「見仏」と「札所巡り」と「仏教少々」

仏像鑑賞と札所巡りと受け売りの仏教を少し

築地本願寺、仏教文化講座2014.2田畑正久氏

2014-02-22 21:18:36 | 仏教
お題:医療文化と仏教文化
講師:田畑正久さん


大分に住んでいて、外科の医者で、
大学でも教鞭もとっている男性で、推定60歳ほど。

5年ほど前から週に1度ほど龍谷大でも教えている。
父が、真宗の門徒で、自分も同様。
大学に入る頃までは、仏教にもうとかった。

(自分の近くに20歳くらいの西洋人の男子がすわっていたが、
 この人、日本語がわかるのだろうか。
 最後まで、聞くだろうかと気になった。)

仏教との関わりは、九大に入ったときから。
仏教青年会というところに入った。
この会に入ってボランティアをする代わりに
住むところがタダになった。

仏教にも関わりをもつようになっていき、
医療は仕事、仏教は人生の生き方、、、と
切り離して考えていたが、今では、
両者とも切り離すことができない。
医療と仏教は、同じ方向を向いている。
仏教では、四苦として、生老病死がある。
老病死に対して、医療でも課題になっている。
(外科であるこの講師の方は、
 特に、関わっているので、老病死という
 言葉を何度も使っていた。)

医療と仏教は、むすびついているか?
例えば、真宗のシカゴ別院にいる僧侶は、
病院に出入りするのは当たり前。
病人が入院したら、僧侶が訪れるのは当たり前。
しかし、日本では、キリスト教、天理教などの
聖職者が病院にいるくらい。

地元の大分の国東半島のほうにある病院内に、
仏教講座を開いた。病・死と向き合うため。
仏教は、死んだ人に対して、役に立つのではなく、
生きた人間を相手にするもの。

現在、病院で亡くなる人は、全体の8割ほどにも
なっている。病・死に対するケアがますます必要。

西洋医学では、食べないと死ぬという発想。
食べれなければ、点滴にする。
時には、胃に穴をあけてまで、栄養を取らせる(胃ろう)。
回復の見込みのない人に対しても、胃ろうをする。
医者本人に対し、もし自分が患者だったら、
回復の見込みがないのに、胃ろうはいやという医者が、
ほとんど。人間の死をみじめにするからという理由。
食べても死ぬ。食べなくても死ぬというのが現実。

医療は、科学的、合理的にもとづいて行われる。
仏教の智慧は、表面的な価値よりも、
隠されたところにあるものを感得(かんとく)
することができる。

もったいないという言葉は、もともとは仏教用語。
現代の使われている意味でいうと、
英語・ドイツ語にはない。
無理やり訳すと、捨てるには捨てがたい。
生命の誕生に関して、科学的に話すと、せいしとらんしが
くっついて・・・という説明になるが、
浄土教ゆかりの善導大師は、ご縁が重なり・・・
という表現を使っている。

自分の男性の患者さん89歳。
糖尿病、c型肝炎などの病気。
c型肝炎になると、ガンになる確率があがる。
この男性が80歳のときに、仏教の勧めをした。
この男性は、真宗の門徒だったが、
その勧めに対し、イヤ。
その後、85歳のときに、ガン。
その男性は、「念仏したら病気がよくなるんですか?」

幸せになりたい。健康の状態を維持したい。
不健康は、マイナス要因。
不幸だと感じながら、死を迎えたりする。
(自分だったら、
 今は健康でなくなり幸せとはいえないかもしれないが、
 今までいっぱい楽しいこともあったし、
 自分の人生、ご縁に対してありがとうと感謝しながら、
 死を迎えたい。)

医学界では、死は受け止めがたい。死んだらおしまい。
しかし、大部分の人は、老病死につかまる。
老病死に立ち向かえる考え方・智慧が仏教にはある。

一日を、一生に例えるひともいる。
朝目が覚めたら、自分は生きている。
目が覚めて生まれ、睡眠につき死んでいく。
(そのくらい1日を大切にしたいと自分は思う。)

刑務所で、死刑囚と無期懲役の囚人を観察した人が
いるという。死刑囚の人のほうが活気がある。
それに反して無期懲役は活気がない。
死刑囚の間でも、しーんと静まり返る時間があるという。
それは、その日死刑執行される人が発表される7時から
7時半までの時間帯。
その時間が過ぎると、再び活気がでてくるという。
無期懲役の人のほうが、ふつうに生活をしている人に
当てはまるのかもしれない。

東北大学のほうで、臨床宗教師を育てる講座ができたという。
東北大学の医学の先生が、ガンになり、老病死に対する道標を
作りたいというところからの開設。
病気をなくそうとする医療。医療は限界にきたとき、
老病死には対処できない。
それに立ち向かう宗教・仏教の力が必要。

WHOが健康の定義に、
スピリチュアルという表現を追加した。
ますます、精神的なケアの必要性が
クローズアップされている。

死を迎えようとする患者が、
自分は死ぬために生きているんですか?
食事もとれなくなっている。痛みは麻薬で抑えている。
そんな状況に現在の医療はこたえることはできない。

人間に生まれた意味、自分が生まれた意味を
仏教は教えてくれる。
老・・・
 年をとったからこそ成長し、いろんな見方ができる。・・・
病・・・
 病になるまで健康でいられたことに感謝。・・・
死・・・
 生まれるという意味を理解して、
 死んだらあみださんにまかせる。・・・
(このあたりの定義・答えは、短い言葉では
 なかなか難しいが、仏教はこれらを教えてくれる)

最後に、質疑応答。
(質問)
輪廻の旅人という表現をする人がいるが、
浄土真宗に出会って、輪廻の旅を終えることが
できると言っている。・・・
(応答)
輪廻転生は、仏教が生まれる前からインドにあった思想。
仏教は、輪廻をこえたところに死を考えている。
(このあたりは、真宗の門徒さんらしい。)

(質問)
病院で働くようなチャプレン(聖職者)が
日本では少ないが・・・
(応答)
歴史的な背景として、医学がドイツから入ってきた時代、
医療技術は取り入れるが、チャプレンの背景にある
宗教性(キリスト教)は排除したいとの考えのもと、
チャプレンのシステムが取り入れられなかった
という背景もある。

(質問)
日本でのチャクレンのとりくみ状況は?
(応答)
何箇所かできている。真宗関連の病院施設にもできている。
 


今日は、医療には、宗教心が必要だと、
改めて感じることができた。
よい講話だった。



最初に気になった20才くらいの西洋人男子。
途中聞いてないなあというときもあったようだが、
1時間20分ほどの時間の間、席に座っていた。
講話が終わって、カメラで堂内の撮影をしていた。



少し気になったのが、・・・
事務受付の女性は、時折業務の話をしているときもあるが、
そうでないときも、普通のボリュームで私語を
頻繁にしていた。
(ひそひそ話程度のボリュームではない)
途中、何度も耳障りと感じた。
せめて講話中は、私語をつつしんでもらいたい。





コメント
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