本日、スランプを何とか脱して、短歌・和歌を、詠む事が出来ました。以下に、六首、示します。
夏の雲あっと言ふ間に膨れ上りし夕立の大雨人逃げ惑ふなり
猛暑日の暑さ伝へるテレビジョン見てゐるだけで汗しげくかき
テレビにて子供ら噴水にて遊ぶ我も子に戻りて同じくなりたし
毎日のニュースはこの世の不正ばかりなり誰(たれ)かこの世を洗濯致さんか
選挙の時ばかり人聞き良き事を言う受かれば鶏(にわとり)の如くに忘れたりしか
人を恨みし我に人を恨むなと真(まこと)に仏の道を説く仏法者かな
2023年令和五年七月二十六日水曜日、夕方四時過ぎ、ここに記す。
反歌、かえしうた。四首目の歌。
このうたの、意趣返し。一歩一歩ずつ、我が身に、他人事成らぬと見えて、一歩進めて、我が事として、世を正す自覚を持ち、自らが立ち上がり、決意に燃え、自身に送る歌。
毎日のニュースはこの世の不正ばかりなり我(われ)こそは、この世を洗濯致さんか
以上。よしなに。wainai
出来は気にせずとにかく作れということです。毎日、日記代わりに書かれることをお奨めします。
また、矛盾するかもしれませんが、初心のうちは定型に留意せよとも言われています。
あなたの作品を一読して最初に感じたのは、(短歌の師匠はどのようにご指導されているか分かりませんが)こんなに定型を外しまくっていいのかなということでした。
重ね重ね、貴重な御意見、有難う御座います。
おそらく、kさんは、俳句の世界には、純正俳句と、自由律俳句と、川柳と、沢山の異流義の中で揉まれ過ぎているので、それだけ厳しく捉えるクセがあるのでしょうが、幸い短歌の世界は、狂歌の如くのものしか、それらの類いはありませんので、俳句のように、季語も要らずに、結構フリーハンド、自由が効くのです。
本日は、そんな、短歌の歌会ともお別れではありますが、今後は、独学、テレビ、雑誌、新聞、等々の媒体をフル活用してでも、これからは頑張って創作活動に参加できればなあ、と思います。
以上。よしなに。wainai
この最近の、
Kさんの、
短歌が定型にあっていない、
との、
非情な、烈火の如くの、
私の作品に対する、怒っている如くの、
批評、感想が気になる。
私は、初心者であり、
その自由闊達な作歌活動を、
批判、非難されて、
甚だ心外でした。
私も、いつも通り、平常心で応えましたが、内心、恐怖と怒りのようなものも、相反して、感じざるを得ませんでした。
それが、私の先生、師匠に言われたのならまだ分かる。
しかし、Kさんは、一介の、しかも畑違いの、俳句の門下生である。聞き捨てならぬ真に失礼千万である。
とにかく、Kさんの場合、本人がどんなに普段から自分が幾ら平常心でいる人物だ、と自己を開陳していても、私の鑑識眼、お眼鏡は騙せませんよ。
とにかく、文はこころを表さず、とはいうものの、それらはこころを表す一端、一部、片鱗とはなり得ます。
とにかく、この件で、私の心は非常に傷つきました。今でも怖いです。
お互いに、特に私は、舌禍事件、言葉のあや、人に自分の何気なく発した言葉の一つ一つを誤解されぬよう、この件について、自分も他山の石、反面教師として、気を付けて人とは関わってゆかねばならない、ゆきたいと強く思いました。