「見仏」と「札所巡り」と「仏教少々」

仏像鑑賞と札所巡りと受け売りの仏教を少し

築地本願寺、法話2016.2.5

2016-02-05 21:25:32 | 仏教
東京のどこかの住職。真宗にしては
珍しく、中学生くらいの短い髪。

今日、忙しい中、法話に来た人、、、
功徳が… (ためて)…特別ないです。
(今日の中では個人的には一番面白かった言葉だった)。
いつも通り、当たり前の阿弥陀さんの
功徳がある。


阿弥陀経より、青色青光。
これは、お浄土の様子を示した言葉。
青色は青色のまま、違う色には
ならない。違う色ではないかどうか、
考え巡らせていないでしょうか。

当たり前のことが、尊い。例えば親子。
1年前子供が生まれた。
自分にとっても尊い存在。
自分の母にとっても尊い存在。
二世帯住宅の母が、何かにつけて
孫を見に来る。


人生は苦である。とお釈迦様。

死は逃れられない。死を苦しみに
ならないようにする教え=仏になる。
なもあみだぶつというお念仏で
仏にならせて頂く。


(私的なこと)
子供の頃は、恥ずかしがりや。
人前で話すなんて、考えられなかった。
今はお取次ぎをしている。


子供が生まれたとき、一人では何も
できないこの命をなんとかしなくては
ならないと思った。

それに似たようなこと。
自分ひとりでは、仏になれない。
それを実践させてくれる阿弥陀如来。
なもあみだぶつと唱えることにより、
仏にならせてもらえる。

コメント
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