通った村は愛知県の足助・稲武、長野県に入り、山間を縫うように、根羽村・売木村・阿南町・天龍村そして飯田市の山の中でした。
全行程雨でした。標高五百を越えると紅葉もすすんでいました。帰路には道の駅・信州新野千石平にて地元で捕獲された肉(ジビエ)料理を食う。鹿・猪・熊・馬刺があり、猪焼肉を食べました。
台風の予兆でしょうか、車すくなし。写真は売木村の峠です。
帰路に選択した天龍村の国道418は通らぬがよい。道路幅狭し、聳える崖、落石注意・・・風雨の下で恐ろしい思いをしました。「酷道」でした。
通った村は愛知県の足助・稲武、長野県に入り、山間を縫うように、根羽村・売木村・阿南町・天龍村そして飯田市の山の中でした。
全行程雨でした。標高五百を越えると紅葉もすすんでいました。帰路には道の駅・信州新野千石平にて地元で捕獲された肉(ジビエ)料理を食う。鹿・猪・熊・馬刺があり、猪焼肉を食べました。
台風の予兆でしょうか、車すくなし。写真は売木村の峠です。
帰路に選択した天龍村の国道418は通らぬがよい。道路幅狭し、聳える崖、落石注意・・・風雨の下で恐ろしい思いをしました。「酷道」でした。
チョイト前から前輪右側・・丁度運転席下からゴリゴリの異音あり。段差や溝を通過するときです。多分アブソーバと思い、タイヤ回りをチェツク。泥除けに油の散った痕あり。やっぱーアブソーバーがいかれた。
修理屋に相談したら、即、修理せずともよしとのこと。空いた時間に入庫することとなり、本日夕刻に修理。ものの30分ほどでオシマイ。部品交換ですが、部品は中古のものです。6万キロ走行のものでした。以前後輪のものがイカレタときには、スバルにて新品交換したら2万3千円かかった。今回は1万2千円でおつりがありました。これで十分です。
明日は山奥へ重量物運ぶので、ゴリゴリ異音と付き合うのが嫌で修理した次第です。古いトラックと付き合うにはマメな点検修理が欠かせない。カラダも同様ですが、年一度の市民検診もせなならんです。いいずれもロートルです。
仕事が立て続くので、運送記録ばかりです。
昨日は午後より引越し。2台口でした。ラクショウと思えども臨場するとこれは2台では無理、もう一台要請するか、ピストンでやるか・・・と相棒と相談。お客さんがボックスカー、私の車にも載せますということで解決。
しかし荷多く、時間かかりました。2時着手で終了は5時半過ぎでした。見積もりは作業2時間半でしたが、結果4時間でした。お客さんは赤帽の働きを十分了承していただき、その上に過分な心づけをいただきました。
仕事やったなぁ~と、茜色の西空を眺めながら、疲れを忘れハンドルを握る。しかし明日のカラダはきついぞ!
なんだか忙しいぞ!
先週は走りすぎてクタビレ、週末に台風・・・ならば休むぞ!でした。目算は外れる。選挙日は台風。その日の夕方にも仕事入る。さいわい風が出てきた頃に終了。
昨日には三重・名張行き。夕方荷受け。ところが東名阪は前日の台風の被害にて通行止め!クソ・・時間かかるな~しかし走り始めたら開通!
本日、明日もめずらしく続けて自社仕事入る。世の中忙しくなってきているのか?
仕事を追っていた時もあり、腰が引けてしまう時代もありです。最近はどうも仕事に追われると内心仏頂面になるのがわかる。身体は正直、心はひねくれてます。
明日は早朝仕事。引き続き定期と、午後は引越しとクル。カラダが怒る・・・か?
やっぱり「ロートル」の冷や水か・・・
昨日早朝仕事を済まし昼食時に、仲間から群馬・太田市行きの打診あり。一時迷いましたが「いこか」で受ける。
ロングはほとんど行かぬ。最近では夏に東京が一度あるくらい。午後1時過ぎに取り、中央道~長野道~上信越道にての415キロ。運送は中央道にて工事渋滞20~30分あったのを除けば順調。午後7時半に終了。
帰路は下走りの根気はとうにない。間歇的に休み休み帰るかえる。結果朝5時半に名古屋インターを出る。
そこからがまた続く。出るや否や、ドンピッシャリ電話。インター近くの顧客から「今から豊川まで走れませんか!」と切羽つまった調子でした。
インター隣ですから即伺い、特殊ネジ?一本持って豊川インター近くの工場まで60キロ走る。なんだかボッーとしながら。
即帰って9時過ぎ。眠る。寝ながらの「こむら返り」、強烈でした。26~7時間運転、ほぼ同じ姿勢からか、筋肉が怒ったんでしょうか。
本日は流れに乗ってしまい、ロートルの冷や水となりにけり。
本日より216件の投げ込み仕事。判取りなし、地元の名東区、毎回ほぼ同じ事業所回りです。期限はゆるいのでできる時に動く。通常2日半の仕事です。タケフジは宅配業務はやりませんので、年2~3回のこの仕事は、始動時にリキを入れないとできません。しかしカラダは気持ちより早く順応してくれます。ありがたいことです。
今日は終日雨。赤帽の習性か、荷を受けると一刻も早く降ろしたい・・・という。回り始めると知らぬ間にシャカリキになつてる自分に気づく。雨で靴に滲み不愉快です。それでも次々に回ると、なにも思わなくなる。本日は午後から開始し、60件ほど終了しました。
しかし、宅配はキライです。今回のようなノンキなものでも、年2~3回は受けますが、これが毎日と思うと、到底できません。ナマケモンなんでしょう。
明日は定期仕事を挟んで、終日やるつもりです。願わくば天気でありますよう。
雨の日曜日です。仕事は夕方の絵画運搬のみ。
すべきこともないので総選挙の期日前投票に行く。
小選挙区は3名の立候補者です。自民・希望・共産党です。解散前は「民進」の古川元久でした。ドタバタと希望の党へ入党でした。安倍政権は支持しないので投票となれば、小選挙区では、「希望」か共産しか選択肢はない。しょうがなく、「希望」に入れとく。
先週も仕事に動きあり。昨日土曜は三重・桑名市と岐阜・山県市まで。山県は昼に済んだので、帰路にある百年公園の岐阜県博物館に寄る。
「壬申(じんしん)の乱の時代・美濃国・飛騨国の誕生」・・・という企画でした。あまりよ~わからんかった。壬申の乱は7世紀の動乱です。天智天皇の後釜争いです。長子の大友皇子と天智天皇の弟との戦争だ。結果弟が勝利し天武天皇となる。
人間の歴史は権力争いの連続ですね。現代は「投票」らしいけど・・当事者の国民は「さしあたっての自己の安泰」求め、結果時の権力者にいようにされてしまうようだ。
岐阜県・安八町森部村への現場納品。朝7時着。引渡しは8時半。長良川右岸の堤防近くです。時間つぶしとて田舎ですので何もない。見渡すと聳える寺院の屋根。覗いてみました。
「光顕寺」(こうけんじ)とありました。山門脇の碑に「教如上人」の旧跡とあった。
教如上人は東本願寺の始祖です。信長と強烈に闘った人です。
説明書きによると、教如は1600年関が原の戦いの前にこの地にて石田三成の手勢に追われ、命をおとす寸前にまで至った。この寺院の須弥壇(仏像を安置する壇)に隠れ難を逃れたという。そのさい壇の板戸に辞世の歌を刻んだ。それがこの寺院に残されている。
散らさじと森部の里に 埋めばや かげはむかしの ままの江の月
結果、教如上人は、森部と近隣門徒衆の石田勢への強い抵抗により救われた。後に、この地で命拾いをしたことに感謝し、森部等の門徒衆を「土手組」と称することを許した。四百年を超える「土手組」の講は、今も毎月10日に法会を重ねている。
長良川の「土手組」・・・揖斐・長良・木曽川が入り乱れ、水に対するには「土手」を総出で築かねば生きられなかった「輪中」です。結束心は筋金入りだったのでしょう。すばらしいネーミングの賞賛でしょうか。
ラスベガスで一人の人間が9分間に59人射殺し、5百人以上の負傷を負わせた。
犯人の弟が報道取材に応じて発言してるニュースを見た。このような犯罪を犯すとは考えられぬというような発言でした。
「所変われば品変わる」・・と言うがまったくです。というのは、残虐犯罪のコメントに犯人の兄弟が顔見せで報道に流れることがです。日本ではまずない。
米国は、モノを申さねば生きていかれぬ国です。黙っているものは総てスルーされます。意見のない者は存在価値なし・・という文化です。
かたや日本は、モノ申せば白目で見られます。出る杭は打たれ、「KY」と排除されます。
先の相模原市の知的障害者施設での殺傷事件でも、被害者家族は殺傷された家族の実名を発表しなかった。Aさん、Bさんの報道でした。米国でしたら当然実名だろうし、故人の人となりを報道もしたでしょう。
これも「モノ申せば」差別・排除されるという、物言わぬ世論の空気があるからでしょうか。
歴史・文化の相違による両極端の日米です。