号外10)笑顔

 黄土高原の農村を回って帰国間際の日本の青年が私に話します。「貧しい村ほど人の表情が豊かで笑顔がすてきです。町はそれが薄れ、大同や北京では表情がとげとげしくなります。その先に大阪が待っていると思うと、帰るのがイヤになります」  私も同感。真っ黒に日焼けしたしわだらけの農民が、しわをもっと深くして笑うのがなんともいえない。好奇心いっぱいで、目を輝かせる子供たちもいい。そのなかにつかっていると、誰でも . . . 本文を読む
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号外09)県の林業局長夫妻

 大同の南60キロ、渾源(フンユェン)県の林業局長・温増玉(ウェンヅォンユィ)さんと森林消防の赤い小型四輪駆動車で造林地を回り、町まで帰ってくると食堂は閉まっていました。おかげで自宅に招かれ、夕食をごちそうに。私の宿から近いことを知り、味をしめて毎朝通いました。アワかジャガイモの主食にハクサイの漬物がつくくらい。  温さんのその日の予定が会議だと、私は帰って独自の日程を立てます。村に行く予定があれ . . . 本文を読む
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号外08)アンズを育てる

 大同の小学校付属果樹園のアンズは、私の目からみて、ずいぶん丁寧に植えました。直径・深さともに70センチはある大きな穴を掘り、苗をまっすぐに置き、土をかけて水をやり、蒸発を抑えるためにしっかり踏み固めたのです。ところが夏に行ってみると、半分以上が枯れていました。地元の技術者は「干ばつがひどかった」と説明しました。  植えたときのビデオを日本の専門家にみせると、「これではだめです。粒子の小さな黄土で . . . 本文を読む
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号外07)「学校に行きたい!」

 緑化協力を始めて間もない1993年秋、大同の農村の小学校に案内され、がくぜんとしました。傾いた校舎の屋根は波打ち、零下30度になるのに障子張りの窓は破れ放題。裸電球だけの薄暗い一つの教室で、1年生から3年生までが勉強しています。先生は1人で、4年生以上は遠くの村の学校に行くしかない。  学校に通える子はそれでも恵まれています。村を歩くと、弟妹の子守をしたり、親について野良で仕事をしたりしている子 . . . 本文を読む
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号外06)「水土流失」と砂漠化

 黄土丘陵や山間の急斜面の畑は「三逃(さんとう)の畑」と呼ばれます。雨のたびに水が逃げ、土が逃げ、肥料が逃げるという意味です。収穫が少ないうえに作業が困難で、こういう村が貧しいのは言うまでもありません。毛沢東時代の1960年代、人海戦術で改造に挑みましたが、十分な成果はありませんでした。  年間降水量は400ミリほどですが、3分の2が夏の一時期に集中し、局地的に短時間、豪雨が降ります。1時間70ミ . . . 本文を読む
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