12/27(月)の続き・・・草笛市への帰り、甲府南のIC口の「甲斐銚子塚古墳」へよりました。
再現された古墳群を散策しました。乏しい歴史の知識を動員して当時の生活を想像しました。かの古墳は、全長170メーターの前方後円墳です。高さは15メーター、形は「鍵穴」状、または「てるてる坊主」の形です。それは東日本でも最大級のものです。造られたのは4世紀後半とのことです。古墳が盛んに造られた時期です。
見事に再現された古墳を一周するのも時間がかかります。これほどの土木事業は、相当の人とモノ、そして技術と時間がかかったでしょう。これは公共土木工事ではなかったか?
エジプトのピラミッド工事に従事する人の勤務状況の遺物が発掘された。それによると「二日酔いにて休み」というのがあった。奴隷をこき使って構築したという思いを拭ってくれた。
古墳時代もこんなもんだろうか?力仕事にはメシがいる、測量、埴輪作りの技術のあるものも動員せないかん。これら計画的に運営するのは、巨大イベントです。鞭の強制で造る事はムリだ。人と物・技術が大きな規模で循環する公共事業でないか?これは時代を動かした歯車の一つとなったと思う。
当時は稲作が普及した時代でした。稲作は水利の整備、計画的な協同耕作が不可欠でした。稲作地をより広く所有したものが各地の豪族となった。またその争奪が多く発生した。鉄製の農耕具と兵器の発展は、人口増加をもたらすが、戦もふえたわけだ。やがて「やまと」政権が統一をはたす。古墳造営は急激に消滅する。
年末の一時楽しい時間をすごすことができました、ありがとうございました。来年も宜しくお願いします。