名古屋市名東区 赤帽タケフジ運送の「ふ箱」

赤帽タケフジの車窓から見える光景

名古屋市名東区の赤帽運送はタケフジへご用命下さい
052-772-5880

 甲斐銚子塚古墳

2010年12月30日 | いにしえから学ぶ

 12/27(月)の続き・・・草笛市への帰り、甲府南のIC口の「甲斐銚子塚古墳」へよりました。

 再現された古墳群を散策しました。乏しい歴史の知識を動員して当時の生活を想像しました。かの古墳は、全長170メーターの前方後円墳です。高さは15メーター、形は「鍵穴」状、または「てるてる坊主」の形です。それは東日本でも最大級のものです。造られたのは4世紀後半とのことです。古墳が盛んに造られた時期です。011 

 見事に再現された古墳を一周するのも時間がかかります。これほどの土木事業は、相当の人とモノ、そして技術と時間がかかったでしょう。これは公共土木工事ではなかったか?

 エジプトのピラミッド工事に従事する人の勤務状況の遺物が発掘された。それによると「二日酔いにて休み」というのがあった。奴隷をこき使って構築したという思いを拭ってくれた。

 古墳時代もこんなもんだろうか?力仕事にはメシがいる、測量、埴輪作りの技術のあるものも動員せないかん。これら計画的に運営するのは、巨大イベントです。鞭の強制で造る事はムリだ。人と物・技術が大きな規模で循環する公共事業でないか?これは時代を動かした歯車の一つとなったと思う。

 当時は稲作が普及した時代でした。稲作は水利の整備、計画的な協同耕作が不可欠でした。稲作地をより広く所有したものが各地の豪族となった。またその争奪が多く発生した。鉄製の農耕具と兵器の発展は、人口増加をもたらすが、戦もふえたわけだ。やがて「やまと」政権が統一をはたす。古墳造営は急激に消滅する。

 年末の一時楽しい時間をすごすことができました、ありがとうございました。来年も宜しくお願いします。


20時間ぶっ通しの運行

2010年12月27日 | 私のなりわい・運送のこと

 12/27(月)

 昨夕鹿児島行きを頼んだ赤帽さんから早朝TELあり。終了には早すぎる。一瞬トラブル?かとドキリ・・・・。「雪にて九州道が通行止めのところありで、下走りする」とのこと。いたしかたなし。熊本県内も通行止めあり。到底午前中納品はかなわぬ。急ぎ依頼のお客さんに連絡する。

 「今日中に取り付けたい設備なので、なんとかして・・・」「多分3時ころには・・・」というやり取り。結果14時に到着。なんとかなりました。

 それにしてもドライバーさんお疲れさんでした。20時間ぶっ通しの運行でした。片道1200キロでした。ヨロヨロでしょうね、気をつけて・気をつけて帰ってください。

 おいしいお返しがありました。走ってくれた赤帽さんが、ワタシに仕事を振ってくれました。山梨県行きです。こちらは雪はなし。すこぶる順調に終わる。なんだか自分だけが、いいとこ取りをしたみたいで申し訳なし・・・です。ありがとうございました。

 帰りに甲府南IC前にある古墳に寄りました。忙中閑ありです。それは次回です。


年末のビッグイベント

2010年12月27日 | 私のなりわい・運送のこと

  12/26(日)

  本日は絵画の展示会の引き上げが夕方から。のんびり時間待ちしてたらトビッキリの仕事依頼が入る。鹿児島行きです。千キロ以上の走行です。恥ずかしながら二十年以上赤帽やつてても行ったことがありません。明日の午前中に着とのこと。即仲間に依頼する。

 依頼してきた会社は厨房機器を設置をする会社です。きっと年末に施行したいという、現場の緊急のものでしょう。見積もりを伝えると、一瞬言葉なし。商売というものはきびしいですね。契約したことは、履行せねばならない。普通なら宅配便にて数千円で済むものを、ウン万円の運賃をかけねばならない。担当者の苦渋がよくわかります。

 されば赤帽は、その意をくみ確実に運ばねばならない。16時間以上ほとんど休みなしで走行する。快く引き受けてくれた、仲間に感謝し託す。

 気をつけて・・・気をつけて・・・行って下さい。

  


いいとこ取りしたいワタシ

2010年12月25日 | 私のなりわい・運送のこと

12/24(金)

 早朝にクリスマスケーキの集荷。3件のケーキ屋を廻り、2件のデパートに届ける仕事。昨日より明日まで。暮れですね、集荷途上に牛丼すき屋があり、そこに強盗がはいったみたい、警察がいっぱいでした。またデパートの近くの交差点で事故、ここにも警官でした。ご用心、ご用心です。自己防衛です。

 そのあとは短い仕事2件。昼過ぎに面識のない赤帽さんから仕事できないか?との打診。本日は空車がまったくないみたい。もし自社が出ると頼む仲間もないのでやむなく断る。

 結果は受けてもよかったということとなる・・・自社仕事はでなかったです。

 数年前までの年末事情は、次々に仕事がはいった。ケーキのあとは、大手電気店に「貼り付け」の配送でした。大晦日は「おせち」の配達と決まってました。しかし赤帽仕事は確実に、櫛の歯が欠けたようになってます。

 亡くした子の年を数えるようなことをしててもしかたなし。いいことだけを受け入れて、自分に都合の悪いことを拒否してても、事態は金輪際かわらぬ。

 さぁ~て、ここからどうしようかねぇ~~

 


赤帽タケフジの一年

2010年12月23日 | 私のなりわい・運送のこと

 今年の「赤帽タケフジ運送」はどないやったか?

  •  売り上げは?  昨年は創業以来最低でしたが、本年はなんとか這い上がりました。往年の売り上げは望めませんが・・・
  • 事故は?          なし。自動車保険・荷物保険も使いませんでした。
  • 運送上のトラブルは?  なし。
  • 誤配・遅延等は?     なし。
  • 赤帽車のトラブルは?  なし。
  • 集金不可は?       なし。
  • 顧客の配車要望に応えたか? ほとんどできた。
  • 交通違反?  ありました。ひさしぶりです。立て続けて2回、シートベルトと一時停止違反です。一年間は無事故無違反でいかねばアウトです。

 とりあえず業務上の項目を顧みれば、上出来ですよね。お客さんありがとうございました。仲間の皆さんありがとうございました。

 無事だった一年なのに、ブログにてぼやき続けた自分が恥ずかしいです。

 さて、業務上はこんなとこですが、ワタクシ個人の一年は・・・?

 


  • 年末にショボクレル

    2010年12月22日 | 私のなりわい・運送のこと

     

     「会社寿命30年説」というハナシがありました。ひとつの会社が発足し、成長して規模も拡大し、安定するのは30年間余・・・と言う説です。それ以後は、時代に適応し、自己変革をしないと衰退するというものです。優良企業をみてみると、それぐらいの間隔で新商品なりを開発したり、時代の変化を受け止めて旧態を脱皮しているようだ。

     わが赤帽はどうか?30数年になるが、残念ながらやっていることは変っていない。赤帽は自営業者の集まりという組織です。当初のバブル期は、稼ごうというエネルギーで組織は拡大し、収益もあげました。

     しかし、軽トラ運送の「創業者利益」をむさぼる時代が過ぎ去り、軽トラ同業者が増え競争の時代になりました。このへんから「会社寿命30年説」が当てはまってきたように思えます。個人業者の集まりという、「協同組合」方式の弱点が目立つようになった。会社のように、時代の変化を見据えて方針を上から貫徹できない。全国赤帽も「個人の赤帽さんのやりかた」の集合体です。 時代が大きく変る時に、各赤帽さんにそれが見えない、また見えても個人ではどうにもできないという、赤帽組織の弱点が浮かび上がっているみたいです。

     個人の人生もそんなもんです。30年以上も仕事をすれば定年です。個人事業者の赤帽も、定年まじかに「自己変革」だの「更なる成長」だのと鞭を入れる人は少ないのではないか、というよりできないのではないか。

     ちょっとショボクレました。


    ひとつずつできなくなる

    2010年12月18日 | 私のなりわい・運送のこと

     赤帽仕事の種類は数ある。緊急便にて超特急、引越し便、荷卸作業、宅配、遠距離朝着け便、JR等のハンドキャリー等さまざまです。とりあえず「なんでもござれ」とやってきたんですが・・・ひとつずつできなくなっていきます。

     この間小包の宅配を助っ人でしました。地区は当然初めてのところで4桁台の住所、区画整理がなされてるのでナビもだめ、宅配地図も古いときてお手上げ。ポケットコーダーの扱いに手間取り、夜間の地図読みに往生し、代引き作業もあり、予定数はしっかりこなすものの、駆けずり回り疲労困憊でした。

     仕事がこれしかないというならば、慣れていくしかないんだろうが・・・多分自分の守備範囲からこれはなくなるでしょう。達成感と緊張・疲労感を天秤にかけると後者が重いんです。昨日できたことが今日できなくなる、水が低き荷流れるようにですね・・

     


    夜目がみえ~せん・・どうしよか?

    2010年12月14日 | 私のなりわい・運送のこと

    002  12日に久しぶりの宅配をした。夜間に地図などが見えなくて往生した。ちっちゃなルームランプではどうしようもなく、懐中電灯でもってなんとかやりすごした。年のせいで夜間の地図よみはだめです。ま・・宅配はやらないからいいわ・・・とおもってたら、明日2時から宅配やって!とのヘルプがかかる。受けはしたものの、照明をなんとかせないかん。ホームセンターへ急いだ。工事など伴うタイプはだめだ。そんな器用さは自分にはない。

     丁度いいものがあった!「センサーライト」という商品だ。磁石なので窓枠の鉄部分にペッタリOKだ。センサーで点灯するのが本来目的ですが、随時点灯に切り替えられる。白色LEDなので、地図などは見やすい。電池別で¥1480でした。

     年くうと、いろいろ道具が入用になります。


    当世宅配事情・・

    2010年12月12日 | 私のなりわい・運送のこと

     久しぶりの宅配でした。御歳暮で立て込んでるため、年末は赤帽が出動というわけです。小包一個いくらではなく、赤帽の時間料金なのでグゥ~です。臨時の助っ人雇いなんですから。

     タケフジは一日だけです。終日の宅配は十年もしてません。今では、ポケットコーダー?で総て処理するんですね。当初混乱しました。荷受けから、配達終了、そして不在留め置きの処理の総てが、ピィ・ピィ!の読み取りです。アラフォーならぬアラカンですから機械の操作を習得するまで緊張しっぱなしでした。しかし配達となればなんてこと?なかったです。個数もべらぼーに多いということでもなかったですし・・・

     ただ時間指定が3割位ありました。最後は20~21時で、大あくびでの待機でした。それも結局不在で終わりました。マチも時間料金が付きますのでいいようなもんですが、こと細かく時間指定で走る宅配は、時代を反映してますね。

     なにもかもシステム化、時間割り指定、電話一本で荷物がどこにあるかまで・・消費者の都合をそこまで実現せないかんのか?と・・・これは宅配会社が、競って他社との差別化・サービスの競争でこうなってしまったようなもんです。このテのサービスの緻密化は、どうも日本人の得意分野みたいだ。その功罪はある。新たな雇用、仕事が発生する一方、それに翻弄される宅配従事者の加重労働となる。 

     各家庭に「宅配ボックス」があれば、無駄な配達員のグルグル廻りがなくなる。ポスト式でも組み込みタイプでも、量産すれば普及する。物流世界のみならず社会的に相当の省エネになるとカッテに思ってます。


    変調~変更

    2010年12月11日 | 朝な夕なのこと

     数週間前、右わき腹の痛みが続いたので医者に行った。本日腹部のエコー検査をした。肝臓、胆嚢、すい臓、腎臓を音波で映像化するものらしい。モニターにてリアルタイムで見られる。結果は胆嚢に小さなポリープがあるという。医者いわく、心配ないもので、コレステロールのかたまりらしい・・とのこと。治療も必要ないと。いとも簡単に終わる。

     本日は月曜納めの品を取りに行く予定でした。医者で待っている間にTELがあり、部品が入らず製品がいつになるかわからぬ・・とのこと。明日の日曜になると終日宅配を入れてるので、仲間に頼まねばいけない。予定がチグハグになってしまった。

     体の変調、仕事の変更は、健康で順調を基準にしてるとマイナスでクソォ~ですが、体は老いていく、仕事も変化するものと思えば、プラマイゼロ・・でしょうか?

     


    待合室のヨタバナシ

    2010年12月08日 | 私のなりわい・運送のこと

     組合の待合室での会話は、時間つぶしには不可欠です。楽しく語らないと、こんな時代にはやってられないし・・・

     最近話題になったこと・・2題です。事実かどうかはわかりませんヨタ話かもしれませんが・・・

     75万円で赤帽ホロ車が売りにだされているという・・ナビ・ETC付き。走行距離はたったの5千キロとくる。登録は今年2月のシンピン!!名義変更のみで即走れる。通常これだけの装備付きだと、140万位でしょうか。この時期に買い替えの意思のあるものにとってはグゥ~ではないでしょうか。

     ハナシは進む。誰がこれを売り飛ばしたか?という話題に移る。新人で、仕事を組合頼りにしてた者でないか・・・仕事の少なさに恐れをなし、被害の少ないうちに 投売りして辞めてのでは・・ということに勝手にハナシがすすむ。「こんな時代はもっと積極的に、仕事を持ってる赤帽さんとこに売り込みをせなアカンワ~」という誰かの一言で終わり。

     厳しい時代です。タケフジの始めた20年前は、仕事はありました。営業もさしてしなくても取引先ができていきました。バリバリ仕事を開拓するタイプではない自分でも、マジメにやってればなんとかなりました。しかし、今この仕事を始めていたら、この赤帽車の持ち主同様に、走行5千キロで辞めてたかもしれんなぁ~と、気の毒に思う。同じ仕事でも、始めたによりこんな差がある。どうしょうもない「めぐり合わせ」としか言いようがない。 

     もう一題は・・・これも相当キツイはなしです。気分が暗くなるんで今日はやめ!


    次郎長の妻「おちょう」

    2010年12月07日 | いにしえから学ぶ

    004  平和公園の墓碑めぐりーその3

     戦国・信長・・忠臣蔵と続きました。今回は幕末の侠客「清水の次郎長」です。

     彼の女房は「おちょう」です。その墓は日蓮宗・妙蓮寺にありました。

     安政五年暮れ、現在 「西区の巾下」の侠客・長兵衛宅に次郎長と子分達が止宿しました。その時におちょうは 重い病となり亡くなったという。おちょうも共に逃亡していたのか。この年は、次郎長が甲州の出入りで捕り手に追われ、逃亡中の時と思われる。世は「安政の大獄」で尊王攘夷派が獄に繋がれた時代です。

     この「巾下」には、赤帽が配送でお世話になる有名な仕出し屋がある。この店は美濃街道沿いにあり、創業は江戸時代です。当時は八百屋でしたから、侠客長兵衛もこの店の客でもあったんでしょう。そんなことを思うと、次郎長・おちようが歴史上の人ではなく、身近な人物に感じられてくる。

     墓の正面は「妙法 信解妙諦信女」とあり側面には「駿州清水三ノ町 山本長五郎」とありました。没年は安政年12月。

     次郎長の前半は博徒、そして明治維新には、官軍より街道の警察を命じられたりもする。前半生とは打って変わり、富士山ろくの開墾、お茶の実業そして、英語教育の塾までもと様変わりでした。 一つ身で二つの人生をまっとうした人のようです。


    新幹線が止まっちゃった

    2010年12月05日 | 私のなりわい・運送のこと

    12/3(金)

     12月のはじめは仕事に恵まれる。

    本日はプラグの交換してました。プラチナプラグの高いやつです。15万キロの走行ですから、換え時ですね。

     そんな時、毎度の大分県行きのTEL。新幹線にてのハンドです。のぞみ11時53分に乗ろうとすると延着です。小田原あたりでのキツイ雨の影響でした。やむなしです。15分ほどの遅れだったでしょうか。

    その後は順調か・・・と思いきや、大阪の手前で突然途中停車してしまいました。アナウンスによると、強風にて看板が路線内に入ったとのこと。そこでまた遅れです。乗りかかった船ならず・・新幹線ではどうにもこうにもでした。先方には連絡してあるので問題はなかったです。

     都合一時間ほどの遅れにて終了でした。 帰り車内の電光ニュースで、各地で強風による被害で、死者もでたと知りました。帰着は22時15分でした。


    栃木県鹿沼市からの帰り道

    2010年12月04日 | いにしえから学ぶ

    12/2(木) 

     栃木県・鹿沼市行き。昨夜取り本日早朝納め。最寄のPAで車中泊、寒くなってきました。8時過ぎに終了。さぁ~て・・・どうやって帰ろうか?と思案。

     東京経由はつまらんので、北関東道路から上信越で長野・佐久市まで行く。あとは和田峠越えで19号した走りでした。

     今回は和田トンネルはやめて、中仙道のあった旧道をはしってみました。紅葉は終わり、樹木も冬支度で、葉が落ち梢越しのお日様が気持ちよかった。

     この峠は、中山道でも有数の難所だったそうです。数箇所にお助け茶屋や、接待所がありました。なかでも現在まで保存されている、和田峠施行所はよかったです。

     19世紀の始め、江戸の豪商「かせや与兵衛」が、この峠の難儀を知り、幕府に千両を寄付した。その五十両でこの接待所を造った。11月から3月までの通行人に粥と焚き火のもてなしをし、牛馬には年中小桶一杯の煮麦を施したという。江戸時代には、こうした善意の基金による施行所が運営されていた。すばらしいです!

     当時の千両とは如何ほどのものでしょうか。篤志家をこうやって顕彰するのはいいことですね。こういう善意が街道を維持してきたんですね。 

     他に、「東餅屋」がありました。(現在は廃墟)当時の旅人が一服したのでしょう。峠の前後5箇所あった。ここでも茶屋一軒に「一人扶持米」が支給された。年間にすると4.4表=260キロに当たる。何故か?それは峠にて遭難者、行き倒れ等の人があれば救助にあたる役割を担っていたそうです。江戸の時代の仕組は深いです。

     和田の峠で楽しみました。最後は「水戸の天狗党」の合戦で倒れた御柱の碑を訪れて、急ぎ帰る。

     全走行920キロ、往還時間25時間(寄り道ふくめ)008 でした。