「見仏」と「札所巡り」と「仏教少々」

仏像鑑賞と札所巡りと受け売りの仏教を少し

築地本願寺、法話2013.9.13

2013-09-13 22:55:28 | 仏教

福井県のほうの住職。

年齢は60歳は超えている感じ。
法話の内容は、わかりやすかった。

あいずちを、うってもらいたいタイプらしく、
割としつこく同意を求める問いかけをしていた。


浄土真宗の歎異抄の中で、
浄土に往生して、仏になると書かれている。
浄土に行ってそれでおしまいというわけではない。

また、輪廻して、人々を救済する役割をになっている。

仏教は、仏になる教え。これが重要なポイント。 

仏になるということは、仏陀(ぶつだ)になるということ。
仏陀の意味は、覚者。

覚者は、めざめた者。何にめざめたか。
それは縁起。
縁起は、正しくは、因縁しょうき(?)。
この世のあらゆるものは、原因があって結果がある。

ここで、せんすを見せた。このせんすは、
布教の会でもらったもの。布教師でないともらえないもの。
布教師は、僧侶というのが条件。なぜ僧侶になったか。
家がお寺だったから。でも兄弟は4人いたが、
自分がお寺をついだ。なぜか?
長男だったから・・・。というかんじで、
縁起の例。

布教師になるには資格もいるらしいというのが、今回
わかった。

この僧侶は、大学卒業後、布教師の資格はとっていて、
ゆくゆくは、家をつぐことは考えていたのだろ。
しばらくは会社勤め、父がなくなったことがきっかけで
僧侶の職をはじめた。

縁起は、あらゆるものがつながっている。
阿弥陀さんは縁起をさとっている。

阿弥陀さんは、人々を身内のごとく思っているから。

縁起がらみで、交通事故の体験談。
自分が運転する車の前で車どうしがぶつかった。

(交通のマナーとはいえ、僧侶が横から入ってくる車の
 ために、道をあけていて、その道を通った車が事故。
 この僧侶が道をあけていたから、事故が起こったという
 縁起もあるなあとふと思った)

 








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