時々
大分県日田市は「九州の小京都」といわれ、良質の木材が取れるということもあり、江戸時代は天領であった。
筑後川の支流・三隅川が市内を東西に流れる自然に囲まれた盆地に展開し、夏は猛暑が続き、冬は大雪が降る、九州で一番暑くて寒い場所とも言われる。
豆田町という町家集落が現存し、江戸時代当時の街並みを伝えている(観光地化されて整備しすぎの感もあるが)。噂では近々伝建地区(重要伝統的建造物群保存地区)に指定されるらしい。
また、咸宜園(かんぎえん)という私塾をつくった幕末の先哲、広瀬淡窓を輩出した地でもある(現在の大分県の広瀬知事は、淡窓の子孫でもある)。
私は1歳~7歳までをこの日田で過ごした。幼くてあまり覚えてはないが、幼稚園までの通園路、土筆を取った線路の土手、中央公園のプールと蒸気機関車、岩田屋デパートの展望レストランなど、ところどころ覚えているところがある。
毎年5月の20日以降の土日に、川開き花火大会が開かれる。この時期の花火大会は珍しく、九州はもちろん、西日本の各地から観光客が訪れる。
私は今回、なんと21年ぶりにこの地を訪れることにした。果たして、どこまで記憶と一致しているだろうか…。
車を飛ばして思い出巡り。
真っ先に向かったのは当時住んでいたアパートである。しかし、当時も既に古かったくらいなので、当然ながら既に影も形もなく、新しいマンションが建っていた。毎日のように遊んでいたアパート前の広場も駐車場化されていて、面影は全くなかった。
10ヶ月間だけ通った小学校はそのままだった。プールも体育館も古いまま。学んだ教室は放課後育成クラブとなっていたが、そのままの位置に存在していた。感涙。
2年間通ったキリスト教系幼稚園も見つけることができた。しかし園舎は新しくなっていた。当時、周囲は空き地が多かったが、すっかり市街地化されていた。
中央公園の蒸気機関車はそのままだった。毎日のように水浴びしたプールは見つけることができなかった。
父がよく商品を卸していた壽屋は既になく、黒潮市場となっていた。
駅前にあった岩田屋も閉鎖されていた。看板からすると解体されてマンションになるのだろうか。
いよいよ日も傾いてきた。
思い出巡りの最後は、幼稚園の遠足などで何度も行った亀山(きざん)公園。綺麗に整備はされていたが、なんとなく記憶のまま。紅葉狩りやドングリ拾いが懐かしい。
そして夜。
花火がはじまった。5月の川風はひんやりして肌寒い。ってゆーか超寒い…。
花火の趣向も当時のまま。クレーンを使ったナイアガラに、広告塔花火。すべてが懐かしい。
今回はとてもいい旅だった。転勤族っていうのも、先々に思い出の地があっていいかもね。
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