南九州の片隅から
Nicha Milzanessのひとりごと日記
 





 ペットボトル伊藤園の「お~いお茶」を買ったら、「お~いお茶新俳句大賞」として掲載されていた作品の1つに目が留まった。

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 『かえるがね 家に帰ると へんじした』

 鹿児島県の13歳の男性の作品(第二十八回)。
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 13歳だから、きっと中学生の少年だろうね。
 この句を見て、私には次のような光景が目に浮かんだ。
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【私の解釈】
 夕方、学校からの下校中。ふと、通学路の端で1匹のカエルがぴょんぴょん移動しているのを発見。
 「カエルくん、どこに行くの?」と少年は尋ねた。
 すると、カエルは「ケロケロ」っと返事をした。その声が少年には「これから自分の家に帰るところだよ」と聞こえた(ような気がした)。
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 仕事から帰宅し、妻に「こんな面白い句が載ってたよ」と、ペットボトルを渡した。
 妻は、それを見て一言、「へえ、この子、カエル飼ってるんだ」と。

 「んんっ??」
 私は不思議に思い、妻にどう解釈をしたのか聞いてみた。
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【妻の解釈】
 少年が学校から帰宅。
 すぐさま、自分の部屋の水槽に向かい、中で飼っているカエルに「カエルくん、ただいま!」と声を掛けた。
 するとカエルが「ケロケロ」と返事をした。まるで「おかえり!」と言ったかのように。
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 なるほどね。
 面白い! 実に面白い!!
 この短い句に対し、私と妻がそれぞれ異なった解釈をするなんて。

 家に帰るのは、果たして「少年」なのか「カエル」なのか。作者である13歳の少年に聞いてみたいような気がする。


 でも、こう考えると、学校の国語って変だよね。
 よく、「作者の意図」や「登場人物の心情」を問う問題があり、それに対し正解や不正解があったけど、あれっておかしくないですか?
 だって、作品や文章を読んで、「読者がどう思ったか」「どう解釈したか」なんて、正解も不正解もある訳ないよね。それはその人なりの解釈であり、答えなんだから。


 だから、ノーベル文学賞なんて、“この世で一番つまらない賞”だと思うね。
 作品をいいと思うか、悪いと思うか、どう思うかなんて、100人いれば100人とも感じ方が違うでしょ。
 しかも、全部英語かなんかに訳して判断してる訳でしょ? 日本語の細やかなニュアンスを英語にして通じる訳ないじゃん(逆もしかり)。
 だから、村上春樹さんが文学賞を取れなくても当然ですよ。むしろ、英訳した作品なんかで判断してもらって賞を取ってほしくない。



 ちょっと話が逸れました。スミマセン。

 さてさて、みなさんはタイトルのこの句、どう解釈されましたか?


※掲載に問題がありましたら削除いたします。

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■今日の行動
 仕事

■今日の買い物
 くらし館
 スーパーキッド
 ハローデイ

■今日の献立
 朝:野菜ジュース
 昼:お手製弁当
 夕:握り寿司、豚肉生姜焼き



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 たまたま、ペットボトル伊藤園の「お~いお茶」を買ったら、「お~いお茶新俳句大賞」として掲載されていた作品が素晴らしかった。

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 『母さんに 叱られたくて 空を見る』

 埼玉県の71歳の男性の作品(第二十七回)。
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 これは私の勝手な想像であるが、71歳という作者の年齢からして、すでにお母様は他界しているのだろう。そして、逆に子供はおろか、孫あるいは曾孫までいる人かも知れない。
 きっと、傍から見ればすでに人生を達観しているように思われている方だと思う。

 しかし、そのような歳になっても、人間だから当然、失敗をすることがある。だが、もはやこの歳では、怒ってくれる…、いや、叱ってくれるような人は、もう周りにも誰もいないのかも知れない。

 そんな時、厳しくあるいは優しく自分のことを叱ってくれた母親のことを、恋しく思う瞬間があるのではないだろうか。



 なんかジ~ンとくる、心に沁みわたるとても素晴らしい作品ですね。




 親から叱られるといちいち反発したものだけど、親は子供が憎くて叱る訳ではないですからね。
 当然、そんなことはこちらも分かってるんだけど、何ででしょうね。反発しちゃいますよね。


 「親孝行したいときには親はなし」「石に布団は着せられず」
 昔の人は本当、いい言葉を残していると思います。


 たまには正月やお盆だけでなく、ふら~っと実家に帰ってみようかな…。
 



※掲載に問題がありましたら削除いたします。

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■今日の行動
 仕事

■今日の買い物
 なし

■今日の献立
 朝:なし
 昼:カレー弁当
 夕:飲み会



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 お茶のペットボトルを買う時の1つの楽しみ。

 伊藤園の「お~いお茶」には新俳句の作品が掲載してあるのは、ご存じだろう。

 今回、なかなか共感できる作品が載っていた。

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 『自販機の灯りも恋しい冬の道』

 埼玉県の59歳の女性の作品(第二十五回)。
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 冬は日が落ちて暗くなるのも早く、帰り道はとても心細く感じる。

 そんな中、ところどころにある自動販売機のうっすらとした照明は、その暗い道を照らしてくれている希望の灯りである。

 当然、その自動販売機は、一年中そこにあって、冬に限らず、春も夏も秋も照明が灯っているはずである。
 しかし、普段は気にも留めない。それどころか、利用しないような場所にある自動販売機は、単なる風景の1つに過ぎず、その存在にすら気づいていないかも知れない。

 だが、冬になると、その存在がありがたく感じることがある。
 そこで買い物をしなくても、だ。



 うーん、わかる。わかります。
 私も独り暮らしをしていた学生時代に、何度も同じような経験がある。

 自動販売機に限らず、単なる照明の看板や照明付きの交通標識などにもなんか安心したような気がする。


 まあ、もっとも、今ならば、私は夜道を歩くときは懐中電灯を持って行くけどね(笑)。


※掲載に問題がありましたら削除いたします。

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■今日の行動
 仕事

■今日の買い物
 八王寺センター
 鶴屋フーディワン

■今日の献立
 朝:おにぎり
 昼:ちゃんぽん、おにぎり、バナナ、みかん
 夕:もつ鍋



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