名古屋市名東区 赤帽タケフジ運送の「ふ箱」

赤帽タケフジの車窓から見える光景

名古屋市名東区の赤帽運送はタケフジへご用命下さい
052-772-5880

引っ越しの「丸投げ」

2021年01月30日 | 私のなりわい・運送のこと
 久しぶりに引っ越しでした。
自社仕事ではなく、仲間の赤帽さんからのものでした。いわゆる「丸投げ」の仕事です。料金の手数料もいらない・・・代わりに何かトラブルがあってもオール自分の責任においてやって・・・というものです。
受ける際に、荷物の内容をその赤帽さんに聞くと、「たいしたことないよ・・」のこと。引っ越しの百戦練磨の彼の言葉を信用し受けました。
過去にはこの「丸投げ」にて大いに手こずったこともありましたので・・・
チョイと心配もありましたが、それも杞憂に終わる。 
 家電ナシ・ダンケースと布団のみ・・・2F~3Fエレなしでしたが、積み込みは顧客の青年がすでに1Fに降ろしてくれてありました。3F上げも手伝ってくれすべて順調に終了でした。
ロートルにてもイージーに出来る引っ越しでした。振ってくれた赤帽さんとお客さんの青年ありがとう!

確定申告の計算始める

2021年01月25日 | 私のなりわい・運送のこと
 確定申告の帳面を始める。マイドのことながら面倒である。
最初は、売り上げと経費から。大した売り上げはないので計算も簡単なはずだが、自分の面倒くさがりが増してきてるのでドジばかりで能率上がらず。
とりあえず売り上げはできました。けっこうなダウンです。赤帽の売り上げは、自分の顧客・仲間からの依頼・組合との3からなる。
当タケフジの売り上げは、自分と仲間の売り上げから成る。20年度の売り上げ構成は、自分の売り上げはほぼ変わらず、仲間依頼は半減でした。結果は仲間の依頼分の減った分の売り上げ減となる。減った因はよくわかります。仕事のオファーがあっても応えらっれなくなったのです。娘の介助、老齢です。
仕事を選ぶ・・・というような時代は過ぎ、仕事の方がタケフジを選んでいるのでしょう・・・それで十分、ありがたし。

「つばめタクシー」のお兄さん・・ありがとう!

2021年01月13日 | 朝な夕なのこと
 散歩の帰り、歩道にて倒れ伏せった人と、3人の人。制服を着た人が救急車の要請をしていました。事情を聞くに、年配女性がよろけて昏倒したらしい。TELしてたのは、通りかかった「つばめタクシー」のドライバーでした。
間もなく救急車到着。この場は、無事おわりました。最初に現場にあった老年男性曰く・・・携帯を持っていないので、通りかかった若い男性に救急車を呼んで・・の依頼もよそに行ってしまったと。次の若い女性にも声をかけたが同様。人情紙風船か・・
ここに「つばめタクシー」の若者がかけつけ救急車を呼んだ。
若者ドライバーありがとう!タクシーなぞあまり乗らぬが、乗る時は「つばめタクシー」にするぞ・・と。
でもdemo・・・はたして、自分が赤帽車を運転してて、倒れた人を見つけたらそこに留まり、救急コールができたか!!自問しながら帰る。

雪の渋滞で2泊3日

2021年01月11日 | 私のなりわい・運送のこと
 先週末に大阪・堺市まで走った。北陸は大雪にて高速が大渋滞・・・のニュースを聞きながら・・・思い出す。
 阪神大震災の2年ほど前?の年末でした。神戸で荷を下ろし、帰る途上…大雪にて名阪国道・名神高速すべて通行止め! やむなく京都まで下走りし、R8~R21(彦根~米原~大垣)のルートしかない。ところが、京都山科あたりでこっんとストップ。その夜は車中にて明かす。燃料は十分あるので心配ないが、食い物がない。翌日明るくなっても時々動く程度。途中のコンビニによるもほとんど棚は空。配送車もはまってるので当然だ。
当時の携帯は、レンガのようなデカいものでした。その日の仕事を仲間にたのんだり・・・また、その頃は携帯が普及してなかったので、前後の車の人たちが是非にも貸しての依頼で・・そのレンガ携帯が役に立ちました。
 その2日目は終日滋賀県で、凍てった道路を時々ゴトゴトと進むのみ。田舎の雑貨屋に何かないかとのぞくと、チクワ2本ゲットしむさぼる。その夜も関ケ原にて夜を明かす・・・ほとんどボーっとしてる。ウインドをコツコツで目を覚まし走り、また逆に前の車のウインドをコツコツ・・の繰り返し。
そのコツコツも3日目早朝が最後でした。関ケ原を越してやっと動き出したのだ。大垣ICから這い上がるように入り、生き返ったように名古屋まで走る。帰宅しバタリ。体重が減り、体の節々が壊れそうでした。イロイロありました。

























































































































































































13世紀の飢饉・疫病

2021年01月10日 | 仏法
 疫病が流行ったのは今だけではない。
遠く鎌倉時代・13世紀の半ばにも台風・凶作にて窮民が食い物を求めて諸国を流浪した。正嘉の大飢饉という。この原因はインドネシア・ロンボク島の大噴火による日照不足による。英国でも多数の死者があったという。
時の鎌倉幕府は、地頭に命じて食を求める流浪を認めたと年表にあります。

 この翌年、親鸞聖人88歳の消息(手紙)に京都・諸国の飢饉、疫病にて多くの人が亡くなったことを記している。

 「なによりも、こぞことし(昨年今年)、老若男女おおくのひとびとのしにあい(死合)てそうろうらんことこそ、あわれにそうらえ。ただし、生死無常(しょうじむじょう)のことわり、くわしく如来のときおかせおわしましてそうろうえは、おどろきおぼしめすべからずそうろう・・・」
・・・・と書いてます。
疫病も餓死も驚くことではないのです・・・と。この生まれて死んでいく道理は、すでにお釈迦様がくわしく説いてくださっていることです・・・と。
疫病の猛威に医学の智慧もなく、生死は天まかせです。累々たる屍という状況の時代でした。
 現代は「死」に向き合うことを忌避しますが、親鸞聖人の時代は日常茶飯事です。しかばねゴロゴロは「おどろきおぼしめすべからずそうろう」なのです。臨終が苦悶の悪相だとか、穏やかだとかの善し悪しは問わないと。信心定まったものは、阿弥陀仏の誓い(おまえを救うぞ)を疑うことがないので必ず往生する身と決まっている。だから愚かな無智のものでも何の心配もなく臨終を迎えることができる・・・と。この信心ならば、だだいまここにて生きていかれる。

こいつぁ~春から縁起がいいわい

2021年01月04日 | 私のなりわい・運送のこと
 正月早々に幸運でした。
本日4日は仕事始め。といっても短い定期便のみですが・・・積み込みで年賀の挨拶をしてまた日常がはじまった。ところが、途上でATMに寄りスタートしようとすると…クシュンでアウト。バッテリーが上がってる!幸いこの定期は自宅近くですので、カミさんに車でエンコの場所まで来てもらう。自家用車に乗り換えて運送は無事終了する。オートバックスも近くにあり、バッテリーを購入しカミさんの待つ現場まで急行。10分で交換しオシマイ。
誠に幸運でした。これが、遠くの田舎道や、雪でしたら大変なことでしたから・・・
昨年暮れにバッテリーが2年10か月になるので交換せないかんなぁ~と思ってたんだが、横着にてそのままがドンピシャの当たりでした。
・・・ということで無理ヤリ「こいつぁー春から縁起がいいわい」でした。