連日マスコミを賑わしている大津のイジメ事件。評論家もマスコミも一般市民も、いろんな意見を言っている。
よく言われるのが、学校側や教育委員会の対応がなっていないということだ。
結果を見ると確かにそうなんだけど、隠匿体質とかそういうものの有無以前に、プロが仕事を続けていると陥りやすい慣れの怖さを感じずにはいられない。
大津の事件は教育界そしてイジメという問題だが、業界・職業が違っても、似たようなことは起こる。
「こういう場合は、こう処理するのが普通」「こうやる他に手はない」という安易な判断で、結果として最悪の死に至らずとも、誰かが迷惑を被るケースは沢山ある。
医療にしてもそう。医者が定石として処理した結果が、本当に正しかったのかという疑問は常についてまとう。
警察もそう。今までにもストーカーなどで警察に助けを求めていたのに、対応しなかった結果、殺人事件にまで発展というケースが何度も指摘されている。
自分自身は即命にかかわる仕事ではないが、どうしても民間企業としてコストパフォーマンスを考えざるを得ないので、費用が潤沢でなければ、理想的な回答をすることができない。安い値段で美味しいものが食べられないのと同じだ。ただ、高いお金をとっても、理想的なサービスを与えられない企業も多い。いったい何が妥当なのか、解は混とんとしていると思う。
話を教育現場に戻すと、学校の先生というのは、本当に真剣にやれば身が持たないだろうと想像する。単に教科をちゃんと教えるだけでも大変。落ちこぼれを何とかするのも大変。その上に生活指導や、モンスターと化した保護者対策やら、学校内での人間関係やらと大変なことばかり。私ならとてもじゃないけどできない。
おそらく、できると思った人が教師になっているのだから、嫌味な言い方をすれば優秀な方が先生になっておられるんだろう。けど、実は特別優秀ではない人間が教師になっているから、重い負担をこなせるわけがないんだと想像する。評論家など偉そうにいう人は、一度本当に教師をやってみるといい。きっとできないよ。
ならば、どうするべきか? やはり、余裕をもって生活面を見る役割の人を配置すべきだろうし、生徒に対してもっとイジメなど人として卑劣な行動を戒め、考えさせる時間もとるべきだろう。
もちろん、隠匿体質を排除すべきだし、教育界に身を置く人に、あなたが今常識と思っているその判断基準はおかしいよと警告を与えるチャンスも必要だと思う。
私は自分自身が小学生の時に、ひどい教師の行動をつぶさに見て、彼らを信じられなくなり、その後、教師という人種は疑ってかかるようになった。今でもその気持ちは変わっていない。
そのことが、私自身の行動や人を見る判断基準に大きく影をおとしている。
人間は神様じゃないから、一人の人に完璧を求めるのは無理だろうから、何人かが寄って欠けた部分を埋めあうようなシステムを構築してほしい。
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