
山口市徳地の狗留孫山を歩いています。
目の前に現れたこの岩に書かれている字をパソコンで拡大して読もうとしましたがダメでした。タカ長には読めません。
狗留孫山と言う山が山口県にはもう一つあります。下関市の豊北町になるのでしょうか、標高616メートルの山です。この山には2回登っているので、もう一つの、徳地の狗留孫山に登ってみたいと前々から思っていたのです。
ところが、この狗留孫山と言う山は、日本にもう一つしかありません。(「日本山名事典」・三省堂)その一つは奈良・三重県境にあります。日本に3座しかない狗留孫山と言う山が山口県には2座ある。これは単なる偶然でしょうか?

山口県百名山(中島篤巳著・葦書房)に次のような記述があります。
『防長風土注進案』(天保12、13年の編)や『防長地下上申』(編年は享保、寛保、延亭、寛延年間にわたる)などでは徳地の山に関しては、真田ヶ岳や白石山は詳しく説明されているが、狗留孫山の解説がみあたらない。これは狗留孫山は史料が編纂された享保から天保年間頃には、まだ重要な信仰の山ではなかったためで、地域の注目を集めたのは、ずっと後世のことと思われる。
山口県では四国八十八ヶ所巡り(弘法大師信仰)が主流であるが、この狗留孫山は西国三十三ヶ所(観音信仰)を配置した山である。(中略)
興味深いことに、徳地町では千石岳観音信仰など山岳と結びついた観音信仰が盛り上がる風土であったように思われる。それは古くからの観音信仰の山である白石山の影響かも知れない。狗留孫山は谷を隔てた西側の白石山を意識して新たに開かれた観音の山と考えられる。

これを読んだくらいでは狗留孫山の詳細は分かりませんが、山岳信仰の山としてはチョッとだけユニークな山であるような気がしてきました。

このようなものもありました。タカ長にはその意味が分かりません。しばらく行くと、、、、、

水場みたいなものがありました。出雲の守様がのぞいていますが、水は無いようです。
その右上に何やら建っています。どうやら奥の院に着いたようです。


元気な美弥様が階段を登って行きました。その建物の一部は崩れかかっている、と言うことでした。
タカ長は余分な動きは一切しないで山頂に向かっています。

痛みを感じている左膝ですが、狗留孫山ではその症状が消えていました。本当にまったくのゼロ。だから、山頂に向かうこと以外のことはしたくなかったのです。もし、再発したらリハビリ登山の意味が無くなりますから。


黙々と、、、、、ではなく、おしゃべりしながら登って行きます。
しばらく行くと宝篋印塔が現れました。


何か書かれているようですし、模様のようなものも見えますが、不勉強なタカ長には解読できません。


羊歯が登山道を狭くしているところもありました。しかし、ルートはハッキリしています。

奥の院のまわりは暗い雰囲気でしたが、登るにつれて明るくなってきました。
しばらく行くと、、、、、

展望岩?
余分なことはしたくないと言っても、あの岩に立たないわけにはいきません。そこに立つと、、、、、



この展望、しかし、初めての山なので遠くに見える山の説明は出来ません。
向かっている狗留孫山の山頂も見えない感じです。狗留孫山は目立ったピークがありませんが、奥行きは深い山のようです。
続きます。