名古屋市名東区 赤帽タケフジ運送の「ふ箱」

赤帽タケフジの車窓から見える光景

名古屋市名東区の赤帽運送はタケフジへご用命下さい
052-772-5880

どちらがトクか?

2014年05月28日 | 私のなりわい・運送のこと

5・28(777回)
 横浜に朝9時納め。昨夕6時に引き取ったものです。担当者が早く来て引き取ってくれましたので急ぎ帰って定期の仕事をすることにした。
 というものの、330キロを4時間チョットで走るわけです。自分は80~95kでの走行ですので、ノンストップ、トイレ休憩もなしで走る。間に合いはしましたが・・・です。
 差し引き計算すると・・・高速代金5千数百円を使って帰り、稼ぐ定期代金が4千円少々。1千円のアカです。トロトロ下走りで帰り、仲間に定期を依頼したほうが収支ではトクということです。
 メリットは時間です。早く帰ることができる、疲れが少ない・・・ということでしょうか。そのメリットで本日早じまい、夕方から少々飲んで早々に寝ます。明日は5時起きだ。


案ずるより産むが易し

2014年05月25日 | 私のなりわい・運送のこと

 5・24(776回)
 昨日静岡・三島市まで。機械の運送。ロボットのアーム部分です。「<」状に腕が折り曲がっています。それを立てたままにて運送してくれ・・・との依頼。どうやってコーナーに固定したものかと思案。実物を見たわけではなく、口頭ですので想像も出来ず、疑心暗鬼でした。梱包材・ゴムロープ等十分に用意していきました。
 案ずるより産むが易しでした。現場へいきましたら、すでにパレットに縛りつけてありました。それも横にして・・・。これでお願いしますと。積み地にて清算、ノンキにはしりました。
 帰路はほぼ下走り。高速割引なしはキツイです。


チョンボ・・・

2014年05月19日 | 私のなりわい・運送のこと

5・19(775回)
 思い違いはチョンボの主な原因です。
本日それがありました。絵画の展覧会です。1時に画材屋で絵画積み込みで美術館へ・・・という運送でした。1時前に到着して積み込み作業してたらTEL。
 「今どこですか?」・・・・と。実は1時というのは、美術館搬入の時間だったんです。あれ~です。急いで走って40分の遅刻でした。
 幸い大したこともなく、お互いの確認不足ということで落着。いつも担当者と作業着手の時間はコレコレということで動いていた。その思い込みがエラーの元でした。
 運送のイロハです。一に確認・二にも確認です。以後気をつけます。ご迷惑おかけしました。


オラが村のオラがオキテ

2014年05月17日 | 世間のこと

 5・17(774回)
  昔むかし「ひのもと村」は、となり村の田畑が欲しくて攻め込みました。そのイクサはどうみても理不尽でしたので敵多くしてコテンパンに大負けしました。それに懲り、ひのもと村はオキテを定めた。「イクサをしてはならん・・話し合いでやろまいか」という。それ以来イクサはなく、ながらく平穏でした。
 ところがこんどの村長が「おらは村の最高責任者だ」といいだして、頭の良い?配下十人余を集めて、「アンポンタン(安保)」という意見書を作成させた。
 それは、これからは自村を守るだけのイクサだけではだめで、「他国が攻撃されても、村が危ないとオラが思えば「積極的平和主義」のむしろ旗をたなびかせて参戦できる」というものでした。
 しかし村にはオキテがあります。 
 オキテを変えるのには、村役の2/3が「オキテを変えよう」といいだし、さらに村民の入札で賛同者が過半数を超えなければならない。
 村長はこれを試みようとしたが、村の衆の気持をとても得られないと思うや否やコロリと方針を変た。
 「おじいさん、おばあさんよ、おまえの子供・孫たちが攻撃されてなにも出来ないままでいいのか」と一芝居打ちました。
 そしてこれから村役の寄り合にて、オキテはオラが都合よく変えるが文句ないなな・・・ということを迫る次第となりました。
  さてこの村のオキテはどうなりましょうか。

 
 


ウロウロに飽きる

2014年05月11日 | 私のなりわい・運送のこと

5・11(773回)
 チョウ好天気の日々です。連休後の仕事もチョウ平凡。休み明けに駒ヶ根往きがあったもののあと動かず。マイドの定期と催事もんの出し入れ。空いた時間に120件余の投げ込み仕事。これは2日間でオシマイ。 こんな流れですから走行距離がまったく伸びません。近場の仕事にて何とかなればベストなんでしょうが・・・まいどのウロウロに飽き、遠くへ走ってみたくなるのが赤帽気質でしょうか。特にこんな五月晴れの日には・・・。
 


杉原千畝記念館

2014年05月06日 | いにしえから学ぶ

5・5(772回) 
 昨日の好天日に岐阜県八百津町の「杉原千畝(ちうね)記念館」へ行きました。
彼は戦前の外交官で東欧リトアニア領事館に赴任していました。
 当時ヒットラーのユダヤ人虐殺を逃れ、国外に逃げるユダヤ人が続出した。多数のユダヤ人が日本の通過ビザを求めてリトアニア領事館を訪れた。このビザはホロコーストから逃れる手段でした。
 当時の日本はヒットラーと同盟を結ぶ直前でした。そのビザを発行することは同盟国の政策に抗することとなる。しかし彼は一晩悩み決断し、ペンを握れなくなるまでビザを書きまくった。そのかず数千に及ぶといいます。
 戦後救われた多くのユダヤ人が彼を捜し顕彰した・・・ということです。杉原の故郷に「人道の丘」と呼ばれる記念館ができた由来です。
 外交官の身分は魅力的です、国家の意向を忠実に遂行すれば・・・ しかし国家の方針は必ずしも正義ではない。
 彼の結論は、ホロコーストにおびえ、他国へ逃れるため日本領事館に望みを託すユダヤ人にビザを発給することでした。
 その決断の部屋も再現されていました。


免許取り消し

2014年05月01日 | 朝な夕なのこと

5・1(771回)
 連休谷間、仕事ないので自動車免許更新に行きました。
免許取り消しとなりました。深視力検査がパスしなかったからです。もっとも二種免許で普通免許は問題なしですが・・・
 若いころにひょっとして役に立つかと思い取得しておいたものです。単眼にての視力はOK。しかし両眼での焦点が合わせづらく、黒板などの文字を見続けるようなことがつらいのがここ数年来ありました。
 メガメで矯正できるのならば再度更新に来ればよい。でも二種が必要な仕事についたこともなく、今後もない。その場で取り消し手続きをしました。
 なんとなく寂しい気がしました。されどあれこれできなくなり、なくしていくのがいのちですね。