名古屋市名東区 赤帽タケフジ運送の「ふ箱」

赤帽タケフジの車窓から見える光景

名古屋市名東区の赤帽運送はタケフジへご用命下さい
052-772-5880

トマト苗植えとピザの窯焼き

2009年04月28日 | 障がいのある人

娘の通うNPOかわせみwww.kawasemi-na.comの生活支援センター(障がいのある人達が、地域で暮らすのを支援する)の畑でトマトの苗植えが行われた。

K㈱の寄贈の苗だ。総勢百人以上が参加した。六百本余の苗が、一挙に植え終わりました。ボランティア、地域の人達の協力の賜物でした。

昼には当NPOの名物、窯焼きピザ(なんと畑にピザ窯がある!)の振舞いと、地域のバンドの生演奏で盛り上がりました。

苗の生長は、水遣り、草抜きなど夏場の地道な面倒が欠かせません。でもその後には楽しい収穫際が待つています。この事業はもう十年以上前からですので、すっかり地域に溶け込み、多くの支援をいただいて、うれしい限りです。 有り難し、有り難し。


散りにしなごり

2009年04月23日 | 私のなりわい・運送のこと

桜も散り、新年度にはなれど、変わらずというよりも増して運送の仕事が少なくなる。当地は自動車産業が、メインであったためその落ち込みが激しい。仕事の分野を一つ皿に盛ってしまうのはよくない。食品、サービス、教育、福祉等の内需関連の分野の運送をも開拓しておくべきだった。泥縄ではいけませんね。 

   溢(あぶ)れては 桜蘂(さくらしべ)掃く 日は永し


房総の海

2009年04月14日 | 私のなりわい・運送のこと

四トン車にて千葉県まで材木を運ぶ。慣れぬトラックで七時間以上かかった。

現場は茫洋たる太平洋が眼前の崖のうえ。携帯も圏外をしめすほどの所だ。その絶景にしばし見入る。荷を降ろし、即帰る。

代行運転なので、ゆっくりはできない。なんせ依頼主には、運転した時間で運送運賃を請求するからだ。トラックを出発地に返却するまでが仕事だ。房総の山田、春の苗代を横目で見ながら帰路を急いだ。帰着は午後九時終了でした、フウーー。

    ゆきはてし 外房の海 若布(わかめ)寄る


ハローワーク

2009年04月08日 | 世間のこと

今朝銀行に行った。信号一つ前から渋滞、動かない。迂回して銀行についた。渋滞の原因はハローワークでの混雑だった。

ニュースでは聞いていた,派遣雇用者等の年度末からの失職した人々である。昨年10月から3月末までに19万人余の解雇があるとは目にしてた。いつも通るハローワークではあるが、このような長蛇の列は経験したことがなく、驚いた。

身近にも年度に退職したひとがあるが、その人は65をこえているので、失業保険を6ヶ月?もらえるのでのんびりするわ・・・とのこと。そんな人は、少数派で今日にも仕事がほしい人たちばかりであろう。

ニュースの19万人という3文字、あの車の列を見て、その重大性を痛感する。私の仕事も休業状態の日々もある。仕事量の減少は、ぼやくことなく受け入れなければならん。


ミサイルと花見

2009年04月06日 | 朝な夕なのこと

029_3 好天の日曜日、桜で有名な公園を訪れる。超満員とはこのような事かと言うほどの人出だった。桜の木の元にも行けないのだ。老若男女、おおいに盛り上がっている。

公園にくる車中、ラジオにて、北朝鮮から「飛翔体」が発射された、との報道。マスコミと、自衛隊及び政府がおお慌て。昨日は、おたんちんな「誤探知」までもだしている。彼国のやりかたは強く非難されるべきだ。今回の実験にて強い外交カードを取得したことになる。この手の外交は、決してペイするものではないことを、世界各国が様々の手段(政治,経済)を以って彼国に強く働きかけねばならんと思う。

・・・・ではあるが、花見のこのはなやかなことは・・・。良きことだ。この平和が長からんことを願う.

                                                                                                                                  「飛翔体」とぶ空あおぐ 花見かな


国の再生は人

2009年04月01日 | 世間のこと

三月末、Img_0686 Img_0683 久しぶりに遠距離の引越しが入った。長野県松本市、搬入まで時間があったので、あがたの森公園にある、旧制松本高校の記念館で時間調整。

まだ高等学校がエリートであった頃の懐かしい校舎でである。弊衣破帽のバンカラが、高下駄で高歌放吟した時代を懐かしむ。高等教育を受けることが一般でなかった時代だ。ここで学んだ猛者たちは、よい意味で国を背負って立つ気概を持っていた。また立身出世の思いが原点であった。現在の日本の基盤は、かれらのリーダーシップにより成ったともいえよう。

今は、学費が払えなくなって退学する生徒が、続出している。学ぶ機会の保障は、国の基礎だと思う。

江戸末期に訪れた多くの外国人が、共通して驚いたことがある。それは、赤子のお守をしながら、本を読む幼い娘たちがいたことだ。当時先進国であつた米英でも、庶民階級の子女は、読み書きはできなかった。階級社会そのものだった。一方江戸時代末期には、町民の子女ですら読み書きができたという。識字率の高さは当時では世界一ではなかったろうか。日本の教育のレベルは、百五十年前から世界に冠たるものであったということだ。

しかし残念ながら、教育貧困国になつてしまつた。教育は、小手先の行政ではなんともならぬ。百年の計がなくてはならない。いまの日本はその計があるのだろうか。