名古屋市名東区 赤帽タケフジ運送の「ふ箱」

赤帽タケフジの車窓から見える光景

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娘を救急車で送った朝

2024年06月24日 | 仏法
 お釈迦さんの言葉をときに読みます。
「愛するものから憂いが生じ、愛するものから恐れが生ずる。愛するものを離れたならば憂いは存在しない・・・それ故に、憂いのない境地を求めるなら・・・愛するものをつくるな。」
・・・そうだなぁ~と思いはするがそれができぬのがこの娑婆のわれらです。
愛するものすなわち執着するものです・・・イロイロあります。妻子・健康・仕事・財…社会関係・・・これらを失うことを憂い恐れるわけです。お釈迦さんはそれだから愛するものをつくるな・・・と。
それはできないことです。逆に執着煩悩の強くしてウロウロするばかりだ。
真宗では朝夕「正信偈」をお勤めする。その中に「能発一念喜愛心 不断煩悩得涅槃(のうほついちねん きあいしん ふうだんぼんのうとくねはん)」とある。如来の救うとの誓願が私にはたらき、喜愛の一念の信が起きたなら、執著だらけの身のままにての煩悩の炎が消え去る・・・とある。
誓願の不思議のはたらきです。
一喜一憂の身でいい。ただ念仏申す。


東別院の彼岸法要・・おしえの変節

2024年03月25日 | 仏法

 名古屋別院の彼岸法要にでかけた。
彼岸法要のときには「平和展」が同時開催される。今回で35回目となる。
今回タイトルは  真宗大谷派の海外浸出「満州開教」でした。
満州事変以後日本は「満州国」を設立した。それにつれて大谷派は、国策に沿って中国への開教の範囲を積極的に広げた。満州国は日本の傀儡(かいらい=あやつり人形の意)国でした。そこへの教線拡大は彼国の宗教を傀儡化する目的でした。このような侵略目的の布教は真宗そのものの教えがねじまげられることを意味してました。
昭和11年の「皇軍と仏教」のパンフには、「根本仏陀の精神は自己の心身を捧げて君主と国家と一切衆生とのために盡すべきを教ゆるのであるが、その中において・・・陛下国王の恩を以て重要なりとおしゆるが故に、仏陀の精神は皇道精神を把握せるものに国体精神と一致すると・・・」
また仏教徒提携親善(昭和14)のパンフにも 聖徳太子や親鸞聖人の精神は天皇に帰依する皇道仏教の礎・・・とある。
いま思うに、どこをどうたどってこのような教えにしたのかかわかりません。
ただこのような変節をもたらした時代閉そくの感がいまに感じられるというのは杞憂でしょうか。

「これからが これまでを決める」??

2024年02月25日 | 仏法
 日めくり法語「一語一遇」(東本願寺)に??があった。「これからが これまでを決める」・・・と。
通常「これまでが これからを決める」なら、そうだなぁ~でおわる。
今まで為してきた努力とか、自分の過ち、習慣等の集積が、自分のこれから未来が良くも悪くも開かれていく・・・というような。
いままでの自分の良き行いが未来に良き結果をもたらす・・・という。善因善果、または逆に悪因悪果の世界です。イマフウにいえば「自己責任」です。
しかし、「念仏往生の本願」に仏縁によってであい念仏もうせば、これまでの いし・かわら・つぶてのようなわれらは 瓦礫(がれき)変じて金となる・・・ような転回をなすという。
 ただいま今日からがすべてで、過ぎ去ったことなどはもういいんです。
念仏もうすものには「これからが これまでを決める」というは、腑に落ちることなのでしょう。

悔しきは…

2023年04月25日 | 仏法
 先日友人宅に遊ぶ。
かれは4年前に病み、障碍を持ちながらも元気に生活している。今度はどこかでメシでも食おう・・・と約して帰る。

 その日に読んだ本にてドキッとした所がありました。
13世紀の仏教説話「沙石集しゃせきしゅう」僧 無住の著です。近く矢田の長母寺で書いたといわれる。
  山の端に かげ傾きて 悔しきは 空しく過ぎし月日なりけり
 歌の意は・・・年老い病などに伏したとき、若かりしときに成すことをもせず勤めなかったことを悔い、命終わるとき苦痛にせめられ なぜ一善をもなさなかったのかと悔やむ・・・
ドキリとしたのは、ひょっとして自分が友のようになったら無住の書いた通りのじじいとなりわせぬか・・・という危惧からでした。
しかし親鸞和讃をも思う・・・
   無明長夜(むみょうじょうや)の燈炬(とうこ)なり 智眼くらしとかなしむな 
  生死(しょうじ)大海の船筏(せんばつ)なり 罪障おもしとなげかざれ

   阿弥陀の我らを救うという本願は長い夜のともしびです。自分の智慧の眼が闇いとて悲しむな。本願は生死大海の船・いかだです。罪障が重くても嘆くことなかれ・・・の励ましです。
   




うつろいて

2023年03月03日 | 仏法
 十数年来の顧客。当初は独身でアパート住まいでした。まもなく結婚し子供もできて賃貸のマンションに移転。今年伺ったときは一戸建ての家となってました。人生「上り坂」の風景です。
一方自分の年回りになると、うつろう様が逆になる。このコロナ禍の3年間にも友人が脳梗塞にてリハビリ生活・・・先輩が認知症になり施設へ・・・昨年は仲間が末期がんにてなくなった・・・など増えてます。最近にも病で倒れて引退という知らせを聞く。
そんな時には声をかけたり、手紙を書いたりしてきましたが、毎回言葉への戸惑いがある。付き合いの深さや、長さによって使い分けざるを得ない。
本来は心底自分の思いの丈を表すべきなんだが、直球すぎると相手の気持ちを傷つけてしまいはしないか・・・と忖度してしまう。
 このような重大な生死(しょうじ)にかかわることにもわだかまることなく諄々と説いた手紙がある。
 1260年に書かれた親鸞聖人88才晩年の手紙です。年表を見ると、1259年から全国飢饉・疫病にて死者多数とあり、今の時代と重なる。
以下概略です・・・
  去年今年老少男女の多くがなくなり寂しいことです。けれども、生死無常の道理はすでに詳しく如来が説いておられることですから、改めて驚かれるにはおよびません・・・臨終の善しあしを問うことはしません。信心の決まった人は、弥陀の誓願を疑う心がないから、必ず往生する身ときまっています。…愚かで無智な人も何の心配もなく臨終を迎えることができるのです。故法然聖人が「浄土の教えに生きる人は、愚者になって往生する・・」と言われたことを確かに聞きました。・・略・・

人が死にゆくことは道理です。また臨終のありさまの善しあしも問題ありません。阿弥陀仏の 念仏すれば必ず救うぞ・・との誓願を信ずれば必ず往生する身であります・・・決して学者ぶって議論をしないで愚者となって往生してください・・・と。
道しるべがない時代です。暗夜の海に漕ぎ出す小舟にとっての灯台となります。



 
 

今度の3年連用日記

2022年12月10日 | 仏法
 三年連用日記がこの12月で終わるので購入に行く。
この新しい日記帳が7冊目ですから‥19年目となるわけだ。
三年日記を手にするたたびに最後まで書き終えることができるだろうか・・・と強く思うようになりました。
 蓮如さんの「おふみ」に
 そもそも人間界の老少不定のことをおもうにつけても、いかなる病をうけてか死せんや。かかる世のなかの風情なれば、いかにも一日も片時もいそぎて信心決定して・・・・そののち、人間のありさまのまにまかせてすごすべきこと肝要なりと・・・・と。
 突然死んでしまうこともある。だから一刻も早く信心をえて、人間のありさまを受け入れてすごすことが肝心と。
人間のありさまというのは、病・貧困・不遇・・と限りない娑婆の苦しみをも信心決したならば感謝して生きていかれるぞ・・・との励ましか。

京都行仕事のついでに・・・

2022年11月23日 | 仏法
 京都行でした。前からの予約でした。いつものお客さんです。22日中の納品です。丁度この時期は本山の報恩講の時期です。ハナから納品を終えてから参詣するつもりでした。この日には他にコンマイ仕事があったんですが、それは仲間の赤帽さんに依頼しておきました。
京都の町は賑わっていました。東寺近くが着地でしたので東寺の五重塔を眺め、興正寺の伽藍を横目でみて東本願寺まで走る。報恩講の幔幕があざやかで楽しい。御影堂は圧巻です。東洋一?大きな木造建築だったでしょうか。
本来の参詣(仏法)には時をつくってするものであり、決してひまがあったからするものではないと蓮如さんが申してました。今回の自分は稼ぎ仕事のついでの参詣で、蓮如さんに叱られたような気もしてます。

煩悩に遊ぶ

2021年12月15日 | 仏法
 親類の葬儀式がありました。この一ヶ月でバタバタと亡くなってしまいました。 最後に会ったのは2週間前です。ともに食べようと切餅を持っていきました。それを焼き、砂糖醤油で2個うまそうに食べてたのを見たのが最後でした。
法名(ほうみょう)は「釈〇遊」でした。〇には本人の姓名の一字が入ってます。
 式次第が済み、真宗の僧の話がありました。法名に「遊」の文字を入れるのはチョット・・と思われるかもしれませんが・・・と以下の話です。
法名は経典の一字を入れるのが常です。「釈〇遊」は、正信偈の「遊煩悩林現神通 入生死園示応化」(ゆうぼんのうりんげんじんずう にゅうしょうじおんじおうげ)からの「遊」です。
その意は、仏は煩悩の迷いの世界にあるわれらを救済をするため、また生死を繰り返すわたしたちに姿を変えて現れるのです。
わたしを救うがために、仏がわたしにふさわしい姿になって現れることを「遊」という・・・と。
勝手奔放に生きサッサと逝ってしまいました。まわりには迷惑至極であったろうが、これは仏が反面教師となっての「応化」であるのか。

 紅葉散る 帳尻合わせ 「遊」の逝く

病・痛みには信心は通用せぬか?

2021年12月03日 | 仏法
「痛みはすべてを奪う」・・・という言葉に釘付けとなる。
ある人のブログの言葉です。かれは念仏者です。「なむあみだぶつ」の行者です。
信心にては、病の苦しみ痛みを取り除くことはできません。「信心を揺るがすほどの<痛み>が起きることも事実である」・・・「痛みはすべてを奪うゆえに私は「病床六尺」の子規のようにとにかく痛みを除いてほしいと泣き言ばかりになっていく・・・南無阿弥陀仏」と。

子規は結核を病み、脊髄カリエスとなり晩年は床に就いてその痛みに呻吟しました。
ブログの人は老年となり背に激痛が走るようになりキーボドも打てないようになっての思いです。
念仏しても痛みを除いてくれない・・・だからなむあみだぶつに意味がない・・・ということでは断然ありません。
子規はまた「悟るとは平気で死んでいくことではない。平気で生きていくことだ」とも言っている。お念仏の教えはこれとも違います。平気で死んでいくことは如来に背いているのでは・・・という。病に泣いて痛みにうめく。そして死にたくないと言って死んでいったらよい。阿弥陀様に自分丸出しの煩悩で{南無}(おまかせします)していけばよい。こんな「ひと」を目当てに願を立て、摂取して救ってくださるのだから。なむあみだぶつ

久しぶりの会話は・・・

2021年11月15日 | 仏法
 新築現場への部材納品仕事でした。現場へ着くと荷受の担当者が大工さんと話してました。聞くに双方久しぶりの再会だったみたいです。気の合った二人とみえて・・あの人が亡くなったことしってる?とか・・・○○さんは単価が低すぎて手を引いた・・・とか・・・○○は肝臓が爆発して逝っちゃった。黄だんになっとったぞ・・・とか。
聞こえてくるハナシはなんだか暗いんですが、そこは他人事ですので・・そうかそうかや・・で終わる。
自分事にて精いっぱいで、他人事は笑い飛ばすしかないのです。
・・・何事もなく過ぎゆく時間は短い。他人事ではなく、笑い飛ばすことなぞできぬ自分事がしゅったいしてきます。

お経に「身自当之 無有代者」・・身に苦しみを受けることは、誰も代わってくれない・・と。
・・・この辛い認識をしないと救われる道が現れない。

執着のもたらすものは・・・喜びか憂いか

2021年08月28日 | 仏法
 お釈迦さんと悪しき者との対話です。
他人を悪にさそう者が釈迦にとなえた。
「子ある者は子について喜び、また牛のあるものは牛について喜ぶ。人間の喜びは、執着するよりどころによって起こる。執着するよりどころのない人は、実に、喜ぶことがない。」と。
 お釈迦様がかえした「子ある者は子について憂い、また牛のある者は牛について憂う。人間の憂いは執着するよろどころによって起きる。実に、執着するよりどころのない人は、憂うることがない。」
 人の喜びと憂いは同じ執着するもと(いのち・家族・財・健康・仕事・社会的立場等)からうまれてくるようだ。悪しき者は執着があった方がよいといい、お釈迦さんは執着するよりどころがないほうがよいと・・・・。
われらが執着し欲するものが常に満たされ、欠けることがなければ喜びばかりでしょう。しかし、とわに自己の欲が思いのままというはありえない。お釈迦さんの言葉のように、煩悩のもとがないほうが憂うることがないであろう。しかしわれらは煩悩を断つことはできない。どうすりゃいいの?・・「不断煩悩得涅槃」(煩悩を断たずして安らぎを得る)には、阿弥陀仏の「本願」(信じて念仏すれば必ず救いますよ)のいわれを聞いて信心喜ぶ人となれば涅槃の悟りをひらく身と定まる・・・と「正信偈」にあります。 念仏ひとつ。              


朝の紅顔…夕べの白骨・・

2021年04月21日 | 仏法
 旧知の人が亡くなった。先月下旬でしたが、知ったのは昨日でした。
私より6歳も若い人です。急性の病で倒れて亡くなれれました。
日頃の付き合いで、野菜なんぞよく頂きました。おしゃべりの口調や声がもう聞くことが出来ぬのだと思うと絶句。

「・・・一生すぎやすし。…我やさき、人やさき、きょうともしらず、あすともしらず、おくれさきだつ人は、もとのしずく、すえの露よりもしげしといえり。・・朝(あした)には紅顔ありて夕べには白骨となれる身なり。すでに無常の風きたりぬれば、ふたつのまなこたちまちにとじ、・・・白骨のみぞのこれり。・・・人間のはかなき事は、老小不定のさかいなれば、・・・阿弥陀仏をふかくたのみまいらせて、念仏もうすべきものなり。」

蓮如さんの「おふみ」の略略です。人のいのちは老いも若きもはかないものだからこそ「後生の一大事を心にかけて弥陀をたのめ」いそげいそげ・・と。


仏法をあるじとして 世間を客人とせよ・・・

2021年04月17日 | 仏法
 生垣のモッコウバラと西洋アカメの新芽が精いっぱい開きました。新緑の候でよろしいんですが・・・その後を思うと憂鬱になります。というのは、散ったあと掃除と、赤目のボウボウを剪定せねばならんのです。面倒臭がりの自分としてはその5月がいやなんです。数年前は仕事を理由としてグズグズ言ってましたが、今はその仕事も少なくなり家に居る時間が多く、庭掃除しないという理由がありません。あるとすればしんどいということだけ。ましてやコロナで散歩・買い物以外はほとんど行くところもナシで、やることといえば家事しかない。仕事が主で、家事が従・・・の思いはすでに破綻しておる。

 蓮如さんが・・「仏法をあるじとし、世間を客人とせよ」と語った。
暮らしの世事を中心とせず、なむあみだぶつを柱としていけよ・・・ということです。
いまの自分にはめると、「仕事はしっかりせなあかんが、その柱は朽ちたり倒れたりするぞ 人の生きる芯は仏法だぞ」・・・ということか。それがなんで庭掃除となるのかわからんがなんとなく・・・




13世紀の飢饉・疫病

2021年01月10日 | 仏法
 疫病が流行ったのは今だけではない。
遠く鎌倉時代・13世紀の半ばにも台風・凶作にて窮民が食い物を求めて諸国を流浪した。正嘉の大飢饉という。この原因はインドネシア・ロンボク島の大噴火による日照不足による。英国でも多数の死者があったという。
時の鎌倉幕府は、地頭に命じて食を求める流浪を認めたと年表にあります。

 この翌年、親鸞聖人88歳の消息(手紙)に京都・諸国の飢饉、疫病にて多くの人が亡くなったことを記している。

 「なによりも、こぞことし(昨年今年)、老若男女おおくのひとびとのしにあい(死合)てそうろうらんことこそ、あわれにそうらえ。ただし、生死無常(しょうじむじょう)のことわり、くわしく如来のときおかせおわしましてそうろうえは、おどろきおぼしめすべからずそうろう・・・」
・・・・と書いてます。
疫病も餓死も驚くことではないのです・・・と。この生まれて死んでいく道理は、すでにお釈迦様がくわしく説いてくださっていることです・・・と。
疫病の猛威に医学の智慧もなく、生死は天まかせです。累々たる屍という状況の時代でした。
 現代は「死」に向き合うことを忌避しますが、親鸞聖人の時代は日常茶飯事です。しかばねゴロゴロは「おどろきおぼしめすべからずそうろう」なのです。臨終が苦悶の悪相だとか、穏やかだとかの善し悪しは問わないと。信心定まったものは、阿弥陀仏の誓い(おまえを救うぞ)を疑うことがないので必ず往生する身と決まっている。だから愚かな無智のものでも何の心配もなく臨終を迎えることができる・・・と。この信心ならば、だだいまここにて生きていかれる。

あるお寺の梵鐘の話

2020年11月28日 | 仏法
 愛知県三河の真宗大谷派のある寺に1808年(江戸時代・文化5年秋8月)に寄進された梵鐘がある。呼び寄せる鐘‥喚鐘(かんしょう)です。
中尾与惣治作とある。豊川牛久保の鋳物師です。
「東遣西喚・為物発声」(とうけんさいかん・はっせいのためのもの)と記されている。
お釈迦さんが、この娑婆を離れてわれらに西のお浄土へ往けよいけよと・・西の阿弥陀仏は、来いよこいよとよばう・・・の教えです。この鐘の音はこの教えを発声するということです。
1943年(昭和18)の戦時中に、不要不急の金属を供出せよという命令がでました。戦争の武器にする為でした。お寺の鐘も「不要不急」のモノでした。しかし当時この寺の11代住職の強い意志と決断で、この金属回収の国家命令を潜りいま寺にあって「東遣西喚」の音を響かせています。
この寺は父の生まれた村にあります。この度1799年の本堂が老朽し、新築された。廃寺が増加するなか、信心の道場が維持されていくのはうれしいことです。