お釈迦さんの言葉をときに読みます。
「愛するものから憂いが生じ、愛するものから恐れが生ずる。愛するものを離れたならば憂いは存在しない・・・それ故に、憂いのない境地を求めるなら・・・愛するものをつくるな。」
・・・そうだなぁ~と思いはするがそれができぬのがこの娑婆のわれらです。
愛するものすなわち執着するものです・・・イロイロあります。妻子・健康・仕事・財…社会関係・・・これらを失うことを憂い恐れるわけです。お釈迦さんはそれだから愛するものをつくるな・・・と。
それはできないことです。逆に執着煩悩の強くしてウロウロするばかりだ。
真宗では朝夕「正信偈」をお勤めする。その中に「能発一念喜愛心 不断煩悩得涅槃(のうほついちねん きあいしん ふうだんぼんのうとくねはん)」とある。如来の救うとの誓願が私にはたらき、喜愛の一念の信が起きたなら、執著だらけの身のままにての煩悩の炎が消え去る・・・とある。
誓願の不思議のはたらきです。
一喜一憂の身でいい。ただ念仏申す。