2年1か月ぶりに海外旅に出た。
BKKへの入国は今月から日本出国前のPCR検査が割愛され、タイ王国へ入国する為の事前PCR検査がパッケージとなっているSHAクラスのホテル予約と滞在中海外旅行保険と登録して発行されるTHAILANDPASSが必要となっており、入国に関しては今や商用/観光の括りはないようである。
つまり多少高いように思える飛行機代とホテル代とPCR検査費用を払えばもはや旅は全然可能となっているのだ。
ただ関空からは未だ1日数便しか飛行機は飛んでいないようであった。僕が今回乗ったタイ航空の隣のゲートにはエールフランスが出発予定であり、それを使えばパリ経由でイタリア入国ももはや可能のようである。
なんだかコレからは中断していた趣味である中年バックパック独り旅を再開出来そうで楽しみである。
久しぶりのスワヌプーム空港へのフライトは恐らく1/5程のシートしか埋まっていなかった。ビジネスとして出国する人々もまだ殆どいないようである。
スワヌプーム空港を出るとSHAホテルのパネルを手にした案内人が沢山おり、そこが用意したハイヤーにて病院に立ち寄りPCR検査を受けてからホテルに出向きチェックイン手続きとなる。その日は検査結果が出るまではホテル待機となった。
この日は仕方がないのでルームサービスを頼みビールと赤ワインを飲んで過ごした。
翌朝6時にはPCR検査陰性結果が出ており、僕はホテルからBTSのアソーク駅を越えてさらに向こうのナナ駅までJOG&WALKに行ってきた。朝はそんなに暑くはないがやはり汗だくとなる。そしてその翌日は逆方向にトンロー駅を越してエカマイ駅まで。最終日の朝はスクンビット通りにある公園を3周走ってきた。結構同じように朝走っている人が多かった。
若かりし昔は夜な夜な酒を飲みに出ていたのがこの歳になると早寝早起きで朝走るという真逆の生活になっているのだ。まあ飲み屋がコロナ禍で開いていないというのもその一つの理由なのだが…
今回の旅では久しぶりの取引先の知人らとの再会に喜んだ。色んな情報を交換し近況を伝え合った。普段はSNSなどでやりとりはするもののやはり顔を合わせてのやりとりとは違うのである。長くなると20年来となる知人らはいずれも成功した人生を送っていて頼もしい限りである。
今回の旅で一番衝撃的だったのは25年来の親友であるSAMMYが、昨年重度の椎間板ヘルニアで手術後1か月入院し死にかけていたという事実を本人から聞いた事である。術後は歩くどころか下半身付随の状態を今何とかゆっくりと歩けるように復活したとの事。確かに久しぶりに会ったSAMMYは10kgほど痩せて喋る言葉も心なしか弱い感じがしたが先ずは何よりであった。そしてヤンチャ盛りのSANDYとDEEDEEとも初対面となった。何故そんな状況を伝えなかったのか問うたがきっとSAMMYの事だから心配掛けると考えたのであろう。
いずれ本当に良かった。
最終日は仕事の予定は何も入れてなかったのだがCHAIYANのバースデーパーティがランチタイムに行われるとの誘いに参加させてもらった。親戚一同20人程に日本人一人混ぜてもらい感謝。本当に皆んな仲の良くて羨ましくも思った。少しは真似ようと思う。
しかしコチラの取引先ジュエラーは皆んなリッチである。7月に開催されるマンチェスターユナイテッドとリバプールのBKKでの試合のチケットを抑えれたとAOUに見せてもらったのだが1席7万円であった。
パーティの後はAYがオススメのタイマッサージへ出向いた。初めて訪れる Health Land という店だったが、これまで長年訪れてきた全てのマッサージ店の上を行く店だった。カラダがパキパキである。ココはまた来ようと思う。
今回はKRAISORNの弟、娘さん、旧知のRAJEEV、WATTANA 、RAATらにも再会出来て本当に良かった。
沢山タイ料理も食った。またよく飲んだ。ビアチャンエスプレッソビールも飲んだが思いの外美味かった。
久方ぶりに訪れた大好きな街だったが、その喧騒と雑沓は相変わらずのそれであり、時の流れを感じさせるものはなかった。
ただ2年ぶりに顔を合わせて近況を伝え合った知人らの顔を見て、皆んな其々が知らぬ間に歳を重ねているという事をこの2年の月日が僕に気づかせてくれたのであった。そしてそれは間違いなく僕も同じように思われたであろう。
タイに頻繁に出入りし始めた頃が27歳、そして今は54歳である。つまり初めてタイに足を踏み入れた時から折り返しの人生を過ごしてきたという事になる。
初めてBKKに訪れた時の事、それは当時大変お世話になっていた大阪枚方にあった料亭女将をタイ観光旅行に引率したのであった。シーロム通にあったダーリンサイアムという宝石店を覗いた時に目にした8ctsのダイヤモンドのテニスネックレスを、帰りの機上で女将は今度はあんなネックレスが欲しいと言ってくれて帰国後に製作してお届けしたのであった。
決して忘れられない感謝の思い出である。
あの頃があり今がある。
全ては必然的に繋がって今の僕があるのだ。
これからも感謝の気持ちを忘れずに歩んでいこうと思う。
バンコク万歳!