東京博物館で、京都五山の禅についての展示がされている。
先週見にいってみた。
禅とはいかなるものかについては、
展示からはよくわからなかった。
その沿革とかについては少しはわかった。
京都五山は、南禅寺、天龍寺など京都のお寺の数箇所をさす。
それらお寺の禅が栄えた時代のゆかりの品、住職の像などが展示。
住職の像の中には、ぽっちゃりと太られた方もいて、
飽食していたのではと思う。
その他どの像もリアリティが感じられる。
展示はそれだけかなと思っていたら、仏像展示もあり、
来てよかった。ちょっと風変わりな像がいたりした。
とある不動明王は、一見、わきについている童子だろうと
見えたりするが、確かに不動明王。
頭の髪が取れてしまっているようでそれが原因かも。
弥勒菩薩と書かれていた像は、どうみても観音様だなと見える。
説明の補足で、如来の可能性があると書いてあって、でも観音様に
見えると思った。
宝塔を持たない毘沙門天に踏まれている邪気は、
かわいいことと言ったら・・・。
あまりにかわいいためか、毘沙門天が足で踏みつけている
というより、台にのっているといったほうが正しい。
一番目を引いたのは、岐阜の永保寺の聖観音菩薩。
お顔立ちが妙にきれい。
顔の線が細いのと、節目がちな眼玉が入った眼が
きれいだったせいなのかもしれない。
ただ、口ひげは書かれてはいたが・・・。
そのきれいさに、しばし、見とれていた。
先週見にいってみた。
禅とはいかなるものかについては、
展示からはよくわからなかった。
その沿革とかについては少しはわかった。
京都五山は、南禅寺、天龍寺など京都のお寺の数箇所をさす。
それらお寺の禅が栄えた時代のゆかりの品、住職の像などが展示。
住職の像の中には、ぽっちゃりと太られた方もいて、
飽食していたのではと思う。
その他どの像もリアリティが感じられる。
展示はそれだけかなと思っていたら、仏像展示もあり、
来てよかった。ちょっと風変わりな像がいたりした。
とある不動明王は、一見、わきについている童子だろうと
見えたりするが、確かに不動明王。
頭の髪が取れてしまっているようでそれが原因かも。
弥勒菩薩と書かれていた像は、どうみても観音様だなと見える。
説明の補足で、如来の可能性があると書いてあって、でも観音様に
見えると思った。
宝塔を持たない毘沙門天に踏まれている邪気は、
かわいいことと言ったら・・・。
あまりにかわいいためか、毘沙門天が足で踏みつけている
というより、台にのっているといったほうが正しい。
一番目を引いたのは、岐阜の永保寺の聖観音菩薩。
お顔立ちが妙にきれい。
顔の線が細いのと、節目がちな眼玉が入った眼が
きれいだったせいなのかもしれない。
ただ、口ひげは書かれてはいたが・・・。
そのきれいさに、しばし、見とれていた。
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