Kaettekita 私が思う あのこと このことReturn(Get Back Part2)

進取究明。日々の雑感を気ままに綴る私なりに思い考え行い実践する不定期の記録。日蓮正宗とは一切関係なく私個人の見解です。

私の折伏姿勢への反省点

2024年06月01日 13時45分43秒 | 日蓮正宗総本山富士大石寺・御宗門・その御教え・教学・信行学
 私は、自身が、他の信仰をしている方に、相手の人格を否定した折伏をしていなかったかと、非常に怖れる。
 それは、日蓮正宗第六十八世日如御法主上人猊下様が、常々仰られるお言葉に「折伏はケンカではない。ましてや、相手の人格をけちょんけちょんに、否定しまくる。ここにはそんな人はいないとは思うが…。(趣意)」との発言からも分かる通り、私達の「折伏」はケンカではない。ましてや、争い事などでもないはずだ。それに、相手の人格までも、否定してはならない、とある。
 これは、非常に私など普段から奔放に折伏と称して、語っているものには、胸にも耳にも痛い。私は常に自身に問いかける。私の折伏は、御法主上人猊下様の御意思に常に叶った折伏行であるのかと。
 ここなんです。今、大事な点、事は。心からの折伏とは、常に相手の事を思いやり、相手の立場に立ち、相手の悩みをも時には聞き、慈悲でものを語る。決して自身の知識をひけらかしたり、慢心を起こしたり、相手を強く責め立ててはならないのだ。
 福島県会津地方の、「ならぬものはならぬ」なのである。やってはいけないと猊下様が仰られた事は、「代々の法主、これ、日蓮なり」で、猊下様の言う事を聞かないと、日蓮大聖人様が悲しむ。
 とにかく、一にも二にも、相手の意見をまず聞き、吟味して、それから、こちらの話をゆっくりと語る。それには、私ももう少し、仏道修行が必要なようだ。
以上。よしなに。wainai

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