約束の前日:
バンコクの空港に降り立ったら雨である。雨季でないこの時期の雨。これまでオレが来ると必ず雨が降るとサミーに云われ続けてしばらく、オレはタイでは雨男なのだろうか・・・。
スクンビット通にある常宿・アンバサダーホテルにチェックインした後、15年近く前にSAMMYに教えてもらったタイマッサージの店にタクシーで向かう。その店は、スクンビット通りよりソイアソーク通を左に折れ、ペッブリー通手前にある。到底、観光客が行きそうにない所にその店はある。2時間で250バーツ也(750円)。
久しぶりのタイマッサージを楽しんだ後、店の前の小道に並ぶリアカーの屋台でバーミィ(タイ風ラーメン)を食べた。30バーツ也(90円)。タイでは机の上に、ナンプラー、唐辛子、ナッツ、砂糖が置かれており、それを好みでかけて食べるのである。なぜ砂糖をバーミィにかけるのか解せない。勿論、オレには不要。美味!
夜、SAMMYとSAMMYの嫁さん・RINGOと落ち合い、韓国料理BBQレストランへ。久しぶりの再会に話も弾む。デモについても語りあう。そして明日アレンジしてくれたウボンラチャタニでチャーターするタクシーについても確認した。
明日は朝が早いので、夜10時過ぎにホテルに戻った。
約束の日:
目覚ましをかけていた午前5時のアラームが鳴る前に自然と目が覚めた。スーツケースはそのままホテルに預け、小さいカバンに1泊分のシャツとパンツを入れて空港に向かう。
エアーアジア航空でウボンラチャタニへ。空から見える景色は全く森のような未開の地、しばらくすると田畑が連なる田園地帯にポツンポツンと家が見えた。
ウボンラチャタニ空港に飛行機が着き、滑走路を歩いてターミナルへ。空港には頼んでいたドライバーが待っていてくれた。しかし彼は全く英語が解せず。
田舎の街。この街でオレはタイビール、そして花屋で白いオーキッドの花束を作ってもらった。そしてクルマで橋に向けて走る。
ただただまっすぐの道をひたすら走る。土が赤い。牛が放し飼いにされている。
たまにポツリポツリと見える家の軒先には藁葺きの吹き抜けの小屋がどこにでもあった。どうみても電気どころか下水道も整っていないような家々である。きっとあの小屋で暑い午後は昼寝でもして過ごすのであろう。
ただただ走ること3時間。そしてオレはついに亡き友・SAWADAが作った橋にたどり着くことができた。
橋のたもとにはタイ入国管理局があり、メコン川をはさんだ向こうにはラオスのそれがあるようであった。
入国管理局に行って日本から来た旨を伝えた。亡き友がこの橋の建設中に事故死し、オレは彼の最後の偉業を日本から確かめに来たのだと伝えた。
SAWADAの母上から聞かされていた通り、橋の半ばにSAWADAを含む事故で亡くなられた10名の名前が刻まれた石碑があるはずだと話したが入国管理局のオフィサーは知らないようで、橋を管理する別の建物へ案内された。そしてそこで再度事情を話すと、そこのマネージャーがそのモニュメントを知っており、彼のクルマで橋の半ばまでオレを連れて行ってくれた。
ようやくたどりついた。
オレはSAWADAの名前の前に花と一緒に飲もうと話していたタイビールを添えた。橋の上は信じられないくらい熱い熱風が吹いており、線香が点かない。マネージャーが停めていた車に戻り、車内で線香を点けてきてくれる。
流れ行くメコン川は川幅が1.5キロもあり、そこを跨ぐ橋は長い。そのメコン川は想像通り泥水であった。長く長い河。
川沿いには日本では見たことのないオレンジの花をつけた背の高い木が並んでいた。
SAWADAよ、オレの中でお前に誓ったお前の作った橋を見に来るという約束、オレはやってきたぞ。お前はこの恐ろしく熱い風に吹かれながらも、エンジニアとしてヘルメットをかぶり、作業服を着て、この橋を作っていたんだな。最後に連絡を取り合っていたのが5年前のこの時期、お前もこのオレンジの木々を見ていたのだろうなぁ。
よく頑張ったな。さすがはわが友である。
橋の上で合掌。
よき友よ、永遠なり!
【追記】SAWADAの母上より届いた手紙
昨日はわざわざお訪ね下さいまして誠に有難うございました。遠いところタイ・メコン河まで訪ねて下さって感謝感激でございます。
タイは雨季と乾季の差が大きいのでその期に合わせて工事をするのだと聞いていましたが事故のあった七月はもう雨季で河の水も大変深くなっていた時で無慚にもポキリと折れたクレーンと白いヘルメットがプカプカと浮かんだ光景(当時の写真)を見た時はなんとも言えない気持ちでした。
ネームの入った一人一人の白いヘルメットは欠ける事なく回収されて現場事務所の机の上に並べられ、まだ見つからなかった三人のヘルメットの前にはお線香が立てられていました。
穣の机の上には日本のお友達と交信していたパソコンが置かれたまま、机の引出にはペンや定規が整然と入っていました。その現場事務所は十二月に完成した時は跡形もありませんでした。
でも穣が仕事をしていたあのメコン河まで、その周辺までお運びいただき、あのメコン河の風、気温を肌に感じていただけた事がとてもうれしいです。その時咲いていた黄色い花はきっと穣の喜びをたたえてくれていたのではないかと思います。学生時代はつっぱって真面目でなかった息子でしたのに良いお友達を持って幸せな子だったとつくづく思います。
本日阪急百貨店に出掛けましたので御自宅でこれからお風呂上りにでも召し上がっていただけましたらと心ばかりの感謝をお送り致しました。どうかお納め下さい。
何か気候不順な此の頃でございます。くれぐれもご自愛の上ご活躍お祈り致しております。
五月二十八日
清水建哉 様
バンコクの空港に降り立ったら雨である。雨季でないこの時期の雨。これまでオレが来ると必ず雨が降るとサミーに云われ続けてしばらく、オレはタイでは雨男なのだろうか・・・。
スクンビット通にある常宿・アンバサダーホテルにチェックインした後、15年近く前にSAMMYに教えてもらったタイマッサージの店にタクシーで向かう。その店は、スクンビット通りよりソイアソーク通を左に折れ、ペッブリー通手前にある。到底、観光客が行きそうにない所にその店はある。2時間で250バーツ也(750円)。
久しぶりのタイマッサージを楽しんだ後、店の前の小道に並ぶリアカーの屋台でバーミィ(タイ風ラーメン)を食べた。30バーツ也(90円)。タイでは机の上に、ナンプラー、唐辛子、ナッツ、砂糖が置かれており、それを好みでかけて食べるのである。なぜ砂糖をバーミィにかけるのか解せない。勿論、オレには不要。美味!
夜、SAMMYとSAMMYの嫁さん・RINGOと落ち合い、韓国料理BBQレストランへ。久しぶりの再会に話も弾む。デモについても語りあう。そして明日アレンジしてくれたウボンラチャタニでチャーターするタクシーについても確認した。
明日は朝が早いので、夜10時過ぎにホテルに戻った。
約束の日:
目覚ましをかけていた午前5時のアラームが鳴る前に自然と目が覚めた。スーツケースはそのままホテルに預け、小さいカバンに1泊分のシャツとパンツを入れて空港に向かう。
エアーアジア航空でウボンラチャタニへ。空から見える景色は全く森のような未開の地、しばらくすると田畑が連なる田園地帯にポツンポツンと家が見えた。
ウボンラチャタニ空港に飛行機が着き、滑走路を歩いてターミナルへ。空港には頼んでいたドライバーが待っていてくれた。しかし彼は全く英語が解せず。
田舎の街。この街でオレはタイビール、そして花屋で白いオーキッドの花束を作ってもらった。そしてクルマで橋に向けて走る。
ただただまっすぐの道をひたすら走る。土が赤い。牛が放し飼いにされている。
たまにポツリポツリと見える家の軒先には藁葺きの吹き抜けの小屋がどこにでもあった。どうみても電気どころか下水道も整っていないような家々である。きっとあの小屋で暑い午後は昼寝でもして過ごすのであろう。
ただただ走ること3時間。そしてオレはついに亡き友・SAWADAが作った橋にたどり着くことができた。
橋のたもとにはタイ入国管理局があり、メコン川をはさんだ向こうにはラオスのそれがあるようであった。
入国管理局に行って日本から来た旨を伝えた。亡き友がこの橋の建設中に事故死し、オレは彼の最後の偉業を日本から確かめに来たのだと伝えた。
SAWADAの母上から聞かされていた通り、橋の半ばにSAWADAを含む事故で亡くなられた10名の名前が刻まれた石碑があるはずだと話したが入国管理局のオフィサーは知らないようで、橋を管理する別の建物へ案内された。そしてそこで再度事情を話すと、そこのマネージャーがそのモニュメントを知っており、彼のクルマで橋の半ばまでオレを連れて行ってくれた。
ようやくたどりついた。
オレはSAWADAの名前の前に花と一緒に飲もうと話していたタイビールを添えた。橋の上は信じられないくらい熱い熱風が吹いており、線香が点かない。マネージャーが停めていた車に戻り、車内で線香を点けてきてくれる。
流れ行くメコン川は川幅が1.5キロもあり、そこを跨ぐ橋は長い。そのメコン川は想像通り泥水であった。長く長い河。
川沿いには日本では見たことのないオレンジの花をつけた背の高い木が並んでいた。
SAWADAよ、オレの中でお前に誓ったお前の作った橋を見に来るという約束、オレはやってきたぞ。お前はこの恐ろしく熱い風に吹かれながらも、エンジニアとしてヘルメットをかぶり、作業服を着て、この橋を作っていたんだな。最後に連絡を取り合っていたのが5年前のこの時期、お前もこのオレンジの木々を見ていたのだろうなぁ。
よく頑張ったな。さすがはわが友である。
橋の上で合掌。
よき友よ、永遠なり!
【追記】SAWADAの母上より届いた手紙
昨日はわざわざお訪ね下さいまして誠に有難うございました。遠いところタイ・メコン河まで訪ねて下さって感謝感激でございます。
タイは雨季と乾季の差が大きいのでその期に合わせて工事をするのだと聞いていましたが事故のあった七月はもう雨季で河の水も大変深くなっていた時で無慚にもポキリと折れたクレーンと白いヘルメットがプカプカと浮かんだ光景(当時の写真)を見た時はなんとも言えない気持ちでした。
ネームの入った一人一人の白いヘルメットは欠ける事なく回収されて現場事務所の机の上に並べられ、まだ見つからなかった三人のヘルメットの前にはお線香が立てられていました。
穣の机の上には日本のお友達と交信していたパソコンが置かれたまま、机の引出にはペンや定規が整然と入っていました。その現場事務所は十二月に完成した時は跡形もありませんでした。
でも穣が仕事をしていたあのメコン河まで、その周辺までお運びいただき、あのメコン河の風、気温を肌に感じていただけた事がとてもうれしいです。その時咲いていた黄色い花はきっと穣の喜びをたたえてくれていたのではないかと思います。学生時代はつっぱって真面目でなかった息子でしたのに良いお友達を持って幸せな子だったとつくづく思います。
本日阪急百貨店に出掛けましたので御自宅でこれからお風呂上りにでも召し上がっていただけましたらと心ばかりの感謝をお送り致しました。どうかお納め下さい。
何か気候不順な此の頃でございます。くれぐれもご自愛の上ご活躍お祈り致しております。
五月二十八日
清水建哉 様