本当に久しぶりに心斎橋筋を歩きました。今、心斎橋筋は中国系を中心とした海外からの旅行者御用達の商店街になっていて、おそらく95%くらいが旅行者、残りの5%が日本人という状態です。1年ほど前に歩いた時も来街者の比率は同様でしたが、今回の新たな発見は、もうこの商店街にはドラッグストアとスニーカーを売るショップと、ブランド品のリサイクルショップしかない(他にもあるにはあるけど、その数は少ない)のであります。そう、宮島に行って厳島神社までの門前町は、もみじまんじゅうを売っている土産物屋ばっかしというのに近いんですね。
30年ほど前の心斎橋筋はというと、そこは通路としては機能していても、物を買う商店街としては終わっているという感じでした。そして韓国・朝鮮系資本が店を買ったり借りたりして、どんどんパチンコ屋が増えるという状況にありました。もうその頃から、都心の商店街としては危機的状況だったわけです。
心斎橋筋は18世紀(江戸時代)には既に小売りの街であり、現在の大丸の前身となる呉服店もあったといいます。当時から戦後にかけては大阪でも第一級の繁華街として名を馳せ、老舗が軒をつらねていたわけですね。当然、呉服屋、草履屋、茶舗、小間物屋など和のお店が多く、それらはだんだんと日本人の日常生活から遠のいて行き、30年前のような状態になったのです。その頃は同時にアメリカ村やら、キタではエストだの、若者向けの店が集まる場所が花開いた時期でもありました。
大阪で心斎橋筋が中国系の観光客に受けた理由は、団体客がバスでおとづれた時に、真っ直ぐな商店街の中に様々なお店が並んでいて、迷子になりにくいし、お買い物が十分に楽しめるからでした。最初の頃は、デズニーショップ、キティちゃんショップなどにも人気があり、ユニクロ、ZALA、H&Mといったファストファッションにも人気がありましたが、先日見た限りでは、もうファストファッションの店なんかは閑古鳥が鳴いていました。対称的にスニーカーの並んだABCマート、アディダス等の店には中国人がいっぱい。ドラッグストアは店舗数がものすごく多いので、ぎゅうぎゅう詰めまではいかないものの、結構お客が入っていました。
かつて私も良く利用したアセンスという本屋さんもドラッグストアになっていました。これだけ似たような店ばかりが並んでいて、楽しいのかな?と疑問に思います。でも、もう日本人がほとんど来ない商店街なら、観光客に買物させることしか考えられないのかも知れません。
南から北へ向かって心斎橋筋を歩き、終点のソニータワーにあるシュラスコ料理の店でランチをしました。かつて心斎橋筋のそこかしこに有った食べ物屋さんはほとんどなくなっていました。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます