久々の薬師寺の法話。
今日は、目からうろこがでるような話だった。
数年前に、赤塚不二夫が亡くなったときに、
タモリが話した弔辞から、以下の文章を引用。
あなたの考えは、すべての出来事、
存在をあるがままに前向きに肯定し、
受け入れることです。それによって人間は、
重苦しい意味の世界から解放され、軽やかになり、
また時間は前後関係を絶ちはなたれて、
その時その場が異様に明るく感じられます。
この考えをあなたは見事にひとことで言い表してます。
すなわち、「これでいいのだ」と。
この部分からは、仏教のありのままを受け止める
ところ、これでいいのだは、言い換えると、
「少欲知足」。欲を少なくして、そして、
足りていることを知ることにつながる。
という解釈があり、その内容そのものは
おどろくことはないのだが・・・。
この弔辞を、タモリが事前に準備して書いた文章ではなく、
弔辞が、実は白紙だったということにも、まず関心した。
前日、酒を飲みすぎて準備ができず、アドリブでの弔辞と
なったようだ。
赤塚不二夫という人は、ギャグであけくれた人生だったのかと
思っていたが、実は、仏教にも精通していた風というのも
今日の法話で知ることができた。
彼の作に「天才バカボン」があるが、バカボンは、仏教用語であるという。
バカでなく、ばきゃ。ばきゃは、如来という意味。
ボンは、梵語のぼん。
まったくのバカのふりを主人公にさせながら、
実は、仏教的に(?)、大切なことを伝えたかったのかもしれない。
不二夫は、本名では藤雄。不二は、仏教用語では、
2つのものが対立しない、それぞれの違いはあっても
それぞれを認めるというそんな意味があるようで、
仏教の精神がかいみられる言葉らしい。
あえて、不二という名前に変えたのではということらしい。
赤塚不二夫の戒名は、不二院釈漫雄で、
しゃれた名前をつけたなぁと言っていた。
今日は、目からうろこがでるような話だった。
数年前に、赤塚不二夫が亡くなったときに、
タモリが話した弔辞から、以下の文章を引用。
あなたの考えは、すべての出来事、
存在をあるがままに前向きに肯定し、
受け入れることです。それによって人間は、
重苦しい意味の世界から解放され、軽やかになり、
また時間は前後関係を絶ちはなたれて、
その時その場が異様に明るく感じられます。
この考えをあなたは見事にひとことで言い表してます。
すなわち、「これでいいのだ」と。
この部分からは、仏教のありのままを受け止める
ところ、これでいいのだは、言い換えると、
「少欲知足」。欲を少なくして、そして、
足りていることを知ることにつながる。
という解釈があり、その内容そのものは
おどろくことはないのだが・・・。
この弔辞を、タモリが事前に準備して書いた文章ではなく、
弔辞が、実は白紙だったということにも、まず関心した。
前日、酒を飲みすぎて準備ができず、アドリブでの弔辞と
なったようだ。
赤塚不二夫という人は、ギャグであけくれた人生だったのかと
思っていたが、実は、仏教にも精通していた風というのも
今日の法話で知ることができた。
彼の作に「天才バカボン」があるが、バカボンは、仏教用語であるという。
バカでなく、ばきゃ。ばきゃは、如来という意味。
ボンは、梵語のぼん。
まったくのバカのふりを主人公にさせながら、
実は、仏教的に(?)、大切なことを伝えたかったのかもしれない。
不二夫は、本名では藤雄。不二は、仏教用語では、
2つのものが対立しない、それぞれの違いはあっても
それぞれを認めるというそんな意味があるようで、
仏教の精神がかいみられる言葉らしい。
あえて、不二という名前に変えたのではということらしい。
赤塚不二夫の戒名は、不二院釈漫雄で、
しゃれた名前をつけたなぁと言っていた。