「見仏」と「札所巡り」と「仏教少々」

仏像鑑賞と札所巡りと受け売りの仏教を少し

築地本願寺、仏教文化講座2016.2小谷みどり氏

2016-02-27 23:04:26 | 仏教
小谷みどり氏 (第一生命経済研究所主席研究員)
講題「現代人にとって、よき死とは ~つながりから考える~」

終末医療とか、人が亡くなった後のことに関する
研究をしている。

いい死にかたとは?

テレビにもたまに出ることがある。
3/16NHKの朝ドラのあとくらいの
いのちのTVという番組にもでる。

ぽっくりと死にたい人はどれくらいいるでしょうか?
と聴衆に質問。すると割と多くの人の手があがった。
(自分も直感的に手をあげた)

手を上げた人は、今すぐには死にたくないでしょう?

ぽっくり死にたいというのは、日本人独特の観念。
ぽっくり死ねるというお寺があるのは日本くらい。

アンケートのデータから、
ぽっくり死にたいという人の理由。
~家族に迷惑をかけたくないから。苦しみたくないから。
 寝たきりなら生きていてもしかたないから。
 という割合が多い。

逆にぽっくり死にたくないという人の理由。
~死の心づもりをしたいから。
 少しでも長生きしたいから。


来週、列車をとめた認知症の人の上層の裁判結果が
でる。注目している。
鉄道会社が損害賠償を求めている裁判。
(後日のニュースで、最高裁判決。
 訴えられた認知症の家族が勝訴。
 当初請求された720万の賠償金はなし)


日本では、出産は自然分娩。痛みをともなう。
病室で大声を出す。ところが欧米では、
無痛分娩。日本人は、痛いほうを選ぶ。
病気で死ぬときも、痛みを伴うのは、ふつうだと日本では
考える傾向。


こっちから半分の人は、たぶんガンになる。
と聴衆に対して発言。
ブラックユーモアすぎるといえば、そうなのだが、
これがけっこう聴衆には受ける。
これだけでなく、その後もけっこうブラックユーモア。

ガン。欧米では緩和ケアが進んでいる。
痛いほうが患者の気がする。ということで、
日本では、痛み、苦しみは、ほどほどにあったほうがよいという考え。
痛み、苦しみがあるから、ぽっくり死にたいということにつながる。

欧米では、死ぬならガンで死んでもよいと思っている人も多い。
欧米では、痛みを(強く)抑える。


孤独死について、かわいそうと言われる。

郵便局で何千円か払うと、月一回話をしに来てくれる
サービスがある。
でも月一回だったら、死後腐ることも十分ありうる。

欧米では祖父祖母と住むという文化はない。
日本で65歳以上の人の同居状況を調査した。
1980年ころ日本では三世代同居が5割ほど。
現在では7世帯に1世帯くらいは三世代同居。
でも6割は高齢者だけで暮らしている。

一昨年、東京都で亡くなった高齢者。
家族がいても半分は孤独死。
つねに24時間いっしょにいるわけではない。
ぽっくり死は、孤独死の可能性も高い。

ぽっくり死にたいというのは、病院以外で死ぬことが
想定されている。

病院入院中でも、
夜中から明け方にかけて死ぬことが多い。
孤独死の可能性は高い。

厳密には孤独死になる可能性は高くなるが、
死んで数日以内で発見される場合は、
孤独死とはいえないかもしれない。
回りに人がいなくて、一ヶ月も二ヶ月も
気遣ってくれる人がいない。
そういう状況が、孤独死がかわいそうという
状況なのだろう。
孤独死は、死に方の問題ではない。

おじいちゃん、おばあちゃんの入院。
普段はあまり病院に来ないのに
死にかけているときには家族は来る。
死の瞬間に日本人はこだわる。

2年前にスイスに行って、安楽死をするおばあさんに
たち合わせてもらった。
尊厳死は、日本で認められている。
治る見込みがないときに延命措置をしないという尊厳死。
自分は尊厳死にしたいか、どうしたいか、
考えて家族と相談しておいたほうがよい。
医者まかせにする人もいるが、
そんなこと医者には関係ない。

安楽死は、死が近いときに人工的に死を早める。
日本では、医師は殺人罪に問われる。

安楽死は、アメリカではワシントンやオレゴン州。
オランダ、ベルギー、スイスなどでも認められている。

安楽死は許可された国でも、
そんなには安楽死は選ばれない。
最期の手段が、安楽死。審査も厳しく、
何年もかけて審査される。

安楽死をするおばあさん。
実は認知症。自分のことがわからない。
心の苦しみ。体の苦しみのケースではない。
そのおばあさん、30人ほどの家族親戚の人たちとの
最期の別れを告げた。
そして注射をうたれ、眠くなるように死んでいった。

日本では、遺族の立場があるので、死に方にこだわる。
韓国、中国など儒教の国の発想。

欧米では、人の死に方を尊重する。遺族の立場なんて
あまり考えない。

日本人のいんとうがんの男性。
いんとうがんは、声がでなくなる。それをいいことに
妻は、そんな不摂生をしていたからそうなるんだみたいな
ののしるような、そんな状況にも遭遇したことがあった。

孤独死がかわいそうという発想は、欧米には無い。

介護疲れからくる介護殺人。日本だけ。
介護は、欧米では家族はしない。

介護施設において、介護の観念が欧米とは違う。
日本では、家族に代わって、自分がやらなくても
世話してもらえるというのが日本的な考え。
本人にとって、というよりも、家族にとって
という視点で考える。
欧米では、介護の考え方が違う。歩けなくて
車椅子のお年寄りがいたとする。
手が使えるなら、過度に補助はしない。
手が動けば、自分で車椅子を動かしてもらう。


余命半年といわれたら、どうしたいか?
というアンケートデータ。
男性は、銀座クラブで女性と飲み明かしたい。
温泉に行きたい。・・・・
女性は、ダイエットはやめて、たらふく食べたい。・・・
余命半年と言われたら、健康でないのに
そんなにいろいろできない。
(個人的な経験談だが、余命半年時点なら、
 少しはやりたいことはできるのでは?と思う。)

最期に、生きる指針としてのヒント。
高齢者になっても、夢をもつ。
それから「きょうよう」「きょういく」。
きょうようは、今日する用事を作る。
きょういくは、今日行くところがある。

いい生き方をした人が、いい死に方ができる。


後期:
綾小路 きみまろ以上の、
ブラックユーモアもありつつ、
死に対しての考え方を聞くことができた。
なかなか、おもしろく有意義な講話だった。






コメント
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