この本を読みました。
人生100年時代ですから全員がボケることになる。ならば、ボケをネガティブにとらえないで、ポジティブな発想でとらえ直してみよう、と言うようなことが書かれている本です。
「ボケることが人間の自然の流儀である」と言うと、「だったら、もう何だっていいじゃないか」とかんがえる人もいるでしょう。
しかし私は、どうせなら面白くボケたい。ほかの人たちに迷惑をかけたり、自分の中に忸怩たる思いを抱えたりというようなボケかたではなくて、周りの人の気持ちに春風が吹くようなボケかたができるだろう、そう思うのです。
悲劇をもたらすボケかたではなく、できるだけ楽しいボケかたを目指すにはどうしたらよいか。
その方法の一つとして著者は「刺激」を求めることを提案しています。
例えば散歩。毎日毎日同じコースを同じ時間に歩かないで、コースを変えて初めての路地に入ってみる。そうすると新しい発見があり、脳が刺激されると言うわけです。
また、服装なども百年一日のごとく同じ色の服を着ないで、時には思い切って、チョッと破廉恥な格好をしてみると言うような刺激がすごく大切だと提案されています。
まぁ、このくらいならタカ長もついてゆけそうですが、、、、、、、、
著者は九州から東京に出て暮らし始め、北多摩の奥のほうから都内の中心地まで、住む場所をしょっちゅう変えたとか、、、、、、、、
作家になってからは東京から金沢、しばらくして金沢から横浜そして横浜から京都に移って、また横浜にもどり、そのたびに大きな刺激があった、、、、、、
と言われても、誰もがそのような生活が出来るわけではありません。そこまではついてゆけないよ。脳を刺激しながら生きることが大切なことは理解できますが、、、、、、、、。
その論法で言えば、いつも同じ裏山歩きをしているのは刺激の少ない生き方だと言われるかも分かりません。しかし、たとえ裏山でも、自然には日々変化があり、その小さな変化を感じる感性を失わないことが大切だと思います。
とは言っても、初めて山、久しぶりのコースを歩くと刺激が大きくなることは事実ですから、気候が良くなったら裏山以外の山を歩きたいと思います。
皆さま、同じボケるのなら、春風のようなボケ老人を目指しましょう。
香川の義弟から、義母の様子を見に来てくれと言われ、
夫婦で出掛けて行って、その日の内に義母を、
施設に入れるのではなく、松山へ連れ帰りました。
義弟が親を看ると言ったものの、嫁が嫌だと、
それで困った義弟が、泣きついて来ました。
義母に遊びにおいでと、松山に連れ帰った日、
義母の事で喧嘩はしないと、家族で約束をして、
15年あまり看ました(^^)
義母は引き取ってからは、安心してボケましたよ(笑)
楽しいボケが多かったので、介護日記なども書いてました。
1冊の本が書けそうでした。
看る側もポジティブに考える事で、介護の質が変わりますね(^_-)-☆
タカ長も両親を看取りましたが、二人とも最後には認知症になりました。そのため母親は丸くなり、病院での最後の2ヶ月は優しい母になり、毎日見舞いに行っては体をさすってやりました。嬉しい思い出です。
親父も最後は施設でお世話になり、夜は暴れることがあってナースステイションのそばに寝かされていました。
しかし、タカ長たちが見舞いに行く昼はニコニコして車イスでフロア内を動き回っていました。タカ長たちには嫌な思いではゼロ。
百歳の天寿をそのように全うしてくれたのですから、有難いことです。
タカ長たちは絵に描いたような親孝行をしたことはありませんが、追い出すようなことは一度も言っていません。
今思えばいい親子だったと思います。