3/30(762回)
移動の季節です。公私にわたりありました。
定期でいつも受領してくれる女性が去りましたし、昨晩TELで先輩の赤帽さんも「やめるわ・・」と・・。彼は自分より一回り若いです。それはもう働きまくる赤帽の鑑といっても過言ではないタフガイでした。
それにしても3月のバタバタは、この歳になると儲けのチャンスというよりもナンギなこっちゃ・・・というのがアタリという次第となりました。さして引越しを受けなかった今期はいつもと違った3月の光景となりました。まわりの多忙を脇にて眺めているというのは少しミョウなカンジでした。
3/26(761回)
さすが3月です。次から次と仕事のオファー・打診があります。今日は広島の朝着けいけないか?とか大阪直行いけないか・・・とかあれこれ。こちらとしてはいきたいんですが・・・本日は仲間に振れないような仕事をもってるし、明日は引越しの相棒を引き受けてるし・・・で、一つも受けることできずです。
身は一つ、縁のあるヤツをシコシコやるしかないですね。
3/24(760回)
昨日は東別院へ彼岸法要に行きました。・・・といっても目当ては買い物と物見遊山です。
アレコレ売り物、食い物の店が立つ。カミサンは野菜・果物をシコタマ買ってました。昼ですので串カツ・焼きそば・だんご・たいやきを三人でぱくつきました。ついでに?本堂に上がりお参りです。
ここ東別院では、毎年「平和展」を彼岸法要の時期に催します。今回は25回目です。今回テーマは「仏の名のもとにヤスクニへ」でした。
真宗大谷派が明治期以来軍隊・天皇制とどう関わってきたかというテーマです。
先の戦争では、従軍布教師という名目で僧が戦地に赴きました。また伊勢神宮・靖国へ法主(ほっす)みずからの参拝がはじまりました。これは本来教えに反するものです。いまは戦争協力にのめりこんだ過去を反省しています。
仏教では、「兵戈(ひょうが)無用」という言葉がお経にあります。・・・「仏の教えが行きわたるところでは、国は栄え 人は安らかに生き 軍隊も軍備も必要としない」・・・というものです。
「殺してはならない・・殺さしめてもならない・・」という教えです。これつて憲法9条の戦争放棄そのものですね。
そしてこの教えを戦時下に実行した僧もある。差別に抗した植木徹誠(スーダラ節・植木等の父)は、「戦争は集団殺人だ、戦地ではなるべく弾のこないような所を選べ・・必ず生きて帰って来い・・相手も殺すな」といって治安維持法でつかまった。
また 「日中戦争は侵略であり、戦争は罪悪」といって有罪となった岐阜・垂井の僧竹中彰元・・・
仏の教えを生きると、もし日本が戦争を選択できるようになると必ずや摩擦が起きる。・・・そんなことにならぬことを願う。
3/21(759回)
今シーズンはトラック不足で引越し事情が大変・・・ということですが・・・
当タケフジは諸事情にて引越しを積極的に取らぬので何となく空きありです。
本日はポカリとあいてしまいました。昼に茨城・土浦行きがでたんですが、明日は引越しが入っていましたので仲間に頼みました。昼取りで当地までは420kほどですので、深夜2~3時帰りで朝にはなんとか間に合うんですが・・・無理はできぬので頼んだわけです。
3/14(758回)
昨日確定申告を済ましてとひくくりです。
申告も25回目となりました。数字も変化します。赤帽仕事はほとんどが一台の個人営業です。馬齢を重ねるとキツイ仕事、深夜の走り等が出来なくなります。比例して売り上げも落ちてきます。あたりまえにそんな傾向が表れてきました。
加えて昨年度は入院等で実働時間が少なく、リーマンショック翌21年度の最低売り上げを更新してしまいました。トホ・・です。
しかし暮らも、しょぼい売り上げならば支出もそれなりでなんとか吊りあってます。アリガタシ。
3/10(756回)
世の中きびいしいです。
昨日夕方に大阪・枚方まで行き。
荷受は6時、枚方のショッピングモールの現場まで。時間的には十分余裕、順調に走る。荷物は名刺箱よりも小さい。中身は金具でした。棚を固定するL字型のものだ。ホームセンターにありそうなものです。それを急行便です。結果2万円余の高いネジになってしまった。
欠品でどうにもその時間に必要だったんでしょう。きびしいですね。運ぶものとしてはなんだか申し訳ない気分です。それだけに確実に届けなければなりません。
3/8(755回)
東別院の定例法話に行く。
法話というと抹香クサイ話というイメージですが、実はそうでもないんです。もちろん仏の教えですから最終はそのはなしに収斂しますが、アレコレです。
今回のあたまは「人は忘れる」ということでした。バブルに懲りても30年もすると人は「ケイザイ」のフィーバーを望み、3年もすると震災を忘れ、原発も「景気回復」というコトバで簡単に忘れます。ましてや飛び散ってしまつたプルトニウムの毒は、2万4千年経てやっと半分になる・・・ということなんぞ、散らしてしまった現代人が責任をもって伝えていくことはできやしない。
強く懲りたはずのことでさえも人は忘れてしまう。ましてや世代を超えてその教訓を相続していくことは困難だ・・・という話でした。
法話は実生活から政治経済、犯罪・・・・アレコレ言及されます。 仏教は今生きる人のためにあります。アレコレにどう生きるかを説かねばならない。個人のこころの世界だけに終止するのでは不足です。
自分も生活・仕事・健康だけにへばりついて疲れちまった時には、とくに目が醒めます。
東別院の定例法話は月末・月初めを除き毎日10時半~昼休みをはさんで2時まで3席行われます。もちろん無料です。「お集め」=お布施があります。これは自由です。私はいつも百円です。