きょうのお題は、かなたからのひかり。
前国立天文台長の観山という方。国立天文台は、
三鷹にあって、見るのはタダ。
広島出身で63歳。実家がお寺。
真宗の信徒でもあるが、お寺は継がなかった。
今は、大学の教授もしている。
今日は、宇宙観についても・・・。
春分の日、秋分の日は、誰が決めているかという問い。
実は、国立天文台が決めている。
(確かに、春分の日が少しずれる
年があるので、そのせいだったのか・・・)
あと10年立てば、ハワイに30m級の望遠鏡ができる。
これができれば、遠くにある星に生命体があるかどうか、
わかるようになる。
今、すんでいる太陽系は、50億年後滅ぶ。
(そういえば、56億年後、弥勒菩薩が現れ、人々を
救うという通説もあったなあ。)
距離の単位に、1光年という単位がある。
1年で光が到達できる距離。
kmになおすと、実に10兆km。
宇宙の始まりは、138億光年前といわれている。
太陽系があつまった銀河。
その銀河がたくさん集まった銀河団。
1つの銀河には、1000億個の太陽がある。
(まあ、想像を絶する。
地球以外に人のような生物がいる
ということは、容易に想像できる)
インド仏教の宇宙観も、天文科学の宇宙観と、
やや似ているところもある。
西洋には、宇宙観はなかった。
ガリレオガリレイが地動説を唱えたが
受け入れられなかった。
宇宙の中で、どこが中心とかという考えはない。
インド仏教の宇宙観も同じ。
おかげさまで生かされている。というのが事実。
自分が生まれるためには、何代もの親、先祖のおかげ。
社会での自分の存在は、さまざまな人のおかげ。
それだけでなく、138億年前に宇宙が誕生、
46億年前に地球が誕生。
宇宙のチリが集まって地球ができている。
私たちは、宇宙とつながっている。
星のチリが元になって、人は生まれたことになる。
かつて、アインシュタインは、
大正時代の日本をおとづれた。
ノーベル章が決まってから直後のことだった。
アインシュタインは、無神論者。
日本をおとづれたとき、
仏教の心にふれたいと、文部省の役人に伝えた。
文部省の役人は、真宗の大谷派の僧侶を紹介。
その僧侶は、
うばすてやまの話をした。
息子が母を背負って遠くの山まで。
母のほうが、ずいぶん遠くまできたけど、
息子はちゃんと帰れるかと心配。慈悲の心。
アインシュタインは感動した。
大宇宙の中の我々ひとりの存在は、いかに小さいか。
しかし、貴重な存在。ひとりひとりが存在して、
大宇宙が成り立っている。
(地球での自分も同じ。日本での自分も同じ。
自分が生きている社会での自分という存在は、
特にその存在は大きい。
決して自分は、自分だけの体ではない。
まわりのいろんな人のおかげで自分が
なりたっている。命を、体を大切にしたい。)
今回は、特に変わった視点の、ユニークな話だった。
「かなたからのひかり」をあみだにょらいの光と
結びつけなかったことは、
まあ、よかったかもしれない。
前国立天文台長の観山という方。国立天文台は、
三鷹にあって、見るのはタダ。
広島出身で63歳。実家がお寺。
真宗の信徒でもあるが、お寺は継がなかった。
今は、大学の教授もしている。
今日は、宇宙観についても・・・。
春分の日、秋分の日は、誰が決めているかという問い。
実は、国立天文台が決めている。
(確かに、春分の日が少しずれる
年があるので、そのせいだったのか・・・)
あと10年立てば、ハワイに30m級の望遠鏡ができる。
これができれば、遠くにある星に生命体があるかどうか、
わかるようになる。
今、すんでいる太陽系は、50億年後滅ぶ。
(そういえば、56億年後、弥勒菩薩が現れ、人々を
救うという通説もあったなあ。)
距離の単位に、1光年という単位がある。
1年で光が到達できる距離。
kmになおすと、実に10兆km。
宇宙の始まりは、138億光年前といわれている。
太陽系があつまった銀河。
その銀河がたくさん集まった銀河団。
1つの銀河には、1000億個の太陽がある。
(まあ、想像を絶する。
地球以外に人のような生物がいる
ということは、容易に想像できる)
インド仏教の宇宙観も、天文科学の宇宙観と、
やや似ているところもある。
西洋には、宇宙観はなかった。
ガリレオガリレイが地動説を唱えたが
受け入れられなかった。
宇宙の中で、どこが中心とかという考えはない。
インド仏教の宇宙観も同じ。
おかげさまで生かされている。というのが事実。
自分が生まれるためには、何代もの親、先祖のおかげ。
社会での自分の存在は、さまざまな人のおかげ。
それだけでなく、138億年前に宇宙が誕生、
46億年前に地球が誕生。
宇宙のチリが集まって地球ができている。
私たちは、宇宙とつながっている。
星のチリが元になって、人は生まれたことになる。
かつて、アインシュタインは、
大正時代の日本をおとづれた。
ノーベル章が決まってから直後のことだった。
アインシュタインは、無神論者。
日本をおとづれたとき、
仏教の心にふれたいと、文部省の役人に伝えた。
文部省の役人は、真宗の大谷派の僧侶を紹介。
その僧侶は、
うばすてやまの話をした。
息子が母を背負って遠くの山まで。
母のほうが、ずいぶん遠くまできたけど、
息子はちゃんと帰れるかと心配。慈悲の心。
アインシュタインは感動した。
大宇宙の中の我々ひとりの存在は、いかに小さいか。
しかし、貴重な存在。ひとりひとりが存在して、
大宇宙が成り立っている。
(地球での自分も同じ。日本での自分も同じ。
自分が生きている社会での自分という存在は、
特にその存在は大きい。
決して自分は、自分だけの体ではない。
まわりのいろんな人のおかげで自分が
なりたっている。命を、体を大切にしたい。)
今回は、特に変わった視点の、ユニークな話だった。
「かなたからのひかり」をあみだにょらいの光と
結びつけなかったことは、
まあ、よかったかもしれない。
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