名古屋市名東区 赤帽タケフジ運送の「ふ箱」

赤帽タケフジの車窓から見える光景

名古屋市名東区の赤帽運送はタケフジへご用命下さい
052-772-5880

加齢も雨も・・、順調?

2009年10月31日 | 私のなりわい・運送のこと

本日の引越しは2台口、相棒は十数年も付き合っている赤帽さんだ。しかし最近は体がついていかないということで、久しく頼んでいなかった。今回は2F~3F、エレなしだが、重い家具、家電がないので、久しぶりに頼んでみたのだ。

互いに相手のことはツーカーなので、意は多く語らずとも分かる。「阿吽の呼吸」で行えるので疲れも少ない。一服の雑談で彼は「バス地下鉄のフリーパスがもらえる歳になった」と言ってた。名古屋の人なら年齢はわかりますね。自分も順調に?歳を重ねている。引越しもいずれできなくなくなるなぁ~・・・と。

今日のお客さんは、明日も引越しです。今日空いた息子さんの部屋へ、今度は娘さんが入るんです。近くのコンテナに彼女の荷物があるので、そこからの搬入です。明日は一人の作業です。雨らしいが・・・。天気の日もありゃ、雨もあるさぁ~でやりましょう。


長野戸隠の行き帰り

2009年10月30日 | 私のなりわい・運送のこと

Img_1097_22 Img_1051_2 昨日は愉快な仕事でした。前日夕刻に積み込みだけが条件で、配達はいつでも可というもの。洗濯機、TV,飾り棚等を長野、戸隠までです。

早朝5時発ち。見積もりが安いので、本来は長野IC経由だが、豊科ICで下り、R19号走り。距離もショートカットで、途中から国道からはずれ、小川村、鬼無里(きなさ)村の峠をふた山駆け抜ける。標高は,五百から千はあり、紅葉が半ばだが、その鮮やかさに車を止めることしばし。アルプスはすでに冠雪し青空に美しい。戸隠終了は、10時過ぎ。リンゴ、漬物、でお茶を頂く。漬物が出るなんぞは、長野県ですね。ありがとうございました。

戸隠の昼食は蕎麦ですね、蕎麦ダンゴもついてました。最後は蕎麦茶でごちそうさん!でした。

帰路は少々コースを変えて大町経由。

青具というところに文化財の「旧中村家」の家に寄ってみた。江戸元禄の時代で、長野県では最も古い民家だそうだ。村役を勤めた中村家の家で平成の時代まで現役だった。それを解体し、18世紀の頃の様式に創り直した。14間×6間の84坪の大きな家だ。

特徴は「土座」と言う,タタキに炉が切ってあり日常はそこで暮らした。南側には奥座敷がある。ここは松本藩の役人が訪れた時のみ使用する部屋だ。その日常と奥座敷との間に、「入側」(ゆりか)という空間がある。廊下のよになっている。これは、役人の間と日常をはっきり区別するためにあるそうだ。身分社会の時代を皮膚で感じた。

 その後はR19で中津川まで下走り、そこから高速で帰りました。帰宅はPM7時過ぎでした。

 名古屋からの引越しは・・・052-772-5880


「義民」飯野村の八兵衛

2009年10月28日 | いにしえから学ぶ

F1000011 豊田市、藤岡町飯野にある、義民八兵衛の碑に寄る。「義民」とは、江戸時代に、村落のため一身をささげた人をそう呼ぶ。

碑文によると、時は宝暦、不作が続き飢え死にを待つだけの事態になり、飯野の八兵衛が、近隣の迫、舞木、四郷の衆、千二百人余の集会を持ち、その中より三百五人が江戸の挙母藩邸へ直訴する。要求は通り、租税は下がり、お助け米まででた。しかし定法どうり、八兵衛をはじめ、六名が斬首となった。八兵衛二十七才であった。

仕事であっちこっち行った時、こうした義民の碑をよく見る。そして寄ってみる。それらには共通点がある。江戸時代には、こうして死を覚悟して訴えのある場合、それを吟味し、ときにはその要求を認めることがある。民衆は最後の手段として、禁じられた直訴を行う。これは当時では、合理的なルールであろう。そして命を村落のために投げ出した「義民」の女房子供等の面倒は村がみるという、暗黙の約束があったのだろう。また、「義民」の御霊への感謝、畏れをあらわして神社や、義民碑を建立している。この碑にも、上に「一村追弔」(村全体で弔います)との文字が記されている。


都合のよいことは、続くと・・・

2009年10月27日 | 私のなりわい・運送のこと

本日は、幸運にも昼の定期運送をはさみ、前後に2件の仕事が入りました。このところ会社依頼の仕事がなかなか出ません。個人客の仕事でなんとかつないでいる状況です。

当愛知県は、自動車関連の仕事が多かったです。昨年以来のパニックでこの分野の仕事は激減です。いまも変りません。新聞等では、エコカーの補助金で自動車販売がもちなをしつつあるといわれてますが、全くそのようなことはありません。「元気な愛知」などと言われて浮かれていた企業も顔色ありません。今は「瀕死の愛知」です。

ものごとには永続はありません。でも人は調子がよいと、それがとりあえず続くと思ってしまい、それに合わせて生活を設計してしまいます。厳しい時こそを基準として暮らしていくほうがよいのかなと思ってます。

鳩山首相の所信表明にも、従来の「経済成長ありき」という社会ではなく、「人間のための経済」への変換を言ってます。低炭素型社会産業を柱とする成長・・・。いままでの経済のありようが破綻したいま、新しい「ものさし」に買い換える時でしょうか。  

 名古屋圏の運送はお任せください。  052-772-5880   


江戸時代の公共事業

2009年10月23日 | いにしえから学ぶ

F1000003 名古屋東部にある牧野が池公園を歩く。この池は周囲3キロのため池です。看板によると、江戸時代のはじめ1646年に尾張郡奉行の勝野太郎左衛門の開削と書いてあった。

ここらは丘陵地帯で水利が悪く、水田には適さなかった。当時この高針村では、秋の祭りでも粟餅(あわもち)しかつくれなかった。その困窮を哀れみ、ため池の事業を始めたという。近在の農民を動員してやったのでしょう。いわゆる「公共事業」です。その結果、百二十町歩の水田ができ、その産出米は、三千石になったという。爾来二十世紀まで旱魃の害にあったことがなかったという。このようなきわめて「わかりのよい」事業っていいですね。

今、政権が変り,八ッ場ダムが途上で中止になりました。計画されて五十数年だそうです。下流地域の治水、水利によいと・・・いうことで始まりました。住民にとっては、きわめてて「わかりにくい」ことで、人生を振り回されてしまいました。牧野が池は、現在灌漑の役を終え、市民の憩いの場となってますが、周辺の町名に「牧の原」、「牧の里」とあり、役に立った「公共事業」だったと思います。

八ッ場ダム問題では、どちらがよいかは、個人としてわかりませんが、三百年もの長きにわたり、住民に恩恵をもたらしてくれるような「公共事業」こそ進め、膨大な税金の無駄遣いはなくしてほしいですね。


運賃取れず・・その二

2009年10月20日 | 私のなりわい・運送のこと

運賃取れず,その二。

引越しです。お客さんは若い女性、幼稚園ぐらいの男の子がいる。当初は名古屋近郊都市への移動。荷が多いので二トン車のレンタカーですることにした。相棒に赤帽一人を頼む。

引越し日の間際に、移転先の変更のTELあり。なんと西伊豆町だ、三百キロもある。おかしいなと思いつつ料金の見積もりなおしをする。当日、順調に積み込みを終え、相棒と伊豆へ向かう。目的地は、堂ヶ島のあるホテルの従業員のアパートだ。住み込みの仲居さんなのだろう。到着が遅くなるというので、相棒と夕食をすます。そこらへんより、なんだか胸騒ぎ。お客さんは夜もふけて到着。なんだか落ち着きがない。下ろし終わり、請求すると、「お金がない」。愕然となる。居直りの様子はない。働いて返すという。こんな時はどうしようもない。金目の物を持って帰るわけにもいかず、ガックリそのものが運転して帰る。相棒には現金で日当を払う。日付が変わった深夜に終わりました。とっても長い日でした。

後日彼女から、給料が出たら一部払うとの電話。ホットはしましたがそれは一時のことでした。その後携帯が不通になったので、ホテルへTELしたらもういないと・・・、それが事実かどうかも調べに行くわけにもいかない。レンタカー代、交通費、燃料費、そして自分の運賃が飛んでいきました。

子供連れでの暮らしで、なにかから逃げるような空気がありました。あの時「返します」といった時のまなざしはしっかり覚えてます。根っからワルではないんだろうが・・・。もう十年も前のことです。あんときの子供は十五六歳になっただろう、どんな人生をあゆんでいるのだろうか。


どこにも寄れず

2009年10月19日 | 私のなりわい・運送のこと

絵画と工作物の運搬、京都まで。本日中でOKということで、11時に積み、定期運送をすませてから走る。新名神で往く、順調でした。4時に終了、京都は寄りたいところが一杯ですが、夕刻なのであきらめて帰る。白川より比叡山を超え、琵琶湖大橋~琵琶湖東岸~彦根ICより名神のルートで帰還しました。比叡山から琵琶湖大橋のあたりまで、夕焼けが追っかけてきた。秋の空はあっというまに暮れました。

名古屋からの運送は赤帽タケフジまで・・・052-772-5880


老体をねぎらう?

2009年10月18日 | 私のなりわい・運送のこと

本日の引越しは、マンシヨンの部屋代が高いので安いところへの移動。

お客さんの仕事が暇になり、負担が重くなったのこと。極力引越しを安くするため、自分のワゴン車で何回も荷を運んでいる。赤帽は一台だけ。大きなものだけの運搬だ。冷蔵庫、洋タンス2、洗濯機、水屋だ。ホロをめくり、立てて乗せる。天気でよかった、雨だと二回戦となってしまうからだ。

移動先は近所、見積もりは、これだけで一万円。作業時間が長くてもだ。積み込みは順調でしたが、着地でてこずる。入り口の土間に風呂のガス釜がある。冷蔵庫を水平に持ち上げて、なをかつひねって入れなければならんかった。今回のお客さんは、かって若い頃、引越しのバイトをしてたのでよかったです。2時間はとっくにオーバーしてしまいましたが、無事済みました。

お客さん曰く「親父の歳と同じぐらいなのに、よくやれますね」・・・・と。ほめられたのか?老体?をねぎらわれたのか?わかりませんが、少し複雑な気持ちでおしまい・・・。

 お引越しは・・052-772-5880


運賃未収・・・うぐぅ~・・その一

2009年10月14日 | 私のなりわい・運送のこと

の話です。昭和の時代から赤帽やってますと、運賃の回収ができなかったこともあります。

  • たびたび引越しする中年女性、身の回りのものだけ。病院の住み込みで清掃等の仕事らしい。「条件がちがっていた」、「同じ仕事の人が意地悪をする」、とかで引越しする。早い時だと一ヶ月で移転。こちらは仕事になりいいが、どうも異常だ。結局最後になった引越し、代金を振込みにしてという。ま・いいかと思ったが、それでアウトでした。後日連絡するもすでに移転。しかしその引越しは誰が?いらぬ心配もしました。  これで終わりません、ずいぶんたってから彼女からTEL・・もう一度引越しお願いできないか・・と。よほど困っていたのでしょう。もちろん断りましたが、やすくみられたもんだと空気がぬけました。
  • これも引越し、派遣の中年男性。岐阜まで同乗でした。荷物はすくなし。着地の会社が運賃支払いということでした。しかし道中何度もコンビニに寄ってくれという。その都度TELしてる。なんだか心細くなってくる。岐阜の住所もおぼろげで、探し出すのに苦労する。着いたもののなんだかもめていた。なんだか顔色ない。 はっきりと聞いてみた。なんと会社は雇う意思がないという。金はあるか?と問えば、「ない」!!。荷を道路に放り出して帰ろうかとも思ったが、そんなことはできない。そのまま戻る。運賃はその後何度も集金に行くも・・・。その後のすったもんだもありますが、長くなるのでよします。結果はあの人はどこえいったやら~でした。

なんだか気が重くなってしまったのでやめます。まだあるんですがいつかの機会にします。くれぐれもこのようなケースに出会わないよう、他山の石としてください。


相棒はお客さん

2009年10月13日 | 私のなりわい・運送のこと

一昨日の日曜日の仕事は一件、エレクトーン運搬。昨日の祝日は、定期運送、冷蔵庫の運搬、そして絵の展覧会の搬出の三件。エレクトーンも冷蔵庫も相棒はお客さんでした。近頃は運賃の安い節約コースがおおく、赤帽二名というデラックスコース?が少なくなる。こんなちさなことから世の中の動きが見えてくる。お客さんが相棒の時は少々気を配ります。事故の可能性が多いからです。一寸難儀ですが致し方なし。

会社関連の仕事は少ないままです。 

 名古屋からの運送は・・・052-772-5880


タクシー代、222万円

2009年10月10日 | 世間のこと

新聞ネタです。生活保護受給者で、障害があり、通院にバス等に乗れない人にタクシー代を支給する制度がある。名古屋市で3年間に1156万円のタクシーを利用した人がいる。08年度は222万。守山から瀬戸市の病院片道5千円である。役所は、瀬戸市への引越しを勧め、一度は従うもののまた守山へもどってしまった。どのような事情があるのか・・・

身体の障害を持った人は多い。行政の補助は当然なれど、当人は、すこしでも出費が少ないよう努力していると思う。上のケースは異常ともいえる。またこのタクシーは毎回決まった業者だと思う。年222万の利用はべらぼーにおいしい仕事だ。どこから金が出ているのも知っているはずだ。私も運送業の端にいるのでよくわかる。異常な使用でグレーゾーンの仕事だろうと思いつつ・・であろうか。自分をタクシー業者に置き換えると・・・とか思っちゃいます。

以前も関西?で受給者とタクシー運転手が組み、不正に億単位の給付を受けていた?犯罪があった。大切な生活保護制度を悪用は許せない。6月27日のブログにも書いたが、ホームレスをタコ部屋のような劣悪な住居に何十人も入れ、生活保護を申請する。そして支給金のほとんどは、食費、部屋代、その他というう名目で差っぴいていく。税金が闇の地下に流れていく「貧困ビジネス」が横行してる。

補正予算の見直しを推し進めているが、税のこういう許しがたいながれも、現行のチェツク機能を制度的に強化してもらいたい。


台風 スレート一枚だけ

2009年10月08日 | 朝な夕なのこと

18号台風は当地では未明、3時~6時ころが強かったです。幸いたいした被害なく終わりました。カーポートのスレートが一枚飛んでっただけです。3時から目が醒めてしまったので終日頭がボーッとしてました。仕事は結局定期の仕事一本で終わり。

シャッキとするため、リキ入れて歩きました。台風一過で空は深い青空、増水した天白川には、カルガモ、セキレイがいました。F1000013_3


インフルエンザで仕事飛ぶ

2009年10月06日 | 私のなりわい・運送のこと

新型インフルエンザの流行による影響がありました。本日、ある高校への搬入が、学校閉鎖のため中止となりました。一週間の延期です。春先一斉に皆さんマスクをして大騒動しました。現在はそのときを大きく上回る感染ですが、あまり騒がれません。めっきり気温も下がりこれからが流行本番でしょうか。予防は、手洗い励行うがい、人ごみを避ける・・ぐらいでしょうか。気をつけていきましょう。

そんなことで、本日午後が空いてしまいました。


なぁ~もない日

2009年10月04日 | 朝な夕なのこと

なぁ~もない日、仕事も、家の仕事も。寝坊して、さ~てどうしよか。

時間はある。娘と林のある公園を散歩。天気よし、空気よし、秋の気配を楽しむ。

午後時間あり。車のオイル交換へ。五千キロ毎にしてる。以前は月に一回以上してたが、最近は1.5ヶ月毎になってしまった!走ってないんです~。

時間まだあり。図書館で時をつぶす。小説と歴史書を借り出す、読めるかどうかわかりませんが・・。

夕方時間まだあり。再度娘を連れ出し散歩。彼女は一人では外出できぬので、休日は勤めて共に歩くようにしてる。日が沈み、東から中秋の月が上がってきた。今夜も時間はある、ゆっくり月なんか眺めたことなんかない、今夜はしてみるか。


できるヤツとくさい話

2009年10月01日 | 私のなりわい・運送のこと

今日の荷おろしはきつかった。「スゴ~クできる」赤帽仲間の助っ人依頼だ。TELあったとき,キツ~イだろと一瞬迷った。10t車、四階エレベータなし、運転手をいれ五名だ。

凄くできる彼は、ある大手の引越会社と契約して、荷卸をやっている。その規模によりスタッフの手配をする。どんな引越しもテキパキだ。引越し会社にとっても忙しいときは丸投げしても完璧に遂行してくれるので、手放せない存在だ。そんな彼でも人員が不足することがある。そんな時に・・たま~に依頼あり。あてにされるだけがうれしく、受けてしまいました~。 やっぱりへろへろになりました。

作業中「できる」彼が若いスタッフを叱り飛ばす、隣で見てる自分も怖くなるぐらいです。罵倒する内容を聞いていると、要は、相棒仕事で重要な一歩先の相手の行動を読めてないことでした。大切な荷を二人で運ぶには一番大切なことです。こうやって若造を育てていくんだなと思った。終了時にしょげいた若者を励まして帰りました。

その後にも仕事がでて、六時間ほど走ったんですが、なんだか頭がジーンと重くなってしまいました。スワ!インフルエンザか?と思いきや、荷卸の後にしっかり貼りまくったサロンパスの臭いが車内に充満してたんです。くさいお話でした。