福井県のほうの住職。
年齢は60歳は超えている感じ。
法話の内容は、わかりやすかった。
あいずちを、うってもらいたいタイプらしく、
割としつこく同意を求める問いかけをしていた。
浄土真宗の歎異抄の中で、
浄土に往生して、仏になると書かれている。
浄土に行ってそれでおしまいというわけではない。
また、輪廻して、人々を救済する役割をになっている。
仏教は、仏になる教え。これが重要なポイント。
仏になるということは、仏陀(ぶつだ)になるということ。
仏陀の意味は、覚者。
覚者は、めざめた者。何にめざめたか。
それは縁起。
縁起は、正しくは、因縁しょうき(?)。
この世のあらゆるものは、原因があって結果がある。
ここで、せんすを見せた。このせんすは、
布教の会でもらったもの。布教師でないともらえないもの。
布教師は、僧侶というのが条件。なぜ僧侶になったか。
家がお寺だったから。でも兄弟は4人いたが、
自分がお寺をついだ。なぜか?
長男だったから・・・。というかんじで、
縁起の例。
布教師になるには資格もいるらしいというのが、今回
わかった。
この僧侶は、大学卒業後、布教師の資格はとっていて、
ゆくゆくは、家をつぐことは考えていたのだろ。
しばらくは会社勤め、父がなくなったことがきっかけで
僧侶の職をはじめた。
縁起は、あらゆるものがつながっている。
阿弥陀さんは縁起をさとっている。
阿弥陀さんは、人々を身内のごとく思っているから。
縁起がらみで、交通事故の体験談。
自分が運転する車の前で車どうしがぶつかった。
(交通のマナーとはいえ、僧侶が横から入ってくる車の
ために、道をあけていて、その道を通った車が事故。
この僧侶が道をあけていたから、事故が起こったという
縁起もあるなあとふと思った)