名古屋市名東区 赤帽タケフジ運送の「ふ箱」

赤帽タケフジの車窓から見える光景

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武士道精神・・・・

2019年03月27日 | 世間のこと

 貴景勝が大関となる。

その伝達式での言葉「大関の名に恥じぬよう、武士道精神を重んじ・・・相撲道に精進してまいります」と。〇〇道が二つでました。

「武士道精神」てなんだぁ~? 字引には「主君への絶対忠誠のほか、信義・犠牲・礼儀・質素・名誉・武を重んずる」・・のような意でした。

「主君への絶対忠誠」は今の世にはありえないから?、信義・武勇・称賛されるべく品格を備える・・・ということでしょうか。しかし「武士道精神」といえば、主君への絶対忠誠が背骨だ。これがないとサビ抜きの刺身になる。

この武士道とかサムライとかいうコトバが多用される今の日本は、忠誠を懸ける主君・対象を求めてうろついてるんだろうか。時代の雰囲気だけで求めるのはヤバイですね。

そういえば官僚・政治家の総理への「忖度道」は、今さかりです。

 


東別院 彼岸法要と「平和展」

2019年03月23日 | 仏法

 東別院の「お彼岸法要」に先日参詣。お参りを済ませて恒例の「平和展」を覗く。今回は第30回「仏教の社会活動」-アジア太平洋戦争と大谷派ーでした。

この「平和展」は、大谷派(東本願寺)が明治から太平洋戦争敗戦に至るまで、国策としての戦争遂行に加担してきた大谷派の歴史資料展示です。 

 「朝家(天皇)の御ため国民のために念仏を申し合わせたまえば目出度く・・・」とし、大谷法主は「全宗門を総動員して国運翼賛の至誠を全う」するべきと述べたり、親鸞聖人の朝廷批判の文言を拝読禁止したり・・・等の展示がありました。

 

「仏説無量寿経」

 み仏のみ教えが行きわたっている処では 国々は豊かに栄え 人々は安らかに生き 軍隊も軍備も必要とすることがない

朝夕にこの経を読みながらも、容易に戦争国策に流れてしまったんだなと嘆息しました。


ひとりシコシコが器

2019年03月20日 | 私のなりわい・運送のこと

 4月上旬に3~4台口の仕事がありまして、メンバーを決めてありました。しかしそのうちの一人の都合が悪くなり行けなくなったとのTELあり。

欠員の補充を捜す。3~4月あたまは繁忙期とあって断わられることあまた。日頃仕事をたくさん仲間に振って、繋がりが太ければ容易に手配ができるだろうが、当方の貧弱な仕事量ではこんな時には難儀します。

これも自然の成り行きなんでしょう。仕事のネットワークは年月と共に色あせていくもんです。このような大勢集めての仕事は、器にあらずということを知って、ボチボチ退いていかねばならん時でしょうか。

ひとりでする仕事を確実に行う・・・が今の自分にむいたことでしょう。

 

 

 


なんのために・・・

2019年03月16日 | 朝な夕なのこと

 先日知人と話した。

彼曰く、毎日働いて帰ってはTV見て寝るだけ。なんのためにやってるんだろうと・・・

彼は妻を亡くし今一人暮らしです。私より2~3歳若い。ちょいと衝撃でした。

仕事以外には、しゃべる相手もない。仕事をするにやぶさかではないものの、毎日が「空虚」であるらしい。趣味もなし、今やりたいこともなし・・・と。仕事がなければ世間との関係が断たれ「無縁社会」という状態に陥る。

ひとつコマがくるえば、自分も全く同様の事態に陥る。たまたま私は、とりあえず「意味」と「役割」をまだ荷負わされているから、その空虚を感じることなく過ごしてる。しかしかれと同様の立場になったら同じ思いを抱いてるのではなかろうか。

若いころには「意味」と「役割」はいやでもついてくる。その荷重のためにつぶれてしまうほどの・・・。この意味と役割も時節・場所により変化する相対的なもんだ。だから老年になるとアレコレあった意味役割が少しづつ融けて、オレは何のために・・・という思いだけが残るのでは。

 

 「本願力にあいぬれば むなしくすぐるひとぞなき ・・・・」という親鸞聖人の和讃がある。

「本願」とは仏・菩薩が衆生を救わずにはおられようかという誓願です。自分は常に仏に願われていることに気づけば、「空過」することはないとあります。


3・11

2019年03月11日 | 世間のこと

3・11です。

なにか一言と思えども言葉がでない。

震災とのかかわりは直接にはない。当初寄付をし、その後も折につけしてるくらいです。

仕事にて2013年の正月6日、福島・飯館村の西隣りの川俣町まで朝着け仕事に行った。朝まだき頃に到着した。少し走れば飯館です。真っ暗な道を走ってみた。雨でした。正月で一時帰宅が認められたのか、ポツリポツリと灯があった。異様にみえたのが、原発へ向かう?車が多かったことです。

なにもするでなし、暗闇のなか車からでて、きっと汚れちまった空気を思いっきり吸い込んでみた。せめてできることはそれしかなかった。


多忙に腰が引ける

2019年03月01日 | 私のなりわい・運送のこと

 飛びっきり時間がタイトな一日でした。

昨日の2月末です。午前中は2台口の引っ越し。雨で能率悪し。されど予定内に終わる。作業中にTELあり。顧客からです。椅子を2脚運搬してほしいと。引っ越しの後には短い定期が入ってる。その後4時半から絵画運搬が入ってる。午後は1時間半しかあきがない。ところがその「あき」を埋めるべきドンピッシャリの仕事でした。

結局この日は、仲間の赤帽さん3人に重複した仕事を助けてもらうこととなりました。この稼業は仲間の助なくしてはありえません。

しかし、作業中にリクエストがあり、あせって配車せねばならんのは「いや」ですね。忙しさに腰が引けるようになる・・・これは年か?

 これは加齢による自然の摂理と言い聞かせてる。体はノンビリしたいようだ。