名古屋市名東区 赤帽タケフジ運送の「ふ箱」

赤帽タケフジの車窓から見える光景

名古屋市名東区の赤帽運送はタケフジへご用命下さい
052-772-5880

迷うコース

2022年03月31日 | 私のなりわい・運送のこと
 堺市行きがありました。
名古屋から同地へ走るルートには、時々迷います。一つは全線高速道路を選択し、新名神~京滋バイパス~第二京阪~近畿道で行くルート。又は、東名阪で亀山から名阪国道で走るかです。
前者は距離がでるものの確実。後者は走行距離短く高速料金も安い。時間的にはやはり前者が「多少」早いか・・・というところです。堺市の場所も選択に影響しますが・・・。
今回は名阪国道のコースとした。結果は正解でした。2百キロ・時間は3時間10分でした。
ガソリンが高いのでもっぱらエコ走行に徹しました。リッター当たり17kを超える走りとなる。


3月にノンビリ

2022年03月27日 | 朝な夕なのこと
 「農業公園」を散策。天白区にあり、さまざまな種類の枝垂れ梅で知られる。先週まで「梅まつり」で賑わう。でもその頃は満員でとてもいくことができない。いまは散ってしまいましたが、オフの公園を気持ちよく歩きました。モクレン・菜の花・桜も少し・・ここで飼育してる牛・鶏・ヤギ羊を見、搾乳より作ったソフトクリームを菜の花畑をボンヤリ見ながら楽しむ。3月といえば運送屋にとっては書き入れ時なんですが、それも「今は昔」です。引っ越しをほとんどしなくなり、ロートルに見合った春3月です。

お彼岸におもう・・

2022年03月21日 | 朝な夕なのこと
 お彼岸です。平和公園の梅を見に行く。お墓参りの人多し。手に手に花を持ち歩く人。いつもはジョギング・散歩の人々がほとんどですが今日は華やかでした。コロナ禍にて人の参集することが罪悪のようにいわれたこともありますが、やはりこの春うららの人出の中に紛れることはたのしいです。
 お彼岸中には、ここ「平和堂」の千手菩薩の公開が恒例です。昭和16年に日中戦争さ中ですが、その犠牲者の追悼と恒久平和を祈願して名古屋市から千種区にあった十一面観音像が南京市に寄贈された。その返礼としてかの地からの千手観音像でした。
この南京市は日中戦争にて日本軍による市民への攻撃により大変多くの人が亡くなっている。いまのウクライナ戦を思ってしまいます。
名古屋と南京市は戦後「友好都市」となりよき交流がありましたが、現市長の「南京大虐殺」の解釈の相違にて交流が断たれて中断されてしまったことは残念です。
ウクライナの戦争を目の当りにし、戦争を意図する権力者の思惑はどうであれ、争いを厭う人間としての繋がりは保ちたい。そには権力による制限なき真実の報道が必須だが、いまはフェイクニュウースが平然と飛び交う状況でそれもかなわず。

戦争は「悪の豪華版」

2022年03月15日 | 世間のこと
 ウクライナ戦争で第三次世界大戦となりはしないか・・・という危惧が生まれている。
報道によるとプーチンはこの「特別軍事作戦」は数日にて終了するだろう・・・という観測をもっていたと。それが総ハズレで混迷しているとも。
プーチン個人の資質も取り沙汰されている。見たいもの・聞きたいことだけを望むと。取り巻きの要人も彼の好む情報だけを上げる。そして独善となる。作戦が行き詰まるとよりラジカルとなり、その失敗の責任を他者に求めて粛清する。「裸の王様」の末路は分かっているが、現実に核のボタンを握っている王様は恐ろしい。
ロシア国内の報道に関しても、かっての日本の「大本営発表・・敵戦艦を撃沈せり!」がまかり通ることに驚く。ロシア国民の多数は「大本営」のみの報道で反プーチンの言葉を見ざる聞かざる言わざるの状況か。権力でねじ伏せコントロールされている多数国民の経済制裁による生活苦も、爆弾で亡くなるウクライナ人と同様に悲惨なものだ。
言論・報道への弾圧の恐ろしさを見る思いです。戦争はどうにも「悪の豪華版」です。
戦後両国に望むは、権力による専制と隷従・恐怖・欠乏のなき世界です。

ええ坊さんになりゃ~よ

2022年03月01日 | 朝な夕なのこと
 3月らしく引っ越し仕事。超ミニ引っ越しです。冷蔵庫100㍑の小型・洗濯機のみ。見積もり時にはベッドもあったんですがそれもなし。
目的地まで同乗のおしゃべり・・・依頼者は青年、民間企業に就職してたが、退社して仏教系の大学に入学し、住職の資格を取るという。アレコレ聞くに寺の子息で9歳のときに得度をしているとも。9歳で得度するのは真宗系のお寺です。宗祖親鸞聖人が得度した歳にならうものです。
父親の体調がよくなく、急遽決心してこの道を選んだようです。寺の息子ならすでに教えのあらましでも知っているかと思いきや、「正信偈」を習い読むくらいと。・・・そうだなぁ・・・寺の坊さんなら信心獲得し、人に法を語る・・・のはあたりまえというのがへんです。僧になり、同朋(どうぼう)と共に聞法し、信心を共に得ていくものですね。
「ええ坊さんになりゃよ」と言葉を贈って終了しました。