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<「漢字の学習の大禁忌は作輟なり」・・・「作輟(サクテツ)」:やったりやらなかったりすること・・・>
<漢検1級 27-③に向けて その32>
●今回は、ちょっと難度高いかも、80%(24点)とれれば上首尾・・・・。制限時間は10分ぐらい(^^)
●文章題⑨:次の文章中の傍線(1~10)のカタカナを漢字に直し、傍線(ア~コ)の漢字の読みをひらがなで記せ。(30) 書き2×10 読み1×10
「鴎外博士の追憶」(内田魯庵)
「・・・鴎外は睡眠時間の極めて少ない人で、五十年来の親友の賀古翁の(ア)咄でも四時間以上寝た事はないそうだ。少年時代からの親交であって度々、鴎外の家に泊った事のある某氏の咄でも、イツ寝るのかイツ起きるのか解らなかったそうだ
・・・独逸といえば、或る時鴎外を尋ねると、近頃非常に忙しいという。何で忙しいかと訊くと、或る科学上の問題で北尾次郎と論争しているんで、その下調べに骨が折れるといった。その頃の日本の雑誌は専門のものも目次ぐらいは一と通り目を通していたが、鴎外と北尾氏との論争はドノ雑誌でも見なかったので、ドコの雑誌で発表しているかと訊くと、独逸の何とかいう学会の雑誌(今はその名を忘れた)でだといった。日本人同士が独逸の雑誌で論難するというは如何にも世界的で、これを以ても鴎外が論難好きで、シカモその志が決して区々日本の学界や文壇の小(イ)蝸殻に(1)キョクセキしなかったのが証される
・・・が、私の思うままを有体(ありてい)にいうと、純文芸は鴎外の本領ではない。劇作家または小説家としては(ウ)縦令第二流を下らないでも第一流の巨匠でなかった事を肯て直言する。何事にも率先して立派なお手本を見せてくれた開拓者ではあったが、決して大成した作家ではなかった。
・・・ が、考証はマダ僅かに足を踏み掛けたばかりであっても、その博覧癖と(エ)穿鑿癖とが他日の大成を十分約束するに足るものがあった。『(オ)帝諡考』の如き立派な大著を貢献されたのは鴎外の偉大な業績の一つである。考証家の極めて少ない、また考証の極めて幼稚な日本の学界は鴎外の巨腕に待つものが(カ)頗る多かった。鴎外が(キ)董督した改訂六国史の大成を見ないで逝ったのは鴎外の心残りでもあったろうし、また学術上の(2)コンジでもあった。
・・・ 鴎外は早くから(3)ヒッセキが見事だった。晩年には益々老熟して(4)ソウケイ精厳を極めた。それにもかかわらず容易に(5)キゴウの求めに応じなかった。殊に短冊へ書くのが大嫌いで、日夕(6)シンシャしたものの求めにさえ短冊のキゴウは固く拒絶した。何でも短冊は僅か五、六枚ぐらいしか書かなかったろうという評判で、短冊蒐集家の中には鴎外の短冊を懸賞したものもあるが獲られなかった。
・・・ 日露戦役後、度々部下の戦死者のため(7)ボヒの(ク)篆額を書かせられたので篆書は堂に入った。本人も得意であって「篆書だけは稽古したから大分上手になった、」と自任していた。
・・・一度冠を曲げたら容易に直す人でないのを知ってるからその咄はそれ切り打ち切りとした。が、万一自分が鴎外に先んじたらこの一場の約束の実現を遺言するはずだったが、鴎外が死んでしまったのでその希望も空しくなった。これは数年前、故和田雲邨翁が新収(8)キコウ書の展覧を兼ねて少数知人を招宴した時の食卓での対談であった。これが鴎外と(9)カンゴした最後で、それから後は懸け違って一度も会わなかったから、この一場の偶談は殊に感慨が深い。
私が鴎外と最も親しくしたのは小倉赴任前の古い時代であった。近時は鴎外(のみならず他の文壇の友人)とも疎縁となって、折々の会合で同席する位に過ぎなかったが、それでも憶い出せば限りない追懐がある。平生往来しない仲でも、僅か二年か三年に一遍ぐらいしか会わないでも、昔 親しくした間柄は面と対(む)かった時にいい知れないなつかしさがある。滅多に会わないでも永い別れとなると淋しい感がある。
殊に鴎外の如き一人で数人前の仕事をしてなお余りある精力を示した(10)ジンゴウは、一日でも長く生き延びさせるだけ学界の慶福であった。六十三という条、実はマダ還暦で、永眠する数日前までも頭脳は明晰で、息の通う間は一行でも余計に書き残したいというほど元気(ケ)旺勃としていた精力家の(コ)易簀は希望に輝く青年の死を哀しむと同様な限りないコンジである。」
👍👍👍 🐑 👍👍👍
(1)跼蹐 (2)恨事 (3)筆蹟(「筆跡」も可か) (4)蒼勁 (5)揮毫 (6)親炙 (7)墓碑 (8)稀覯 (9)款語 (10)人豪
(ア)はなし (イ)かかく (ウ)たとえ(たとい) (エ)せんさく (オ)ていしこう (カ)すこぶ (キ)とうとく (ク)てんがく (ケ)おうぼつ (コ)えきさく
👍👍👍 🐑 👍👍👍
<「漢字の学習の大禁忌は作輟なり」・・・「作輟(サクテツ)」:やったりやらなかったりすること・・・>
<漢検1級 27-③に向けて その32>
●今回は、ちょっと難度高いかも、80%(24点)とれれば上首尾・・・・。制限時間は10分ぐらい(^^)
●文章題⑨:次の文章中の傍線(1~10)のカタカナを漢字に直し、傍線(ア~コ)の漢字の読みをひらがなで記せ。(30) 書き2×10 読み1×10
「鴎外博士の追憶」(内田魯庵)
「・・・鴎外は睡眠時間の極めて少ない人で、五十年来の親友の賀古翁の(ア)咄でも四時間以上寝た事はないそうだ。少年時代からの親交であって度々、鴎外の家に泊った事のある某氏の咄でも、イツ寝るのかイツ起きるのか解らなかったそうだ
・・・独逸といえば、或る時鴎外を尋ねると、近頃非常に忙しいという。何で忙しいかと訊くと、或る科学上の問題で北尾次郎と論争しているんで、その下調べに骨が折れるといった。その頃の日本の雑誌は専門のものも目次ぐらいは一と通り目を通していたが、鴎外と北尾氏との論争はドノ雑誌でも見なかったので、ドコの雑誌で発表しているかと訊くと、独逸の何とかいう学会の雑誌(今はその名を忘れた)でだといった。日本人同士が独逸の雑誌で論難するというは如何にも世界的で、これを以ても鴎外が論難好きで、シカモその志が決して区々日本の学界や文壇の小(イ)蝸殻に(1)キョクセキしなかったのが証される
・・・が、私の思うままを有体(ありてい)にいうと、純文芸は鴎外の本領ではない。劇作家または小説家としては(ウ)縦令第二流を下らないでも第一流の巨匠でなかった事を肯て直言する。何事にも率先して立派なお手本を見せてくれた開拓者ではあったが、決して大成した作家ではなかった。
・・・ が、考証はマダ僅かに足を踏み掛けたばかりであっても、その博覧癖と(エ)穿鑿癖とが他日の大成を十分約束するに足るものがあった。『(オ)帝諡考』の如き立派な大著を貢献されたのは鴎外の偉大な業績の一つである。考証家の極めて少ない、また考証の極めて幼稚な日本の学界は鴎外の巨腕に待つものが(カ)頗る多かった。鴎外が(キ)董督した改訂六国史の大成を見ないで逝ったのは鴎外の心残りでもあったろうし、また学術上の(2)コンジでもあった。
・・・ 鴎外は早くから(3)ヒッセキが見事だった。晩年には益々老熟して(4)ソウケイ精厳を極めた。それにもかかわらず容易に(5)キゴウの求めに応じなかった。殊に短冊へ書くのが大嫌いで、日夕(6)シンシャしたものの求めにさえ短冊のキゴウは固く拒絶した。何でも短冊は僅か五、六枚ぐらいしか書かなかったろうという評判で、短冊蒐集家の中には鴎外の短冊を懸賞したものもあるが獲られなかった。
・・・ 日露戦役後、度々部下の戦死者のため(7)ボヒの(ク)篆額を書かせられたので篆書は堂に入った。本人も得意であって「篆書だけは稽古したから大分上手になった、」と自任していた。
・・・一度冠を曲げたら容易に直す人でないのを知ってるからその咄はそれ切り打ち切りとした。が、万一自分が鴎外に先んじたらこの一場の約束の実現を遺言するはずだったが、鴎外が死んでしまったのでその希望も空しくなった。これは数年前、故和田雲邨翁が新収(8)キコウ書の展覧を兼ねて少数知人を招宴した時の食卓での対談であった。これが鴎外と(9)カンゴした最後で、それから後は懸け違って一度も会わなかったから、この一場の偶談は殊に感慨が深い。
私が鴎外と最も親しくしたのは小倉赴任前の古い時代であった。近時は鴎外(のみならず他の文壇の友人)とも疎縁となって、折々の会合で同席する位に過ぎなかったが、それでも憶い出せば限りない追懐がある。平生往来しない仲でも、僅か二年か三年に一遍ぐらいしか会わないでも、昔 親しくした間柄は面と対(む)かった時にいい知れないなつかしさがある。滅多に会わないでも永い別れとなると淋しい感がある。
殊に鴎外の如き一人で数人前の仕事をしてなお余りある精力を示した(10)ジンゴウは、一日でも長く生き延びさせるだけ学界の慶福であった。六十三という条、実はマダ還暦で、永眠する数日前までも頭脳は明晰で、息の通う間は一行でも余計に書き残したいというほど元気(ケ)旺勃としていた精力家の(コ)易簀は希望に輝く青年の死を哀しむと同様な限りないコンジである。」
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(1)跼蹐 (2)恨事 (3)筆蹟(「筆跡」も可か) (4)蒼勁 (5)揮毫 (6)親炙 (7)墓碑 (8)稀覯 (9)款語 (10)人豪
(ア)はなし (イ)かかく (ウ)たとえ(たとい) (エ)せんさく (オ)ていしこう (カ)すこぶ (キ)とうとく (ク)てんがく (ケ)おうぼつ (コ)えきさく
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一文字はわかるんですけどね
(たぶんみんなそうだろうな)
縦令、そうけい、かんご、じんごう
が覚えられて良かったと前向きに考えよう!
23点でした~
ありがとうございます。
昔の人の使っている熟語は古臭いのですが、一応、広辞苑にはすべて載ってるんですよねえ・・・。
また、トライ願います。「めざせ!満点!」なんちゃって
「乞士」は大丈夫だと思います。が、すみません、忘れていました…
「手賀沼散歩0926その2」の「くろうめもどき」もお願いします。
今回24点で、いつもなら満足しているところですが、
「そうけい」と「じんごう」は正解の漢字を思いついたのに
変えてしまったので、ちょっと悔しいです。
「一文字は分かる」もあるあるですが、
「直感では正解していたのに!」もあるあるですよね^^
よくありますね(笑)
あと1級なのにこんな簡単な文字でいいのかな?と
敢えて難しい漢字を考えてしまうこともあります。
答え見て「え、これでよかったの?」みたいな。
かんご→歓晤
じんごう→仁豪
と書きました。
なんとなくありそうな言葉ですよね(笑)