集』令和四年度版・奉祝 宗祖日蓮大聖人御生誕八百年)[諸難を乗り越える信行])
とありますように、多少の、時代に合わせ、その時の風俗に合わせ、その場、その時、その場合に合わせても一向に構わない、その場その場での、御教えの改変、改革、等々を認めているのが、本来の踏襲の教義です。
それを認めないならば、今、現今の創価の言う、言うなれば「途中の人師論師は認めない」との言説と、同一ではありませんか。
私は、一見、このような、日蓮正宗信徒を思いやった風の貴方が、最初から、我々日蓮正宗の信徒の一分であると、思って居りましたが、どうやら、私の買いかぶりであったと思い直しました。
あなたは、当宗信仰者ではない。日蓮正宗信徒を名乗る、エセ信者、おそらくは創価の回し者である、と見抜いた。
それは、その後の二度目に登場した、創価信徒丸出しの情けないコメント欄のコメンターと軌を一にする者であり、やはり、時間的にも、正真正銘の同一人物、それが、いわゆる、Unknown (Unknown)を名乗る、一連の名無し氏による、自作自演のパフォーマンスであったと、今は喝破して見抜きました。
人を騙そうったって、そうはゆかない。どんなに日蓮正宗信徒を名乗るが如くの、見せかけの、御立派に見せた所で、その所属性、在所、身分はすぐばれる。どうだ、思い知ったか、此の創価の名無し野郎めが。
とにかく、これからは、名無しは一切、コメント欄に表示されたら、自身を名乗る勇気すら持ち合わせていないとこちらが判断を下す以上、削除に次ぐ削除へと、私を駆り立て発動してゆく事を、ここに於いて宣言させてもらい、これを掉尾として、この文章の幕引きとする。
以上。非常に腹立たしい、胸糞悪い、気分を害した気持ちを抑えつつ、この文を結ぶ。よしなに。wainai123753
※追記:同コメント欄から追っての私のコメントの転載。
unknownは、削除一掃致しました。
(wainai123753)2023-10-13 11:17:10
とても目障りなので、これからのブログ綴り、作成上も問題となり、気分を害するので、全てのunknownは削除致しました事、ここに表明宣言致します。どうせ、創価の連中の、炎上作戦、嫌がらせの類でしょうから。
それゆえに、名前が名乗れない、卑怯者である訳、理由がその体を顕わしているのですからね。
報告がてら、事実を書き残して置きます。
以上。
それゆえに、名前が名乗れない、卑怯者である訳、理由がその体を顕わしているのですからね。
報告がてら、事実を書き残して置きます。
以上。