名古屋市名東区 赤帽タケフジ運送の「ふ箱」

赤帽タケフジの車窓から見える光景

名古屋市名東区の赤帽運送はタケフジへご用命下さい
052-772-5880

新型コロナウイルスと共生する・・・できる?

2020年03月30日 | 世間のこと
 コロナ、コロナ・・・で疲れます。
ips細胞の中山伸弥氏の報道をみました。氏のページも覗いてみました。
印象的だったのは、人は社会のセイフティネットから守られていたが、このコロナはその保護を剥がして人を犯す・・・と。
世界同時多発です。医療機関はその急激な患者数で医療のキャパを超えてしまい、国民の命を守ることができなくなってしまうからです。
また、防疫のために都市封鎖をしざるを得なくなり、経済・金融が破綻する。それが世界の一部分ではなく、同時に激しく起きるからです。
中山氏は、長期戦とも語った。先の見えない戦いは消耗します。
 氏のページにありました。毎年の季節性のインフルエンザにて日本では、1千万人の人が感染し、1万人がそれがもとで亡くなると・・・。
数字的には、圧倒的に季節性のインフルのほうがコロナより被害が大きい。
しかし、コロナは一挙に世界同時発生するから社会の安全保障・経済が対応できないので恐慌となるわけです。
望むに、コロナにも薬ができ、季節性のインフルのようにリスクはありながらも付き合えるようになればと・・・・。

コロナはトコシエではない

2020年03月25日 | 朝な夕なのこと

 現代人の未曾有の体験ゾーンに入りつつあります。コロナ禍です。
百年前(1918)にスペイン風邪にて3~4千万人が世界で亡くなって以来です。丁度おふくろが生まれた前年でした。
わたしの祖父母たちは、現在のように瞬時に世界の動向がわかるはずもなく、かえってノンキだったかも・・・
しかし、今は情報の洪水ですから、人々の心が休まる時がありません。トイレットペーパーで行列せなあかん・・外出自粛で食品を買いまくらないかん・・・など、不安をあおるSNSで、鷹に襲われた小鳥の集団のごとくの右往左往です。疑心暗鬼の妄動が止まりません。

 一切は 縁(えん)において生まれ 縁においてあり 縁において去っていく
・・・これが仏の教えです。

すべての物・事象は縁(因・環境・条件)で生まれ、そして一時縁によってあり、その因・条件がなくなれば去っていく・・・ということです。
すべては無常(とこしえにあり続けることはない)です。

ワタシがコロナに感染すれば、前期高齢者ですからヤバイかもしれん。そうなっても「縁」です。
志村さんが闘病してるという。
「だいじょうぶだぁ~生きていけるよ」・・・でありますように・・・そうであってほしい。






コロナでキャンセル

2020年03月23日 | 私のなりわい・運送のこと
 コロナ禍が深刻化している。大げさかもしれぬが、文明の曲がり角になるかも。
赤帽の仕事にも影響がでている。
今日、ある仕事がキャンセルとなる。
絵画を4~5件回って集め、クロネコヤマトまで運ぶ仕事でした。この絵画は、東京で絵画展のものです。この展覧会が自粛ということです。
ギリギリまで決定が決まりません。この手の仕事は、月末にもあり、中止ということも十分あり得ます。
今年の3月はタケフジはヒマです。粛々と甘受してます。本日は夕方引き取って明朝東京着の仕事が入る。自分はできないので仲間に依頼する。

当分閉局

2020年03月13日 | 私のなりわい・運送のこと
 コロナショックで米国の株取引にサーキットブレーカー(緊急停止)が一時働いた。急激な値下がりで市場の混乱を鎮めるためです。
金融市場はコロナに疑心暗鬼となり冷静を失っている。
世界的な経済のダウンは必至か。しかし百年前のスペイン風邪のパンデミック時とは異なり、世界共有の智慧と行動によって対処できると思いたい。当赤帽もこの混乱の外にいるわけではない。影響必至です。

タケフジもこの間、内憂外患にてブログは当分閉局します。


仕事をやり終える日々は・・・

2020年03月07日 | 朝な夕なのこと
 仕事が「できる」という日々のこと。
仕事があり、自分がそれを行うことができる・・・ということです。当たり前なんですが、それが双方一致し成立するのは幸運だということです。
自分ができない事情は様々あります。個人的には健康・家庭の事情・スケジュール・自己の力量等・・対外的には、事故・トラブル・今回のコロナ禍というのも突然でてきました。
毎日運行する仕事も、よきことの重なりによってできてる紙一重のことです。しかしそんなことは、日常は思わない。反対にぼやきはなんぼでも湧いてきます。

…本日は終日病院でした。仕事は「幸運」にもない日でした。そして仕事が入りませんように・・・と願う日でもありました。そして願は叶いました。最近はヒマなんです。
自分テキには、こんな日が増えてくるような環境であろう・・・と思いとどめております。


ねんぶつはマジナイじゃないけれど・・・

2020年03月05日 | 仏法
 昨夕に福井・越前町までの仕事でる。18時半に集荷、着22時希望とありました。
道中は順調でした。
運転しながらよくお念仏を称えます。お念仏とは「なむあみだぶつ」です。念仏は自分の「思い」を叶えてください・・・というマジナイではありません。自分の思いなどは、念仏でかなうことはない。念仏は、阿弥陀仏の大悲が私に倦むことなくかけられ、そのはたらきの中にあることに気づくことが救いです。
…かといっても、この度の道中は、娘の具合のことばかりが去来する念仏でした。